患者には「知る権利」だけでなく「知りたくない権利」も(shutterstock.com)

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 話題の医療ドラマ『フラジャイル』(フジテレビ系)の主人公は、病理医・岸京一郎(長瀬智也)。医療の"縁の下の力持ち"だった「病理」を軸に、医療の裏側を巡るエピソード、多彩な人間模様が描かれて原作ともに人気を博している。

 病理医の診断は、岸の決めゼリフ「あんたが医者であるかぎり、俺の言葉は絶対だ!」に表されているとおり、患者の治療方法、ひいては予後を大きく左右する。

 ドラマ第4話は、がんが疑われていた30代女性が、実はがんではなく「家族性大腸ポリポーシス」だったというエピソードだった。この大腸ポリポーシスは、大腸に多発するポリープが「大腸がん」へと移行する疾患だ。多くの患者が、40歳までに大腸がんとなる。しかも、遺伝病(遺伝するがん)のため、その血を引く子どもは50%の確率で大腸ポリポーシスに、つまり、大腸がんになると予測される。

 劇中では、幼い我が子を前に思い悩む患者女性に、どう病理診断を告げるのか、という議論が交わされる。最終的には、大腸をすべて切除するという手術を決断して......。

 正確な病理診断は、ときに残酷な結果を伝えることになる。遺伝性の病気の場合、子どもの血液をDNA診断すれば、それが引き継がれたのかどうか簡単にわかってしまう。だが、子どもの血液をDNA診断すべきかどうかは、大きな問題だ。

 そう、患者の"知らない権利"が問われるからだ。

「30代の女性に人工肛門(ストーマ)に耐えよというのはあまりに酷だ」

 漫画原作の裏付け取材に応じた協力者の一人である藤田保健衛生大学医学部の堤寛教授(病理学)は、このエピソードについて次のような感想を述べた。

 「子ども本人の"知らない権利"が守られなければならない。親の意向でDNA診断していいだろうか? 40歳になったら大腸がんになることを幼い子どもが知って、何か得なことがあるだろうか? 検査に関わる重要な倫理問題をはらんでいます」

 「ドラマでは、治療として、まだがんにならないうちに、大腸を全摘することが当然のように演出されていた。実は、これも大きな問題点を抱えている」

 堤教授は、手術による「生活の質(QOL)」の問題を指摘する。

 「家族性大腸ポリポーシスでがんが発生しやすいのは直腸。手術するなら直腸粘膜までを全摘する。ドラマでは、肛門まで大腸を全切除して、おなかの皮膚に人工肛門(ストーマ)をつくらねばならないと告げられていた。この手術(マイルズの手術)は生活の質(QOL)を著しく低下させることは間違いない。30代の女性に『耐えよ』というのはあまりに酷だろう」

 「ドラマでは残念ながら紹介されなかったが、最近では大腸ポリポーシスに対する外科治療は『回腸肛門吻合術』が標準の術式。この手術法は、直腸粘膜をすべて切除するが、肛門括約筋は温存する。そして、小腸の末端部(回腸)を肛門につなげる。人工肛門は術後一時的につくられるが、落ち着けば閉鎖され、便は肛門から排泄できるようになる」

 「この手術は難度が高いので経験豊かな外科医にゆだねることになる(どの病院でもできる手術ではない)。ただし、術後は大腸がないため、軟便が続くことは避けられない」

 もう一つ、ドラマでは出てこなかった、とても重要な事実がある。この病気は、「ガードナー症候群」といわれている優性遺伝疾患と原因遺伝子が同じ(つまり同じ病気)。ドラマの女性患者は、大腸以外の病変、子宮頚部のLEGH(分葉状子宮頚管腺過形成)でみつかっているので、ガードナー症候群に属す可能性が高い(ガードナー症候群は、大腸ポリポーシス+消化管外病変の合併が特徴)。

 ガードナー症候群では、がんにつながる無数のポリープができるだけでなく、腹壁や腸間膜に「デスモイド腫瘍」という浸潤性の良性腫瘍が発生する。デスモイド腫瘍は良性なので転移はしないが、浸潤性を示すため、取り切るのが難しい。

 「このデスモイド腫瘍は、妊娠による腹壁の伸長が原因となるし、手術で腹壁や腸間膜を切り取ることが明らかな誘因となる。つまり、手術そのものがデスモイド腫瘍をもたらす成因になりうる(必ず生じるわけではない)」

 「手術が次のデスモイドを誘発し、最終的に腹壁がなくなるほど広がることになりかねない。もし、デスモイド腫瘍が腸間膜にできると、腸閉塞をきたして死を招きかねない」

 「このリスクは、大腸がんと並ぶほど重要なのです。だから、単純に大腸を切除すれば大丈夫というのは必ずしも正しくない。できれば"スーパードクター"京一郎には、ここまで突っ込んでほしかった!」
患者には「知る権利」と同様に「知らない権利」や「知りたくない権利」もある

 「患者にとって病理診断は"決定的"なのです。『標本の向こうに患者がいる』。病理医には、患者の不安を感じとり、『知らない権利』にも配慮できるかが求められています」

 堤教授は、患者の「知らない権利」「知りたくない権利」について、「もちろん、医療者や研究者が勝手に遺伝子検査をして、遺伝病をみつけて、本人や家族に勝手に知らせるなどもってのほか。成人になってから発症する遺伝病が、いちばん厄介ですね」と指摘した上で、以下のような症例を挙げる。

 「たとえば、『家族性アミロイドーシス』という末梢神経の麻痺をきたす疾患や『ハンチントン病』という認知症をきたす疾患は"優性遺伝"します。家族性大腸ポリポーシスでも同じことがいえます。発症するのは、患者さんに子どもができたあとのことが多い」

 「これらは、ほんの一滴の血液を調べるだけで、簡単にDNA診断(遺伝子診断)できてしまう。『あなたは40歳になったら足がしびれます、頭がぼけます、大腸にがんができます、子どもには病気が遺伝します』と告げられたら、たいていの人は困惑するでしょう」

 さらに、次のようなケースも実際にあった。

 「67歳の男性が胃がんで亡くなり、病理解剖が行われました。がんの広がりを調べるのが解剖の主たる目的でした。骨盤臓器を調べたところ、思いもよらず"子宮"がみつかったのです。この患者は生涯男性として過ごしましたが、実は『真性半陰陽』(男と女の中間)だった可能性があるわけです」

 「病理解剖診断書のコピーを遺族に渡すときに、子宮があったことを記述すべきでしょうか? この衝撃の事実を知って喜ぶ人はいないだろうことが、容易に想像されます」

 そして堤教授は、「遺族に渡す診断書は、"子宮の存在"に関する考察の部分をはずした遺族用の書類を別につくるべきでしょうか? これは『カルテ改竄』に当たる違法行為です。『知らない権利』を守るというのは、とても難しいのです」と話してくれた。

 患者の「知りたい権利」を満たしつつ、「知りたくない権利」も守る――。病理医には、そんな難題が降りかかることもあるのだ。
(文=編集部)