『クーポンマダムの事件メモ (ハヤカワ・ミステリ文庫“my perfume”)』リンダ・ジョフィ・ハル 早川書房

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「クーポン」といえばロータスクーポンしか知らなかった日本人も、昨今だいぶその存在になじんできたかと思う(などと決めつけてしまっているがだいじょうぶか。そもそもロータスクーポンがそんなに知名度のあるものだったかどうかわからないが)。とはいえ、訳者あとがきにもあるようにせいぜい宅配ピザやファミレスのチラシなどに印刷されたものを使う人が大多数、しかもしばしば出し忘れて結局定価で買うことになるケースが多いのではないだろうか。一方アメリカにおいては、クーポンは消費生活に大きく関わってくるものだ。いや、もちろん値札も見ずに好きなだけ高級品を買えるような世帯やクーポンを使うのに恥ずかしさを感じる人々もいるが、私がアメリカのサンディエゴに住んでいた今から15年ほど前、人々がクーポンを握りしめて(クーポンを入れるという用途でのみ使用される財布状の入れ物もよく売られていた。色柄も豊富で「ギフトに最適!」的なフレーズが添えられている)買い物をする様子はよく目にする光景だった。特に年配の男女のクーポン入れ所有率は高かったと思う(最近はネットクーポンなどが増えているのかもしれないが、当時の主流は紙に印刷されたもの。日曜日の朝刊にどっさり挟み込まれてくるので、それを根気よく切り離して商品ごとに分類してクーポン入れにしまって...というのは、高齢者のみなさんに向いた作業だったのかもしれない。もちろん、引退後の生活費をできるだけ浮かしたいという意気込みもあっただろう)。しかも、私が行きつけにしていたスーパーには"ダブルクーポン"なる、割引率が2倍になるという制度があり、例えば1ドルの商品が50セント×2倍の割引でタダになるようなこともざら(おかげで歯ブラシにはほとんどお金を払ったことがなかった)。いくら正規の手順を踏んでいるとはいえ、割引によって商品が無料になるというのはけっこうな驚きだった。

 本書の主人公であるマディ・マイケルズはふたつの顔を持っている。ひとつは〈フランク・ファイナンス・ショー〉という自らの名を冠した人気テレビ番組の司会者を夫に持つセレブとしての顔。もうひとつの顔がクーポンマダム。すなわち「クーポンマダムの節約サイト」を運営する謎の匿名ブロガーである。有名司会者のセレブ妻がクーポンで節約? 実はフランクが投資詐欺に遭い、家計を究極まで引き締めなければならなくなったのだ。経済番組の司会を務める者が破産などということになれば仕事まで失う可能性があるため、これまでの生活を維持しているように見せなければならない。となれば、自分も顔を知られている身でありながら外で働くことは無理。そこで思いついた解決策が、節約アイディア満載のウェブサイトを開設することだった。サイト運営はマディの見込み以上にうまくいき、広告主と貴重な節約の智恵を投稿してくれるフォロワーを順調に獲得している。最悪の状況は脱したかに見えたマイクルズ家だったが...。

 事件はホリデー・シーズン間近のショッピングモールで起こった。甥や姪たちのためのプレゼント代を節約するために、価格や割引率、さらにはブランド力にティーンエイジャーの好みといった要素を総合的に判断した結果、マディは低価格で最新のスタイルを提供するショップ〈エターナリー21〉に向かった。しかし、そこで彼女は店のマネージャー・レイラに万引き犯だと疑われてしまう。モール内を警備員に連行されるという屈辱を味わいつつも、なんとか疑いを晴らすことに成功したマディ。怒りさめやらぬ状態ではあったが、その後フードコートで再会し非礼を謝罪したレイラの部下・タラの感じのよさと割引の魅力には抗えず、マディは再び〈エターナリー21〉を訪れる。しかし、そこで彼女が遭遇したのは、頭が痛いと不明瞭な言葉を発し床にくずおれたレイラの姿だった。その後レイラは死亡。亡くなった状況に不審な点があるということで、現場にいたマディも容疑者のひとりとなる。妻が殺人の容疑をかけられたとあってはフランクの仕事にも響くと考え、真犯人を特定するべくマディは独自に事件について調べ始めるが、裏目裏目に出てしまい...。

 マディがふたつの顔を持っているように、この小説にもふたつの側面がある。すなわち、ミステリー小説としての要素と家庭小説としての要素だ。期待した以上に(と言ったら失礼だが)ミステリー色のしっかりした作品だったのは、推理小説ファンにはうれしい驚き。そしてなんといっても独自色を感じさせるのが、家庭を必死で支えようとする奮闘するマディの切り札が節約術であるということ。この文章の冒頭で長々とクーポン事情について記述したが、マディやフォロワーたちがいかに賢く節約して家庭生活を維持していくかに心を砕いていることの一例として実感していただければと思う(マディがクーポンを駆使したことにより、360ドル28セントの合計金額が109ドル11セントまで下がったのを見て、他の買い物客が「わたしもクーポンを集めはじめないと」と言う場面は印象的)。それなのに、少しでも支出を抑えようと妻が節約に励んでいるのに、後先考えずぽんぽんお金を使うフランクよ...。母親に理解を示す双子の息子たち、フランク・ジュニアとトレントの存在が救いだ。果たして、殺人犯の正体は? マイクルズ家は危機を乗り越えられるのか? 

 本書は、早川書房と昭和女子大学が共同制作した小説レーベル〈my perfume〉の第3弾として刊行された作品。第1弾『ケチャップ・シンドローム』はアメリカ探偵作家クラブ賞ヤングアダルト部門受賞作で、サイトで知り合った死刑囚に自分の心情を綴った手紙を書くイギリスの女子高生が主人公。第2弾『ミルキーブルーの境界』は自殺衝動のある主人公の乗った飛行機が墜落し、もうひとりの生き残りとなった青年を生還させようとするうち彼女にも生きる意欲が芽生えるという物語。どちらかというと若い子向けの内容が続いていたと思うが、第3弾の本書で一気にターゲットの年齢層を上げてきた感がある。とはいえ、巻末の女子大生有志による座談会を読む限りでは、男性キャラクターでは誰がイケてるかで盛り上がっていたりとか、節約術の中でも役に立ちそうと思うのはパーティに関するアイディアだったりとか、まだまだ生活感にまみれていないところが微笑ましい(もちろん女子大生はそれでいいのである)。〈my perfume〉全5冊刊行する予定だそうで(第4弾は再び女子高生が主人公で、ファッションモデル探偵とのこと。若返った〜)、レーベル全体にも注目されてみてはいかがでしょうか。

(松井ゆかり)