リオ五輪では、「ベストを尽くします」と語るラムちゃん

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ラグビーの次に世界を驚かすのは女子バスケ! そんな期待をせずにはいられない。

国際試合禁止という苦しい時期を乗り越え、3大会ぶりに五輪出場を果たす日本女子バスケ、躍進するチームを牽引する“ラムちゃん”に初の大舞台への思いを聞いた!

193cmの長身、速攻の先頭を走る走力、現役日本人女子で唯一、ダンクシュートができる身体能力を誇る渡嘉敷来夢とかしき・らむ)(24歳)。バスケット選手に必要な才能のすべてを兼ね備え、100年にひとりの逸材どころか、金輪際(こんりんざい)出現しないかもしれない存在だ。

高さと速さ。そして、もうひとつの武器を彼女は持つ。チーム練習を終え、取材場所に現れた彼女は言った。

「週プレさんってことは、袋とじのグラビアですね?」

とにかく明るい渡嘉敷。その笑顔がチームを牽引(けんいん)する。日本の大エースがリオ五輪への意気込みを熱く語った!

―昨年9月、アジア選手権(五輪予選)を制し、3大会ぶりの五輪出場を決めました。今さらですが、おめでとうございます。

渡嘉敷 ありがとうございます! 私、ロンドン五輪の最終予選はケガで出られずTV観戦だったんです。負けて泣き崩れるチームメイトを見て、「次は絶対に私が五輪に連れていく」って決めていたんで実現できて嬉しいです。

―昨年、WNBA(アメリカ女子プロリーグ)に挑戦したのも五輪出場の夢を叶(かな)えるためですか?

渡嘉敷 はい。世界のトップレベルの選手が集まるんで、「このリーグでプレーしたら成長できる。日本代表のためにもなるはず」って。

―ただ、日本は2014年11月にFIBA(国際バスケットボール連盟)から制裁処分を受け、代表チームが国際大会に参加できない状況が続いていました。不安はありませんでしたか?

渡嘉敷 自分はあまり気にしなかったですね。それこそ、そういった問題は川淵(三郎)さんたち上の方に任せようって。選手がやるべきことはコートでバスケットをすることだけだと思っていたので。その分、上の方たちが頑張って、「制裁が解除されて国際大会でプレーできるようになりました」ってなった時に「はい。準備はできています!」って言えるように、できる限りのことをやっておこうって。

―日本バスケットボール協会会長の川淵さんは、どんな印象の方ですか?

渡嘉敷 熱い人だなって。私はアメリカにいたんですが、(昨年8月に)制裁が解除され、日本代表の合宿が始まった時に選手の前で「心配をかけて申し訳なかったね」って涙を流してくれたとチームメイトが教えてくれました。それを聞いて、自分はグワッとこみ上げるものがありましたね。「川淵さん、泣かないでください。五輪に連れていきますから!」って。

―では、実際に経験したWNBAはどうでしたか?

渡嘉敷 楽しかったって言葉しか出てこないですね。自分より大きい選手、強い選手がいっぱいいて別世界でした。「私、全然ダメじゃん!」って思いましたもん。そうしたら楽しくなっちゃって。

―楽しい? 日本では常にチームの中心選手でした。自分よりうまい選手たちに囲まれたのは挫折だったのでは?

渡嘉敷 日本のトップはアメリカのスタートラインにすぎないというか。自分のゴールは日本のトップじゃないんで。負けず嫌いですし、挫折どころか「やってやる!」って燃えましたね。「バスケットって簡単には点は取れないんだ」って初めて思えて、むしろ楽しかったです。

―日本とアメリカ、一番の違いはどこでしたか?

渡嘉敷 高さはもちろん、やっぱり当たりの強さですね。ディフェンス中に(リバウンドの)ポジションを取っても、気づけば押し込まれてリングの真下にいて、「(ゴールに)入ったボールしか落ちてこないよ」みたいな(笑)。

―渡米前、「小学生レベル」と話していた英語は?

渡嘉敷 ミーティングで難しいことを言われるとポカーンでしたけど、バスケット用語は聞き取れるので、練習や試合の指示は結構わかったんです。あとは「OK!」って笑顔で乗り切って。日本でもアメリカでも、バスケットのルールは一緒なんで(笑)。

―その明るさが、チームに溶け込めた要因でしょうか。

渡嘉敷 結構、チームでいじられキャラでしたからね。チームメイトは私が踊れないのを知っているのに「ちょっと踊って!」とか言ってきて。自己流で踊ると「何それ!」って笑ってくれたり。すごくいい人たちばっかりで、本当によくしてくれたので、ホームシックにも全然ならなくて。

むしろ、日本に帰ってきて“シアトルシック”になりましたからね。アジア選手権のためにチームを一時離脱する時も、チームメイトが「このリーグでやっているんだから絶対大丈夫!」って勇気づけてくれました。

■「本当にメダルも狙えると思う」

―日本代表に合流したのは大会開幕5日前。不安はありませんでしたか?

渡嘉敷 フォーメーションは飛行機の中で覚えましたけど、やっぱり実際に動いてみないとわからない、細かな部分ってありますからね。不安がなかったと言えばウソになりますけど、チームメイトに「好きなようにやってくれたらいいよ。自分らが合わせるから」って言ってもらえて。その言葉にスゴく救われた部分がありましたね。よし、どう動いていいかわからなくなったら自分で攻めようって。

―日本代表のキャプテンであり、所属するJX‐ENEOSのチームメイトでもある吉田亜沙美選手からは何か言われましたか?

渡嘉敷 いえ、特には。もう6年くらい組んでいるんで、言葉を交わさなくてもわかり合えているというか。「今、パスが欲しい」と思った時には、もうパスが飛んできている。やっぱりパスをくれるのはこの人だって信頼感がありましたね。

―ただ、下馬評では中国がアジアNo.1との声も多かったですが。

渡嘉敷 全然負ける気はしなかったですけどね。過去の戦績では中国、韓国に負けているかもしれない。でも、そんなの関係ないですもん。関係あるのは目の前の試合だけなんで。自分たちのほうが強いって言い聞かせていましたし、「自分らならできる。ここでやらなきゃ、おまえはアメリカで何やってたんだ!」って思っていたんで。

―結果、決勝では中国相手に35点差の圧勝でした。

渡嘉敷 気持ちじゃないですか。中国は地元開催でかなり気合いが入っていましたけど、チームがよりひとつになっていたのが日本だったのかなって。

―2大会連続の大会MVPもお見事でした。

渡嘉敷 嬉しいですけど、やっぱり勝てたことが一番嬉しかったです。勝った瞬間、ホッとしたというか。気づかないうちに、実は自分にかなりプレッシャーをかけていたんだなって。

―大会後、そのまま渡米してチームに再合流。疲労もあったのでは?

渡嘉敷 大丈夫です。ただ、(日本代表の)みんなと一緒にワイワイできなかったのが残念でしたけど。アメリカのチームメイトには「ジャパニーズ・センセーション!」「(アジア大会MVPの)有名人が戻ってきた!」って冷やかされました(笑)。

―その後、WNBAのルーキー・ベスト5に選出。充実のシーズンでしたね。

渡嘉敷 そんな賞があるのは知りませんでしたけど、自信にはなりましたね。

―リオ五輪では、メダルの期待もかかります。

渡嘉敷 みんなには「大きなことを言え」って言われるんですけど、まずはベストを尽くします。それが本当にメダルという形になれば最高ですし、自分たちがやるべきことをできれば、本当にメダルも狙えると思うんで。あえて大きなことは言いませんけど、ベストを尽くします。

―お母さんは、娘の晴れ舞台を見るためにパスポートを取ったそうですね。

渡嘉敷 はい。でも、リオは遠いので、「来なくていいよ」って言っています。

―せっかくの五輪の舞台なのに?

渡嘉敷 自分は東京五輪も出るから、その時に見に来てって。私、20年に29歳なんで。

―少なくとも、あと2大会は日本代表を牽引するという宣言ですね。

渡嘉敷 そうですね。「自分がやらなきゃ!」ってことは常に思っているので。自分が日本のバスケを変えなきゃって思ってます。まずはリオで、「チョー気持ちいい!」みたいな名言を残せるように頑張ります!

渡嘉敷来夢(TOKASHIKI RAMU)

199 1年6月11日生まれ、埼玉県出身。日本とアメリカのハーフの父を持つクオーター。中学1年でバスケを始め、桜花学園高(愛知)から20 10年に名門ジャパンエナジー(現・JX−ENEOS)に入団。昨季オフにはWNBA(アメリカ女子プロリーグ)のシアトル・ストームでプレーし、ルーキー・ベスト5に選出。昨年9月のアジア選手権ではMVPとベスト5を2大会連続で受賞し、3大会ぶりの五輪切符獲得に貢献した。身長193cm、体重85kg

(取材・文/水野光博 撮影/ヤナガワゴーッ!)