ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回は映画『ザ・ウォーク』を扱います。

CGだってわかってるのにドキドキ



藤田 『ザ・ウォーク』は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキス監督の新作で、1974年にワールドトレードセンターの上で綱渡りした実在の大道芸人をモデルに映画化したものです。いやー、驚いた。予告の印象よりずっとよくできていました。

飯田 これまでもたびたび映像として、あるいは映像制作の方法で人々に驚きを与えてきたロバート・ゼメキスの最新作が『ザ・ウォーク』ですね。
 今回も(もちろん、昨今のマーヴェルものとかに比べたら地味っちゃ地味だけど)すごい映像だなと。観ている側は「落ちない」ってわかっているのにハラハラさせられるんだもの。

藤田 本気でドキドキしましたね。3Dの使い方がすごくいいんですよ。手前のロープと奥の地面、みたいな「高さ」の構図を基本として、ロープや棒、ジャグリングの投げたものなどを用いて、立体のアイデアが工夫されていた。

飯田 あらすじ的には予告編で観た段階で誰でもわかる「曲芸師のワイヤーウォーカーがWTC(ワールドトレードセンター)を綱渡りを成功させる話」。以上。なんだけど、画面に釘付けだった。観ているあいだめっちゃトイレ行きたかったんだけど、結局さいごまで観るしかなかった。

藤田 CGだってことは、観客は百も承知なわけですよ、だって、ワールドトレードセンター、911で崩れましたからね。それでもハラハラドキドキするように作れているのが、本当にすごい。冒頭で、寺山修司の『書を捨てよ、街に出よう』みたいに、人物がスクリーンのこちら側に語り掛けてくる。つまり、死んでいないことは明らかにされている。でもドキドキする。そういう効果を出す3Dの使い方、演出に成功している。

飯田 ゼメキスは過去作で言うと、たとえばカートゥーンと実写を融合させた意欲作『ロジャー・ラビット』とかCGと実写の融合である『ベオウルフ』なんかでも高いところから落ちる絶体絶命シーンがあったけど、今回もある意味「実写じゃない」というか、実在する場所で撮影しているわけじゃないのに観ていて緊張させられた。

藤田 ワールドトレードセンターは、CGで作られていて、作中でも「人工的で嫌われている」みたいな表現があったけど、この綱渡りの成功によって「息を吹き込まれた」と表現されていましたね。それは、たかがCGに過ぎないものにハラハラドキドキして、そこに生命が実際にあって、落ちるかもしれないと生き生きとした感情を生み、本当に心配してしまう本作の狙いと重なっていますね。
 ところで、ジャグリングなり、綱渡りなり、サーカスなりって、今どきのエンターテイメントに慣れたぼくらは、観てもそこまで面白くないじゃないですか。しかし、3Dの使い方やカメラワーク、演出によって、子供が初めて観たときのように生き生きとしたものとして蘇っているのには、瞠目しました。イーストウッドの『ブロンコ・ビリー』や、フェリーニの作品などでも、そういう古いエンターテイメントが出てくる(映画というメディアに移し替えられる)けども、その場合はノスタルジックに「終わっている」感傷の感じがあった。けど、今回は、そうじゃない、生き生きとしたものとして、眼の前に感動がある。それが凄いな、と。
 「綱渡り」なんて、今どき観ないでしょうw 完全に終わったエンターテイメントなはずで、わざわざその映画を観ようと思わないと思う、多数の人は。本物すら観ないのにw でも、「綱渡り」全盛期(?)に観ていた人はきっとこのぐらいハラハラしたのではないかというような体験ができる映画でした。

飯田 たしかに。テーマパークや路上で行われる大道芸をリアルで観てももはやそこまで驚かないけど、3Dで見せられるとまた違う新鮮さがあった。
 ただ、映画公開に合わせてテレビに主人公のモデルになった人が出まくっていて、その映像はほとんど「落ちたら死ぬ」ところでやっていて、命知らずっぷりがすごかったw 当たり前だけど、チャレンジのスケールによる。

藤田 マーヴェルや、SF映画にありがちな3Dの使い方(それはそれで好きですが)とは異なっていて、やはり、現実の街を映し、等身大の人間が出てきているから、スケールの実感が違う。ゼメキスの近作は、3Dの使い方を工夫している傾向があるので、本作は絶対に3Dで観るべきです。3Dの映像、演出から逆算して映画が組み立てられていると言っても過言ではない。たとえば、近景に人間で遠景に街、とか、手前にロープがあって遠景が地面、とか、ビルとビルの間にあるワイヤー、とか、3Dの構図が見事な場所が多かった。

芸術的なクーデターに寛容だった時代


藤田 ところで、911への言及は、直接的にはなかったですが、潜在的には意識されていましたね。

飯田 主人公がやろうとしているのは「芸術的なクーデター」みたいな表現がされていたし。あれも一種のテロですよね。

藤田 主人公の認識では、あれは「クーデター」なんですよね。

飯田 舞台の1973年ってたとえば日本赤軍が飛行機ハイジャックしたりしているころなので、テロに対しては国際的にはまだまだピリピリしていた時期。作中でそういうことは強調されていなかったけど。

藤田 芸術的なクーデターであり、実際に犯罪でもある。だから、主人公は捕まってしまう。けど、喝采も浴びる。命綱もなしに、そういうことをやってしまおうという主人公と、それを取り巻く「共犯者」たちが、綱渡りの仕掛けを準備するところもドキドキしましたね。「綱渡り」は人生だ、という台詞もありましたが、未知の領域に勇気を出して踏み込む――集中力を亡くしてミスをすれば、死ぬかもしれない――そういう緊張状態がずっと続いて、ある高みで透き通る――という感じの映画でした。

飯田 あれだけのことをしたけど、ニューヨーク市民は許している。むかしはおおらか、寛容だったんだなと。1973年前後といえばベトナム戦争からアメリカが撤退したころでもあって、だからこそ新しくできるWTCに希望を託していたひともいただろうし、そういう状況を新しいWTCが作られつつある今現在に重ね合わせたのかな。

藤田 〈68年〉と総称される、ラディカリズムの時代の直後ですから、軍事的・暴力的なクーデターではなく、「芸術的なクーデター」には寛容だったということがわかりますね。今では、セキュリティの関係で実行自体が難しいでしょうし、実行したあとにもあんなに寛容な対処はされないでしょうねぇ……

飯田 2015年末にYouTuberのはじめしゃちょーがニベアクリームを大量に使って風呂に入るだけで大炎上したんだけど、そういう時代だからね、今は。

藤田 それを聞くと、「やってやろう」精神も、セコくなったな、という感じもしますねw

飯田 YouTuberが「芸術的なクーデター」とか言っても「は?」っていう反応されて終わりでしょう、今なら……。

世界貿易センターで行われる「芸術のための芸術」


藤田 「綱渡り」をやる動機は、beautifulだから。本編で使われていた訳では「すばらしい」から。ぼくは「美しいから」と訳した方がいい気がしますが。主人公はアーティストであると自認しており、ほとんど無償のような動機であれをやっちゃう。

飯田 「世界貿易センター」で「芸術のための芸術」をするというのが、皮肉が効いている。政治も経済も関係ない「綱渡り」だからこそ、政治や経済に絡め取られたその後のWTCの運命が浮き彫りになる。

藤田 飛行機で突っ込むという「暴力的・物理的」なやり方ではなく、別の方法で世界をひっくり返そうとしたわけですよね。「美しい」という動機だけで命を賭ける。宗教のためでもない。
 要するに、不可能だと思われたことを、可能だと示す。それこそが、クーデターである、と。

飯田 人々がかつてのような寛容さを取り戻すことが不可能だと思われている時代に、そのメッセージは強烈。

ゼメキスは夢を与える作家! 老いない謎!


飯田 ゼメキスはこどもに夢を与えたい作家だと思う。BTTF(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』)も『ポーラー・エキスプレス』も『クリスマス・キャロル』も『ロジャー・ラビット』も(ある意味では『フォレスト・ガンプ』や『コンタクト』も)そうだった。今回もキッズが観たら「不可能なんてないんだ」と大興奮する映画じゃないかと。僕も観ている間は童心にかえれた気がした。

藤田 そこ重要ですよね。今63歳で、晩年と言ってもいいのに、いい意味で子供の心がある。若々しい。そこにびっくりした。難解な芸術映画にはしていない。主人公も爽やか。でも、実は深い部分もバックグラウンドにある。そのバランスが良かった。

飯田 そうなんだよね。BTTFみたいに若くなきゃ撮れないはっちゃけた映画ではないけど、子ども心がある。枯れていない。

藤田 BTTFは、一作目が1985年だから、もう30年経ってるんですよね。そんな時間を全然感じなかった。

飯田 ゼメキスって年を取っても説教くさくならないしね。今回も主人公のフィリップが自由の女神の上に立っているところに象徴的だけど、あっけらかんとしている。ある意味では素朴だけど、そのオプティミズムは娯楽映画においてはとても魅力的に機能する。

藤田 よくよく考えると、WTCの上で綱渡りをするっていうだけの映画を、3Dで作るって言う行為自体が、結構未知なものへの挑戦みたいなところあるかもですね。綱渡り=芸術、ですからね。
 作中でWTCの上に張った綱に一歩踏み出すときみたいに、未知の世界に新しく踏み出すような感覚で、今でも生活してらっしゃるのだろうか。だとしたら、羨ましい。見習わなければと思いましたw

911後の作品と、311後の作品


藤田 ところで、一か所だけ、よくわからなかったのが、鳥が出てくる場面なんですが……

飯田 鳥は、それこそ突っ込んでくる飛行機の比喩かなあと。それだけで今まで積み上げてきたものがすべて崩れちゃうんだよって。その危うさの上に成立しているタワーなんだ、と示唆したシーンだったのではと思っています。
 しかし911から約15年でこういう映画が出てきたわけだけど、311のあとに人々を夢を与える劇映画が東北で撮られて、素直に受け入れられるようになるには、まだまだかかるような気が……。

藤田 『あまちゃん』は……?

飯田 言うと思ったw

藤田 本作は911で崩れたWTCが舞台なわけですが、311の場合は、津波に呑み込まれた街をCGなどで再現して、舞台になっている感じでしょうか? そう思うと、なかなかゾッとします。
 アメリカの人の方が、ぼくらよりおぞましく、作中のCGでできたWTCを、幽霊じみた感じで観るんでしょうかねぇ……
 その幽霊じみたCGのWTCが、作中の綱渡りによって、生気のあるものに浄化されるわけで……。あるいは、そのカタルシスは、言うに言えないものがあるのかもしれません。

飯田 ある意味では「歴史」になってしまったからこそ再現していいものになるわけで、311は「歴史」にするにはまだ早すぎる。いや、ニューヨーカーたちがもはや「歴史」になったと感じているのかどうかは、わからないけども。
 ポスト311映画も、TOKIO主演で福島県にあるDASH村を再現する3DCG映画を山崎貴が監督すれば……。

藤田 絶対「不謹慎」って言われますよw
 BTTFみたいに時間を超える話も、暗くて哀しい話になりそうですしね……。「奇跡の一本松物語」みたいなのなら作れそうですが。一体、いつになったら、明るい話を描けるようになるのか、逆にいえば、今の描けない「空気」は何なのか、考えさせられます。