東日本大震災から間もなく5年。宮城県名取市では、大津波によって消滅した海岸林や田畑を再生する事業が進行。計画を推進する吉田俊通・公益財団法人オイスカ啓発普及部副部長(写真右)と櫻井重夫「名取市海岸林再生の会」副会長が10日、日本記者クラブで会見した。

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未曽有の東日本大震災が発生した2011年3月11日から間もなく5年になるが、被災地の復興は道半ば。福島第一原子力発電所事故のあった福島県では復興が遅れ、約10万人が今なお避難所生活を余儀なくされている。

こうした中、宮城県名取市では、大津波によって消滅した海岸林や田畑を再生する事業が進行している。この再生計画を推進する吉田俊通・公益財団法人オイスカ(OISCA)啓発普及部副部長と櫻井重夫「名取市海岸林再生の会」副会長が2月10日、日本記者クラブで会見した。大津波により壊滅的な被害を受けた海岸林を再生するために、民間ベースでクロマツ約50万本の育苗・植栽を行っているとし、「森づくりには人づくりが不可欠と考えており、人々に頼りにされる森にしていきたい」と抱負を語った。両氏の発言要旨は次の通り。

日本の沿岸の津々浦々には、いずれも人の手で植えられてきた海岸林が存在する。海岸林の多くは森林法に規定される「保安林」として指定され、飛砂・飛塩防止、防風、高潮防備、生物の多様性保全、「白砂青松」としての景観など、多くの機能を持っており、その地に生活する人々にとって海岸林はまさに生活インフラといえる。

名取市を含む宮城県南部沿岸域は、400年前の伊達政宗公の治世の時代に農地開墾されるのに合わせ、遠州(現 静岡県浜松市)から苗を取り寄せ、海岸林を造成した。400年に渡り先祖代々守り続けてきた。海岸林の後背地には一大農産地が広がり、コメや小松菜、チンゲンサイなどを生産してきた。

しかし、東日本大震災での津波により、海岸林が甚大な被害を受けた。被災面積は、被災した6県全体で3659ヘクタールにのぼる。宮城県の被害はその半分の1753ヘクタールに及ぶ。

仙台空港のある名取市は津波に飲み込まれ、全長5キロの海岸林や広大な農地が水没。仙台空港のターミナルビル屋上が避難場所になったほどだった。当時、津波は様々なものを巻き込み、ただ呆然とするだけだった。

生活インフラである防風、防砂、防潮、防霧などの機能を有する海岸林の再生は、市民生活の災害からの取り戻しはもとより、農業の復興にも不可欠である。

◆地元の雇用創出、毎年1400人以上

オイスカは、アジア・大洋州諸国における農業の技術指導や緑化活動を50年以上行っている。その経験を生かし、震災復興のためにできることを考えた結果が「海岸林の再生」だった。海岸林再生を目指すにあたり、「地元住民の強い意志がない限り、成功しない」というオイスカの海外現場での経験から、震災直後から地元の方々の声を集め、ニーズを探った結果、宮城県名取市で海岸林再生のプロジェクトを立ち上げた。年間1600人に及ぶボランティアの協力と民間資金導入により、効率的な育苗・植林・育林作業を実施。地元に毎年1400人以上の雇用を創出している。

国・自治体の復興計画に沿い、行政と民間の連携・協働を推進し、東日本大震災からの発展的・創造的復興の一端を担うことを目指す。2020年までに、クロマツ約50万本の育苗・植栽を行い、100haの育林を2033年まで行う。総事業費約10億円は民間からの寄付金でまかなう。大企業や労組の支援が多いが、個人や小口法人の寄付も増えている。森づくりには人づくりが不可欠と考えており、「人々に頼りにされる森」にしていきたい。

「名取市海岸林再生の会」は震災前に小松菜やチンゲン菜などを栽培していた農家仲間が12年2月に立ち上げた。長年の農家経験を活かし、海岸林を再生するとともに、被災された方々の生活支援のために雇用を創出することを基本的な目標としている。(八牧浩行)