昨年末に行なわれた天皇杯全日本レスリング選手権で優勝を飾り、リオデジャネイロオリンピック出場権(女子53キロ級)を獲得した吉田沙保里。その翌日、彼女は長年所属していたALSOK(綜合警備保障)を退社し、フリーになることを発表した。あれから約1ヶ月――、さまざまなイベントに出演して忙しい毎日を送る彼女に、現在の心境について聞いてみた。

―― ついにオリンピックイヤーとなりましたが、フリーになって変化はありましたか?

吉田沙保里(以下:吉田):変わったことは......、特にありません(笑)。「(ALSOK退社会見で)新たなことに挑戦するため」と言っていたのに、それじゃダメか。でも、マット以外のことでは、DVDの撮影があったり、イベントで"モデルさん歩き"もしました。少しずつですが、これまでやったことがない仕事にも挑戦していますね。次は女優とか......それはもうやったか(2014年に初挑戦)、歌手とか......あ、去年CDを出させてもらっていますね(笑)。とにかく、今だからできることを思い切りやっていきたいです。一方、レスリングは引き続き、母校の至学館大学で練習しています。栄和人監督(日本レスリング協会強化本部長)に変わらず指導してもらっているので、ブレることはありません。

―― 至学館大学では、リオ五輪出場に内定した登坂絵莉選手(48キロ級)、川井梨沙子選手(63キロ級)、土性沙羅選手(どしょう・さら/69キロ級)、さらにはオリンピック予選に挑む渡利璃穏選手(わたり・りお/75キロ級)も一緒に練習していますね。

吉田:はい。至学館の独占状態で本当にうれしいことです。お互い刺激し合って、いい状態で練習しています。

―― オリンピック初出場となる後輩たちに声をかけることは?

吉田:自分が経験してきたことを伝えようと思っています。先日は、「『オリンピックには魔物が潜む』と言うけれど、"魔物"は自分の気持ちのなかに潜んでいるんだよ」と話しました。

―― オリンピックという修羅場を3度も経験し、結果を残している先輩が身近にいるのは心強いですね。

吉田:みんな揃って優勝して、一緒に喜びたいですからね。

―― アテネ大会に出場したときは21歳。4度目のオリンピックについて思うことは?

吉田:もう33歳、よくここまでやってきたと思います。アテネのときは、今の自分は想像できませんでしたね。30代で迎える初めてのオリンピックなので、ちょっと不思議というか、そこが楽しみです。

―― オリンピックという舞台はもう慣れましたか?

吉田:それはありません。試合までの調整法とか、選手村での過ごし方は慣れたかもしれませんけど、オリンピックは何度出場しても慣れるということはないと思います。

―― 本番まであと約6ヶ月、どんな心境ですか?

吉田:ワクワクする部分もあります、世界最高峰の舞台ですから......。でも、怖いほうが大きいかな。

―― 「世界選手権とオリンピックはまったく違う」と語るアスリートは多いですが、吉田選手にとってその違いとは?

吉田:それは、みなさんの注目度です。おかげさまでオリンピックだけでなく、世界選手権でもレスリングがテレビのニュースで取り上げられたり、中継されるようになりました。昨年ラスベガスで行なわれた世界選手権で優勝したときは、1面から3面までブチ抜きで記事にしていただいたスポーツ新聞もありましたから。でも、4年に1度のオリンピックは取り上げられ方の規模が違います。それを勘違いしないようにと、お父さんにはよく怒られていましたね。

―― プレッシャーも段違いですか?

吉田:はい。まだ、今の時期はありませんけどね。

―― プレッシャーを感じるようになるのは、いつごろからですか?

吉田:春ごろかな......。一気に上がってきて、「どうしよう、どうしよう」となるのは、オリンピックが開幕して、日本人選手が活躍する姿を観るようになってから。レスリングはいつも大会期間の後半なので、「試合が終わった選手はいいなぁ」と毎回思っていました(笑)。

―― 吉田選手以外の女子代表選手は、オリンピック前に国際大会やアジア選手権に出場します。

吉田:ええ、私はオリンピックまで試合をしません。母も、栄監督も、「ひとつぐらい試合に出たら?」と心配してくれましたが、自分で決めましたので。

―― 北京五輪とロンドン五輪のとき、本番前の試合で敗れた経験があるからですか?

吉田:北京のときはそれまでの連勝記録が途切れ、ロンドンのときは五輪直前でしたから、ともにつらい思いをしました。しかし、それぞれ負けたことで自分を見直し、気持ちを入れ替えて技術的にも磨き直して臨めたので、今回、オリンピック前に試合をしないということとは関係ありません。国内で大会がないので、試合に出ようと思ったら海外へ行かなければならず、それだったら国内でじっくり腰を落ち着けて練習しようと考えました。試合があってもなくても、緊張感を持って練習する術(すべ)は身についていますし、合宿もいつもの東京(味の素ナショナルトレーニングセンター)や新潟(十日町・桜花レスリング道場)だけでなく、沖縄などもあってマンネリにならないでしょうから。

―― オリンピック4連覇に向けての意気込みは?

吉田:若手が追い上げてきているのも、ライバルが「打倒・吉田」でものすごく研究してきているのも感じています。でも、4連覇します。どんな戦いになっても試合が終わったら、自分の手が挙がっているように......。最後まで、どんな状況になってもあきらめず。あきらめたら、終わりですから。「4連覇を目指します」と言えるのは、世界中で私とカオリン(伊調馨)だけ。それってすごいことですよね。カオリンは絶対に金メダル。120%、いや200%、4連覇しますよ。

―― 伊調選手とはどんな関係ですか? ファンは「吉田vs伊調」の戦いを見たいと思っていますが。

吉田:ない、ない(笑)。それはありません。スパーリングだってしませんから。お互いチャンピオンで、ここまで来るとね。それでも、カオリンは私のことを先輩としてきちんと立ててくれますし。ただ、お互い負けられないとか、「あっちがまだ練習しているんだったら、先にやめるわけにはいかない」という気持ちにはなります。先輩・後輩の間柄で、ずっと一緒にやってきた女子レスリングのファミリーだけど、ライバルという部分もありますので。そんなこと、ふたりで話したことはないですけどね(笑)。ロンドンのときと同じで、リオでもカオリンの試合のほうが先ですが、私も負けません。

―― リオ五輪が終わったら、どうされますか?

吉田:まったく考えていません。1月から所属している事務所(TAGインターナショナル)でも、オリンピックまではレスリング優先でサポートしてくれるので、先のことは何も......。

―― 引退はありえない?

吉田:どうでしょうねぇ。ずっと続けているかもしれないし、ちょっと休んでまたやるかもしれないし。それこそ、東京オリンピックも視野に入れて。どこかでケジメをつけなくてはいけないでしょうが、違った形でレスリングを続けているかも。「保育士」という夢もまだあるんですよ。まだ何の資格もないんですが(笑)。今のところ、コーチをするのは嫌だけど、子ども好きだからチビッコに教えるのはいいかな。兄が父の跡を継いで実家でレスリング教室をやっているので、それを手伝うとか。私は誰かの補佐という立場がいいんです。それよりも、誰かと結ばれちゃったりして......(笑)。

―― 親友の澤穂希さんも結婚されましたね。

吉田:そうですよね。「結婚っていいよ〜」って聞くと、やっぱりうらやましい。まぁ、たまには(結婚の)グチも聞きますけど(笑)。でも、幸せそうなんで、憧れますよね。

―― 最近、出会いは?

吉田:合コンみたいなことは、時々あるんですよ。でもね、(人から)紹介されるというのがダメなんです。緊張しちゃって......(笑)。レスリングも、仕事も、人生も、まだ先のことは決まっていないというのが、今はいいのかも。何にでも挑戦できますからね。

―― 元気いっぱいで笑顔の吉田選手と話していると、まるでオリンピック4連覇を達成した後のインタビューみたいですね。

吉田:ホントですか? ありがとうございます(笑)。前人未踏のオリンピック4連覇、達成します。応援よろしくお願いします!

【Profile】
吉田沙保里(よしだ・さおり)
1982年10月5日生まれ、三重県津市出身。自宅でレスリング道場を開いていた父・栄勝(えいかつ)氏の指導のもと、3歳から競技を始める。2004年アテネ五輪、2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪の女子55キロ級・金メダリスト。2012年11月、日本政府から国民栄誉賞を授与される。2015年の世界選手権を制し、男女通じて史上最多となる世界大会16連覇中。2015年、自身初の著書『明日へのタックル!』(集英社)を出版。今年8月のリオ五輪には、女子53キロ級でオリンピック4連覇に挑む。

宮崎俊哉●取材・文 text by Miyazaki Toshiya