NHK 大河ドラマ「真田丸」(作:作三谷幸喜/毎週日曜 総合テレビ午後8時 BS プレミアム 午後6時)
2月7日放送 第5回「窮地」 演出:木村隆文


不在であることで一層存在感を増す信長


第4回のラストだけで終わりじゃなかった【本能寺の変】に少々安堵。
とはいえ、なんだか長いオープニングよりも短く、実質3分もなかった。
それだけ、【本能寺の変】が誰もが予想し得なかったあまりに突然の出来事だったことと、圧倒的な強さを誇った信長(吉田鋼太郎)の最期のあっけなさや虚しさが色濃くなり、三谷幸喜の【本能寺の変】は、短いながら意欲的なものだったと言えるだろう。

燃え盛る本能寺で、信長を出さずに鎧の頭が落ちる(中は空っぽ)という演出と、35分めあたりからはじまる、信長の家臣・滝川一益(段田安則)が真田昌幸(草刈正雄)と信幸(大泉洋)に、信長の理想(戦のおきない世の中を作る)について語る場面によって、歴史の中の織田信長の不在の大きさも一層印象深くなっている。視聴率も、第四回の17.8%から19.0%に上がった。

そこにいない人物を、関わった人たちの会話のみで浮き上がらせる三谷作品と言えば、読売演劇賞ほか多くの賞をとっている舞台「国民の映画」(2011年初演)がある。これは、ナチスの宣伝大臣ゲッペルスが主役の作品で、ヒットラーの名前を一度も出さずにその支配下にある人たちの生活を描いた傑作だった。

三谷は「真田丸」第5回を、本能寺の変後のわずか2日の間、突然の軍事クーデターで、トップを失った人々がどうするか、ユーモラスに描きだした。
それを、昌幸率いる真田一家と徳川家康一行(内野聖陽)、後に運命の戦いをする2組の、各々の命からがらの行動を交互に描いたのは狙いであろう。
信長死すの情報が、迅速かつ正確に各所に伝わらないことを前提に描いているのもリアルだ。

決死の神君伊賀超え


まず、家康のターンーーいわゆる【伊賀超え】は、徹底して喜劇的だった。
信長が討たれたかもしれないと聞いた家康は、もし信長が生きていたら助けにいかないと後がこわいと言いだすとか、落ち武者狩りをおそれた穴山梅雪(榎木孝明)が、落ち武者狩りにあってしまう皮肉だとか、
“半蔵(浜谷健司)「全力で押しとおりまする」
家康「またか」
みんなで、わー、わーと押しとおる。“
など、半ば自棄になって逃げる家康たち。ついには、へとへと、ドロドロになって亜茶局(斉藤由貴)の膝に頭をうずめ「死ぬかと思った」と言う家康。とにかく死にたくない気持ちと生きて帰れて良かったという気持ちが真に迫っていた。

「困り顔の信幸


一方、真田。こちらはさらに、信州真田の里の昌幸と信幸(大泉洋)と、安土にいた信繁(堺雅人)とに二分される。
昌幸は相変わらずで、「チキショー! なんで死んでしまうかの 信長め!」とばかでかい声を出し、「この荒波を渡り切ってみせる」「誰がこの世の覇者になるか しかとこの目でみきわめてくらいついてやるわ」とまたまた知恵を巡らし、上杉景勝(遠藤憲一)につこうと試みる。
父の言動に、いちいち疑問を感じているふうの大泉洋のいぶかしげな眉と目の動きがいい。
「本心を聞かせて」と訊ねる信幸。
「わしの本心か 
では はっきり言おう
全く分からん!」と父。
ちゃらちゃらちゃ〜〜とテーマ曲が流れ、キョトンとする信幸。
「教えてくれー」と逆に質問されて えええ・・・という顔の信幸。
「面白うなって来た」と言われて、がっつり目を伏せてしまう信幸。
信幸「父上は海を見たことがないのか?」
高梨内記(中原丈雄)「いえ そんなことはないと思いますが」
信幸「だよな・・・」というときの信幸も可笑しい。
織田家臣としての道を貫くべきという真面目な信幸の辛さはいかばかりか。

臨機応変にもほどがある昌幸の言動は、「真田丸」の毎週のお楽しみとなっているが、ちょっとパターン化してきたかなあとも思っていると、この回は、信繁が真っすぐに大活躍する。
安土城に人質としている松(木村佳乃)を明智軍から守ろうと、馬を駆ったり、アライグマ(狸?)から抜け道を発見したりと大奮闘する信繁少年の場面は、冒険活劇のようだ。このへんの子供が見てもワクワクする感じは、「連続人形活劇 新・三銃士」(09〜10年)の経験が生きているように思う。

三谷が初めて書いた大河ドラマ「新選組!」(04年)以降、この12年間の彼は、歌舞伎や人形劇、文楽などいろいろなジャンルに取り組み、前述の「国民の映画」のような重い題材の戯曲にも挑むなど、世界を広げてきた。その積み重ねが「真田丸」に大いに生きてきそうな気がしている。
(木俣冬)