『ロックイン-統合捜査- (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)』ジョン スコルジー 早川書房

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『ロックイン』は近未来SFミステリ、それも相棒(バディ)ものだ。相棒ものはふたりの人となりの対照の妙で物語が引きたつ。たとえば、アイザック・アシモフ『鋼鉄都市』ではニューヨーク市警の叩きあげ刑事イライジャ・ベイリと異星のロボット(外見は人間そっくり)ダニール・オリヴォーがコンビを組み、ハル・クレメント『20億の針』では十五歳の少年ボブと異星の警官(ゼリー状で人間と共生する)"捕り手"が協力して犯人を追う。『ロックイン』の二人組----若い男性捜査官クリスとベテランの女性捜査官レズリー----も負けず劣らず風変わりだ。彼らを紹介する前に、物語の背景となる世界の説明をしておかなければならない。この世界があってこそのクリスとレズリー、そして彼らが捜査する犯罪なのだから。

 未知の感染症「ヘイデン症候群」が全世界に蔓延する。インフルエンザのような症状から脳および脊髄の炎症を起こし、随意神経系が完全に麻痺してしまう。罹患者の多くが命を落とし、生きのびても"ロックイン"状態に陥る。意識はあるのだが身体がまったく動かない。ヘイデン症候群という呼称は当時のアメリカ大統領夫人の名前に因む。彼女は初期にこの病気に罹った患者のうち、もっとも有名人物だったからだ。合衆国では四百三十五万人もの居住者、ほかの先進国も同じくらいの割合の国民がロックインに陥った。彼ら(一般にはヘイデンと呼ばれる)を救済するため研究が進められ、およそ二年間のうちに「埋め込み型ニューラルネットワーク」や「個人輸送機(スリープ)」、さらに「アゴラ」と呼ばれる専用オンライン空間が実用化される。スリープはヒト型ロボットの外見と機能を持っており、ヘイデンはネットワークを介してそのなかに意識を入れこむ。ロックインから回復する手段はまだ見つかっていないが、スリープを用いれば健常者と同等の社会参加が可能だ。このスリープのリース費用をはじめ、ヘイデンのために社会福祉施策がおこなわれている。しかし、ヘイデンばかりが優遇されていると不満の声をあげる健常者も少なくない。そうした主張を受けて、ふたりの合衆国上院議員がヘイデンへの助成金を削減する法案を提出し、これがぎりぎりの過半数で可決してしまう。本書の解説で堺三保さんは「差別の定義を巡る対立など、まさに今の日本でも起こっているさまざまな対立の映し絵になっていて、読者に対して問題提起をすると共に作品のリアリティを高めている」と指摘する。付け加えるなら、この問題は人権や社会正義のレベルのみにとどまらず経済や産業へ大きく波及して、物語終盤の怒濤の展開へと結びつく。スコルジーの視野の広さは読みどころのひとつだ。

 ヘイデン症候群に罹患しても生きのび、ロックイン状態にも陥らずにすむ者がごく少数おり、そのなかのまた一部が脳構造の変化によって「統合者」の資質を得る。その数は世界で十万人程度。ヘイデン症候群のパンデミックを経た日常において統合者は誰もが知る存在なので、物語のなかではいちいち説明がされない。読者は作中人物のやりとりや前後の脈絡のなかで推測していくわけだ。このあたりは未知なる世界を描くSFの手法であり、またミステリ的な趣向とも言える。

 さて、物語はパンデミックの第一波から二十数年後にはじまる。主役のコンビのうち、若いクリス・シェインは物心ついてからのヘイデンで、FBI捜査官に採用されたばかり。彼は親が元プロバスケットの超人気選手だったおかげで子どものころから注目されることに馴れており、ちょっとシニカルな性格だ。さらに余裕がある者ゆえの鷹揚さと、ほどほどの慇懃無礼が塩梅良くブレンドされている。ヘイデンなのでスリープで行動をする。クリスはFBIの給料ではまかなえないグレードのスリープを使っていて、ちょっと筒井康隆の『富豪刑事』っぽい。

 クリスのパートナーになるFBIの先輩レズリー・ヴァンは元統合者。この「元」というのがミソで、読者はここで考えこむことになる。統合者というのは職業や資格なのか? それともある種の能力で、なにかの理由で衰えるのか? 統合者がどういうものかは物語の序盤で徐々に明らかになっていくのだが、自分で読んで知りたい読者もいらっしゃると思うので、ここでは伏せておく。レズリーはかつて統合者であった(もしくは統合者でなくなった)のせいか、どこか投げやりなところがある。捜査はしっかりおこなうし有能で頭もまわるのだが誰に対しても不遜だし、常軌を逸しない範囲ではあるものの喫煙、飲酒、相手を選ばないセックスなどの依存がある。

 育ちの良いヘイデンのクリスと、屈折した元統合者のレズリー。彼らが任されるのはヘイデン/統合者が関わる事件だ。コンビとなった直後に不可解な殺人が起こる。ホテルの七階の部屋で不審死があり、それと前後してその部屋の窓からソファが投げおとされた。初動捜査でわかった事実を列挙すると----

(1)死体は身元不明の男性。死因は喉の切り傷でガラスの破片によるもの。刺殺されたと考えられるが、自殺の可能性も拭えない。
(2)事件当時、ホテルの部屋にいたのはふたり。死んだ男と、その部屋に宿泊していたニコラス・ベル。ベルは統合者だった。
(3)ベルは血を全身に浴びた状態だったが、奇妙なことに両手には血がついていない。
(4)ベルは駆けつけた警官によって拘束される前に弁護士を呼んでいた。その弁護士はサミュエル・シュウォーツ。一介の個人が雇えるようなレベルの弁護士ではない。
(5)事件と関係あるかどうかは不明だが、ベルの妹は有名人物だった。ヘイデン分離主義急進派のカリスマであるカッサンドラ・ベル。
(6)現場にはニューラル情報をやりとりするヘッドセットが落ちていた。死んだ男が持ちこんだと推察される非正規品だ。ヘッドセットを使えば健常者でも、脳内にニューラルネットを埋めこんだヘイデンと同様----鮮明度では格段に落ちるが----に外部と感覚のやりとりができる。

 レズリーはこの事件の背景にキナ臭いものを感じる。弁護士シュワーツからのつながりで浮かびあがるのはアクセレント社会長のルーカス・ハバードの影だ。ハバードは地球上でもっとも裕福なヘイデンであり、アクセレント社は傘下にスリープ開発やニューラルネット関連の企業を抱えている。じつはハバードは、クリスの父親マーカス・シェインとも知りあいだった。マーカスはバスケット現役を退いてからは政治の世界へ転身し、ヘイデンの権利のために力を尽くしている。その活動を通じ産業界の重鎮ハバードとも深い交流があるのだ。このつながりはクリスの捜査の助けにもなるが、一方で家族を巻きこんでしまうリスクも負うことになる。スコルジーはこうした起伏のつけかたが上手い。

 ミステリの文脈でみると、『ロックイン』の世界では「アリバイ崩し」が複雑にならざるを得ない。アリバイとは犯罪が発生したときに自分がその現場にいなかったという不在証明だが、ニューラルネットを悪用すれば意識を別なボディへ移すことができる。通常はヘイデンがスリープを使うだけだが、こんかいの事件は現場にあったヘッドセットでトリックが構成された可能性がある。しかし、誰がどのように用いたのか、またそれをどう証拠づければよいか? クライマックスは捜査側と犯人側が互いに罠を掛けあう知恵比べだ。

(牧眞司)