吹田スタジアム。建設資金の多くを募金や寄付でまかなっているところに最大の特徴がある。出資したファンにとってそれはまさに「ホーム」。だとすれば、完成したスタジアムには、様々な角度からメスが入れられる必要がある。

 それこそが地元メディアに課せられた役割だ。140億円で作ったコストパフォーマンスに優れたスタジアム。だが、それだけで100点満点は出せない。注文すべき点、改善すべき点は少なからずあるはずだ。

 例えばスタジアムへのアクセス。これまで使用していた万博記念競技場を10点満点で7とすれば、新スタジアムは2か3。問題アリ。不便になったと感じている人は多いはず。ハーフタイムにできるトイレの行列については別の原稿で触れたが、いまのところ聞こえてくるのはいい話ばかりだ。

 完成したものを100%肯定し、問題意識なく受け入れようとする風習。新国立競技場問題に通底するものがある。

 善し悪しだけではない。何が「善し」なのか。セールスポイントがどこなのか報じられていないフシもある。臨場感。よく言われるのはピッチとスタンドの近さだ。しかし、それ以上に特質すべきは傾斜角。上階は35度あるという。おそらく日本一。世界的にもいい線を行っている。37度あるアムステルダム・アレーナやメスタージャの上階に迫る視角だ。

 視角こそが、よいスタジアムか否かを分ける生命線。いの一番に知らされるべき情報だ。視角がもたらすメリットにあずかる人の方が、臨場感がもたらすメリットにあずかる人より、絶対数で勝るからだが、この一連の報道の中で、視角について着目した言質に、遭遇したことはない。35度という数字が、建設前に大きく報じられることはなかった。

 日本で視角に最も問題を残すスタジアムといえば、2002年日韓共催W杯の決勝戦を行った横浜国際日産スタジアムだ。計ったわけではないけれど、記者席のある1階席は10度にも満たないと思う。2階の観客席は20度くらいありそうだが、臨場感は絶望的に乏しい。という話を、そのこけら落としの試合後、あるメディアで書いた。完成当初から生命線が揺らいでいるスタジアムだ、と。

 それから10数年が経過したが、横浜国際日産スタジアムについての問題点について迫ったメディアは数えるほど。W杯決勝クラスの試合を行ったスタジアムの中ではワーストといって過言ではないのに、だ。

 そこでなおもクラブW杯を初めとする大きな試合を行ってきた日本。昨日も、ゼロックス・スーパーカップ(広島対G大阪)を開催した。その6日前、こけら落としを行った吹田スタジアムの眺望とは雲泥の差。記者席に腰を下ろした瞬間、観戦する気力を失いそうになってしまった。

 両方の試合を客観的に比較することは難しいとはいえ、観戦場所、視角次第でサッカーの娯楽性が劇的に変化することを再認識させられる結果になった。

 これから建設が始まる新国立競技場はどうなのか。2020年東京五輪終了後は、球技場としてリニューアルされるという。横浜国際日産スタジアムで行われるサッカーの試合は以降、横浜Fマリノス絡みの試合に限られる。となれば、注目されるのは新国立競技場の視角、傾斜角だ。収容人員は球技場にリニューアルされれば8万人にのぼるという。吹田スタジアムの倍。まさに視角が生命線になる。ところが、その数字は明らかにされていない。メディアを通して開示されたのは写真画像のみで、しかもわずか数点。それが生命線であるとの認識すら共有されていない。

 その結果できあがってしまったのが横浜国際日産スタジアム。10数年前の教訓は生かされていない。それが大失敗作だとの認識さえ共有されていない。

 吹田スタジアムの素晴らしさについて語るなら、日本に存在する多くの失敗作についても語らないとバランスは取れない。吹田スタジアムに行き着くストーリー性が生まれない。

 建設にはとてつもない巨費が投じられるスタジアム。新国立競技場は1500億円。吹田スタジアムでさえ140億円かかった。まさに大事業だ。にもかかわらず、メディアの監視する目はユルユル。食い下がる力、批評精神はほぼゼロだ。

 吹田スタジアムは言ってみれば、15年遅れの産物。画期的ではあるけれど、画期的だと大騒ぎする姿に、自らの非進歩的な姿、後進性を見る気がする。