中国メディアの環球網は14日、日本の早稲田大学で26日まで、100年前の史実を回顧する、宮崎滔天と早稲田大学に学んだ中国留学生を紹介する展覧会が開催されていると紹介する記事を掲載した。(イメージ写真提供:123RF)

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 中国メディアの環球網は14日、日本の早稲田大学で26日まで、100年前の史実を回顧する、宮崎滔天と早稲田大学に学んだ中国留学生を紹介する展覧会が開催されていると紹介する記事を掲載した。

 環球網は「愛国論調」で知られ、日本を激しく攻撃する記事も多いが、同記事では、辛亥革命を成功させた孫文を日本人の宮崎滔天が支援し、その他にも、日本を留学した多くの中国人が、時代を動かす力になったと主張した。

 記事はまず、日本の思想家である宮崎滔天は、早稲田大学の前身である東京専門学校で学んだことがあり、日本に亡命した孫文を支援したと紹介。早稲田大学で開催中の「日中友好の懸け橋 宮崎滔天と早稲田に学んだ中国留学生」では、宮崎滔天と孫文の漢文で書かれた筆談書や、中国共産党の創設者の1人となった李大〓の書簡などの、「一級史料」が展示されていると紹介。(〓は金へんにりっとう)

 記事はさらに、早稲田大学が中国人留学生の受け入れを始めたのは1899年で、「清国留学部」を設けて十数年で1000人以上の中国人を卒業させ、筑波大学や中央大学の前身である教育機関も積極的に中国人を受け入れたことにも触れた。そして、留学生は帰国してから、教育家、政治家、法律家などとして活躍し、清朝を滅ぼし、中華民国を誕生させ、さらには中華人民共和国を成立させ、中国の現代史を導いたと論じた。

 中国社会科学院で日中近代史研究員を務める李長莉氏は「両国関係が困難に直面している現在、これらの前の世代の事跡を知る重要性はさらに大きい。歴史は、民間交流が拡大し、両国の友好の土台がしっかりとすれば、両国の長期に渡る安全をにとって助けになる」と述べたという。

◆解説◆
 宮崎滔天は犬養毅の紹介で孫文に知り合ったとされる。宮崎だけでなく、頭山満、内田良平、松方幸次郎、安川敬一郎、鈴木久五郎、梅屋庄吉など多くの日本人が孫文を支援した。

 孫文は日本に亡命していた際、日比谷を散策をした際に立派な家に「中山」の門札があるのを見かけ(中山侯爵宅)、日本人風の中山樵を偽名とした。清国の官憲に狙われており、暗殺される恐れもあったからだ。その後、中国語名として「孫中山」を用いるようになった。中華圏では「孫中山」と呼ばれることが一般的だ。

 中国ではさまざまな都市で、「中山路」などの孫中山にちなむ地名がある。広東省広州市にある孫逸仙大学は、むしろ中山大学の通称の方が知られる。孫逸仙は孫文の別名。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)