10年前の2006年2月23日、トリノ五輪フィギュアスケート女子シングルで、ショートプログラム(SP)3位だった荒川静香がフリーで自己ベストを出して1位となり、大逆転で総合優勝を成し遂げた。アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダルは、同五輪日本唯一のメダルでもあった。また、24歳での金獲得は、五輪女子フィギュア史上最年長の快挙だ。

 彼女の演技は、代名詞となったレイバック・イナバウアーとともに世界に記憶され、語り継がれている。競技では直接加点されるムーブメントではなかったこの技をあえて入れたことで、独特の個性をプログラムで表現することにつながり、メダルの色を金色にできた要因の一つだったに違いない。本人も「自分らしさを出して記憶に残るスケーターになりたかった」と語っている。

 トリノ五輪で記憶にも記録にも残る金メダルを獲得したことで、フィギュア人気に火がついたことはいうまでもない。かつてはマイナー競技として細々と新聞やテレビなどのメディアに取り上げられるだけで、五輪以外は一般の人に関心を持たれることはなく、根っからのフィギュアスケートファンが観戦するだけだった。そんな空気がガラっと変わったのが2005〜06シーズンだった。

 フィギュア人気は一過性のブームで終わることなく、この10年間、年を重ねるごとに勢いを増していると言えるだろう。新聞ではシーズン中の秋冬だけでなく、春夏でもアイスショーや選手の動向が報じられるようになり、テレビではゴールデンタイムに国内外のフィギュア大会が中継されるようになった。

 国内の試合はもちろん、日本選手が活躍する国際大会が増えるようになると、それに比例するように日本から多くのフィギュアファンが大会会場に詰めかけるようになった。昨年12月にバルセロナで開かれたグランプリファイナルでも、先週、台北で行なわれた四大陸選手権でも、日本から大勢のファンが観戦に訪れ、スタンドでは多くの「日の丸」が振られて、バルセロナも台北も会場はさながらホームのようだった。こんな状況になるとは、10年ちょっと前にはフィギュア関係者でさえ想像がつかなかっただろう。

 フィギュア人気が日本に定着したのは、荒川の金メダルとともに、熾烈を極めたトリノ五輪代表争いで話題をさらった15歳の少女の存在があったからでもある。当時、「なんで五輪に出られないんだ」と首相にまで言わせたその少女こそ、いまや国民的人気のスター選手になった浅田真央である。シニアデビューの2005〜06シーズンは目覚ましい活躍を見せて五輪代表待望論まで飛び出したが、トリノ五輪には年齢制限のルールで出場できなかった。

 その浅田ももう25歳になった。トリノ五輪後のシーズンからは、代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器に世界のトップスケーターとして活躍し続ける。この10年間、彼女は成長の軌跡とともにフィギュア人気をけん引してきたと言っても異論はないだろう。

 世界女王にもなった浅田は、10年バンクーバー五輪で「永遠のライバル」キム・ヨナと金メダル争いを演じて惜しくも銀メダリストに。その4年後の14年ソチ五輪では金メダルを狙ったものの、総合6位に終わった。2度目の五輪では、ジャンプの失敗が響いてSPで16位と大きく出遅れながら、フリーでトリプルアクセルを含めた全6種類の3回転ジャンプを、女子史上初となる計8度着氷させる偉業を成し遂げ、自己ベストの142.71点をマーク。メダルには手が届かなかったが、その演技は世界中のファンの心に深く刻まれた。浅田真央にしかできない、記憶に残るすばらしい演技だった。

 ソチ五輪後、浅田は現役引退を考えながらも、1年間の休養を取り、2015〜16シーズンの今季、競技に再び復帰した。一方で浅田が不在だった昨季以来、10代の宮原知子、樋口若葉ら若手選手の台頭が著しい。荒川静香から浅田真央へ、そして宮原知子へと、バトンは着実に受け継がれている。平昌五輪が開催される2年後に向けて、今後もフィギュア人気は勢いを増していくはずだ。

辛仁夏●文 text by Synn Yinha