リージョもそうだが、こうした宣教師としての素養に満ちた監督は、とにかく、よく喋ってくれる。極東からやってきた少しばかりトンチンカンなライターが、少しでも理解できなさそうな素振りを見せれば、「これはこういうことなんだ」と口角泡を溜めながら、「こいつを信者にしてしまえ」とばかり、様々なことをレクチャーしてくれた。教えたがり。教え魔と言ってもいい。

 バルサ系、オランダ系、攻撃的サッカーを志向する監督に多く見られる傾向だが、こういっては何だが、日本人の指導者に伝えたがり屋は少ない。江戸時代の鎖国政策が、どれほど影響しているか定かではないが、自らのサッカーを世に積極的に広めようとする人に滅多に遭遇することができないのだ。

 サッカー先進国度を推し量るバロメータと言ってもいい。外国に指導者を送り込んでいる人数と、それは比例の関係にある。海洋国家はサッカーに向いている。そんな気がしてならない。

 かつて最右翼はオランダだった。2006年ドイツW杯には4人のオランダ人監督(ファンバステン・オランダ、レオ・ベーナッカー・トリニダード・トバゴ、ヒディンク・豪州、アドフォカート・韓国)が、それぞれの国を率いて本大会に臨んだ。では、現在はどこかと言えば、ポルトガルだろう。今季のCLには4人(マルコシルバ・オリンピアコス、ゼニト・ビラスボアス、チェルシー・モウリーニョ、ベンフィカ・ルイビトーリア)名を連ねている。

 ポルトガルと言えば種子島に鉄砲を伝えた国。だが、長崎の出島に入港が許されたオランダとは異なり、こちらは江戸幕府の鎖国令によって排斥された。ポルトガル人の歴史学者に話を聞けば、真顔でこう答えた。

「日本を占領しに行ったわけではないんです。鉄砲をはじめとする“文化”を伝えたかっただけです」

 それから400ウン十年経つ。情報化時代と言われるが、サッカー文化は相変わらず不足した状態にある。伝わっていない文化が多々存在する。グアルディオラやビラスボアスとは言わないが、欧州からより多くの布教精神に富んだ伝えたがりの指導者が、来日して欲しいものである。