「岡崎ら“ミラクル”レスターのスタメン11人、5年前の今頃何してた?」

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今季のプレミアリーグで首位に立っているレスター。昨季は残留争いをしていただけに、この躍進を予想できた人間は多くないはず。

そんな驚きの快進撃を見せているレスターのスタメン11人(とラニエリ監督)は5年前の2011年にはどうしていたのか?という話題を『telegraph』が伝えていた。

GK カスパー・シュマイケル(当時英2部リーズ)

もとはマンチェスター・シティのアカデミー出身。ただ、ジョー・ハートの出現によって、ローン暮らしに明け暮れた後に退団。

2011年の初頭はリーズに在籍しており、FAカップ3回戦vsアーセナル戦では、「Man of the match」のパフォーマンスを見せた(リプレイの末にチームは敗退)。その夏、彼と再会したがっていたスヴェン=ゴラン・エリクソン監督によって、レスターに引き入れられた。

リーズがレスターからのオファーを受け入れたことについては「物凄くがっかりした」と述べたことも。

DFダニー・シンプソン(当時英2部ニューカッスル)

もとはマンチェスター・ユナイテッドのアカデミー出身。2010-11シーズンは、前年にローンされていたニューカッスルへ完全移籍し、チームのプレミア昇格に貢献した。

また、2011年の初頭には、アウディR8で速度超過を犯したことでも見出しを飾った。その違反についての審判では、「運転手を雇う余裕がない」と抗弁した…。

DFウェズ・モーガン(当時英2部ノッティンガム・フォレスト)

現在はジャマイカ代表としてもプレーしているが、もとはノッティンガムの生まれ。2011年当時は地元ノッティンガムでの9年目を迎えていた。

そんな彼だが10代の頃には、ノッティンガムのお隣であるノッツ・カウンティから太り過ぎだとして断られた経験がある。その後、ダイエットを敢行し、ノッティンガムでは400試合以上に出場。英2部におけるベストDFのひとりとしての地位を確立した。

レスターは2012年1月に100万ポンド(現レートで1.6億円)で彼を獲得している。

DFロベルト・フート(当時ストーク)

2009年にミドルズブラからストークへ500万ポンド(現レートで8.3億円)で移籍したフート。当時は4年契約のちょうど真ん中にあった。

このドイツ人DFは2010-11シーズンに、驚きのゴールラッシュを見せていた。ストーク史上初めて、DFとしてシーズン9ゴールをマーク。また、FAカップでは決勝に進出したが、マンチェスター・シティに0-1で惜敗している。

DFクリスティアン・フックス(当時マインツ※ボーフムからローン)

昨夏、シャルケでの4シーズンを終えてレスター入りしたオーストリア代表のキャプテンであるフックス。レスターでは数少ないチャンピオンズリーグ経験者でもある。

2011年当時はマインツでブンデスリーガ31試合に出場、当時の監督はトーマス・トゥヘルであった。

MFリヤド・マフレズ(当時、仏4部ル・アーヴルB)

今季プレミアリーグのDFたちを引き裂いているこのアルジェリア人ウィングは、5年前フランス下部にいた。当時、ル・アーヴルはPSGとマルセイユから彼に対するオファーを蹴っている。

その後はリーグドゥでプレーすることになるが、リーグのスタイルは彼のセンスにマッチしていなかった。(個人ではなく)チームプレーに依存し、スコアレスドローが多すぎると彼は感じていた。

MFエンゴロ・カンテ(当時、仏2部ブローニュのユース)

今季序盤にジェイミー・キャラガーはアーセナルでのペトル・チェフ以上に、この小柄なフランス人MFに感銘を受けたと語った。

5年前の彼はブローニュのユースにいて、2年後にカーンへと移籍することになる。彼の獲得を推薦したレスターのスカウト部門トップのスティーヴ・ウォルシュは、ビッグなボーナスを得られるはずだ。チームメイトから「The Rash」と呼ばれるカンテは、今季のベストバイになり得る。

MFダニー・ドリンクウォーター
(当時、英2部カーディフ※マンチェスター・ユナイテッドからローン)

もとはユナイテッドのアカデミー出身。当時カーディフに貸し出されるもインパクトなしに終わり、1月末にワトフォードへとローン先が変更された。カーディフのファンたちはパッとしなかったパフォーマーとして彼のことを覚えている。

今やレスターの中盤の核になっているドリンクウォーター。ゲームへの影響力以上に、そのエネルギーと稼働率が評価されている。

MFマーク・オルブライトン(当時、アストン・ヴィラ)

地元ヴィラで当時21歳を迎えていた彼は、期待の大器と評価され、サイン攻めにあっていた。2011年の後半には、アーセナル戦でプレミアリーグ史上2万ゴール目となる得点を記録。

だが、そこでツキが無くなり、2014年にヴィラから放出された。この快足MFをレスターが4年契約で獲得し、今季はラニエリのもとでレギュラーになった。

FWジェイミー・ヴァーディ(当時、英7部ハリファックス・タウン)

当時下部ハリファックス・タウンでプレーしていた彼は、その前年に26ゴールを叩き出し、すでに頭角を現していた。2011年夏に6部フリートウッド・タウンへ移籍、その後は歴史である。

あのルート・ファン・ニステルローイの連続得点記録を破り、文字通り彼はプレミアリーグの歴史となった。

FW岡崎慎司(当時、シュトゥットガルト)

この日本人ストライカーは2011年1月にJリーグの清水エスパルスからシュトゥットガルトへ移籍し、新たな生活をスタートさせていた。当時24歳の彼はドイツで(最初は)苦しんだ。

初めてフルでシーズンを戦った年はブンデスで1得点しか決められず、翌年にマインツへと移籍した(実際は初フル参戦した2011-12シーズンは7得点。1得点だったのは12-13シーズン)。

監督クラウディオ・ラニエリ(当時ローマ監督)

2011年2月にローマの監督を辞任したラニエリ。最後のジェノア戦は、3点をリードしながら、4失点しての大逆転負け(3-4)だった。

その後7か月の休みを経て、ジャン・ピエロ・ガスペリーニが5試合で4敗を喫して首にされた後のインテルの指揮官に就任している。