福島県郡山市の品川萬里市長が、日本記者クラブで会見。東日本大震災当日、海から北西へ強い風が吹いていたため、原発から漏れた放射線物質が同市中心部を直撃した。除染により年間被ばく線量が基準値を大幅に下回ったが、自主避難者はなお4000人以上に上るという。

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2016年2月19日、福島県中央部の中心都市、郡山市の品川萬里市長が、東日本大震災発生から間もなく5年になるのを前に、日本記者クラブで会見した。

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郡山市は未曾有の大震災で「震度6弱」の激震に見舞われた。全壊半壊家屋は5万7000戸、水道管破裂で断水し復旧までに21日かかった。福島第一原子力発電所から60キロ離れているが、事故当日、海から北西へ強い風が吹いていたため、漏れた放射線物質が運ばれ奥羽山脈に当たって郡山市中心部を直撃した。

関東や新潟など他都県への自主避難者は13年5月には5739人に達した。幼児や児童を連れた家族が中心で、大半が住民票を郡山に置いたまま。5年後の現在でも4593人がとどまり、5分の1が帰還しただけだ。一方で原発事故による放射線漏れで避難指示を受けている双葉町など原発立地自治体の住民約9000人が市内の復興公営住宅などに避難。役場を郡山に置いているところもある。今年1月現在の人口は33万6000人で震災前に比べ約3000人も減少したという。

市長が最も力を入れているのが放射性物質の除去と日々の監視・健康管理。一般住宅の除染は100%達成し、小中学校の除染もほぼ完了した。屋内の運動場や子供の遊び場なども建設した結果、小中学生の年間推定被ばく量(mSv)が15年秋には0.26と11年度の4分の1に激減。年間被ばく線量が基準値を大幅に下回っていることを精緻なデータを示して説明した。

ただ農作物などの「風評被害」について、「残念ながらまだ解消しておらず、福島県産というだけでやめたという反応も少なくない」と顔を曇らせた。コメ、牛乳も含め厳重な全量測定検査をして全部クリアしたものを出荷しており、「風評被害と言うよりも“食品安全に関する知識不足による影響”と呼んでいる。ただ食べてほしいというのではなく、あくまでも客観的にデータを示して安全であることを知ってもらいたい」と強調した。

◆震災後、市内の高校が全国コンクールでトップに

市長が明るい話題として紹介したのは、未曽有の震災にもかかわらず「子どもたちが頑張っている」こと。大学進学実績が向上し、市内の高校が全国合唱コンクールやロボット国際コンテストでトップに輝いたという。健康寿命が全国平均より相当高いことや産業立地が震災後も活発化しているなども、統計資料や事例を挙げながらアピールした。

記者会見の最後に、市長が取り出したのが『福島県民23人の声』という震災後に刊行された本。市内の高校の化学の先生が震災直後に教材のガイガ―カウンター(放射能測定器)を使って子どもたちの安全のために放射線量を克明に記録したものが掲載されており、「子どもたちの凛々(りり)しい活動を教師たちがいかに支えたかが分かって、感動しました!」と涙ぐんだ。(八牧浩行)