2月17日に正式発表されたのが、ラベッシの河北華夏幸福行きだ。直前まで最有力と見られていた上海申花が提示した年俸1500万ユーロ(約21億円)と同規模の条件で、2年契約を結んだと見られる。

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 この冬の移籍市場は全体的に静かだった。イングランドやスペインでは目立った動きがほとんどなく、イタリアでは国内の注目選手が中堅どころからビッグクラブに動いたケースは見受けられたものの、どれも国際指標に照らせば特筆に値する移籍ではない。ドイツも同じような状況だった。
 
 しかしこれは、あくまでヨーロッパに限った話だ。メルカート最後の10日間、欧州市場は中国勢の“爆買い旋風”に文字通り翻弄された。ヨーロッパの移籍期限前(主要リーグのほとんどが2月1日で、中国のそれは2月26日)にジェルビーニョ(ローマ→河北華夏幸福)やラミレス(チェルシー→江蘇蘇寧)、フレディ・グアリン(インテル→上海申花)、さらにそれ以降にジャクソン・マルティネス(A・マドリー→広州恒大)、アレックス・テイシェイラ(シャフタール→江蘇蘇寧)、そして2月17日に決定したばかりのエセキエル・ラベッシ(パリSG→河北華夏幸福)と、ヨーロッパの強豪クラブに所属するハイレベルなプレーヤーが、続々と中国からの札束攻勢の前に陥落した。
 
 実際に移籍が成立した彼ら以外にも、ルイス・アドリアーノ(ミラン)、ロイク・レミ(チェルシー)、ナニ(フェネルバフチェ)などに1000万ユーロ(約14億円)単位のオファーが舞い込んだ。
 
 とりわけ、1月の最終週にはどのクラブにも、名の知れた大物代理人から無名の仲介人まで、それこそ有象無象が入り乱れて中国からのオファーが持ち込まれるという、てんやわんやの騒ぎが繰り広げられた。例えばジェルビーニョやグアリンには、それぞれ4〜5クラブから声がかかった。
 
 クラブサイドはまず、話を持ってきた仲介人が信頼できる人物なのか、また交渉相手のクラブからの委任状は本物なのか、それを確かめるところから始めなければならなかった。それだけでもかなりの時間を費やし、本格的な交渉のテーブルに着く前に時間切れになった案件がいくつもある。
 
 なにしろひとつのクラブから、同じような内容のオファーを複数の異なる仲介人が持ってくるケースが少なくなかったのだ。しかも、そのうちのいくつかは信頼に値しない代物だった。
 しかしそれでも、この冬の中国旋風はある意味でエポックメーキングな出来事だったと言える。なにしろ、これまでとは明らかに様相が違っていたのだ。従来はピークを過ぎた選手がキャリアの晩年に一稼ぎするために、サッカー界の中心から遠く離れた地域でのプレーを甘んじて受け入れていた。
 
 しかし、A・テイシェイラはまだ26歳、ジェルビ―ニョとラミレスにしても28歳だ。トップレベルで通用していた働き盛りが、ヨーロッパの基準に照らせば明らかに法外な金額を提示されて中国に流出するという、前例のない現象が初めて起こったのだ。
 
 例えば、ラベッシ(パリSG)にしても、河北華夏幸福と契約する前に交渉していた上海申花から提示された年俸は、1500万ユーロ(約21億円)というとてつもない額だ。ヨーロッパではクリスチアーノ・ロナウドとリオネル・メッシしか手にしていない水準の金額である。
 
 中国からのオファーが舞い込む直前まで交渉していたチェルシーの提示額は350万〜400万ユーロ(約4億9000万〜5億6000万円)。その前に合意しかけていたインテルのそれが300万ユーロ(約4億2000万円)だった事実を考慮すれば、どれだけスケールの違う数字かがわかるだろう。ラベッシにはそれ以外にマンチェスター・ユナイテッドからもオファーが届いていた。
 
 複数の有力クラブから誘いが来ていたからだろう。ラベッシ自身は当初、中国行きにそれほど乗り気ではなかったという。しかし1500万ユーロという数字を前にして、一体どうすればいいというのだろう。これほどのオファーに対しては、エージェントや家族も執着を見せて当然だ。