梅原裕一郎 ふたりで過ごすハッピーバレンタイン
“イケメンすぎる声優”と呼び声も高い梅原裕一郎。2013年に声優デビューし、その2年後にはアニメ『ヤングブラック・ジャック』で早くも初主演を果たした大注目の若手声優だ。スター街道まっしぐらのように見えるけれど、本人いわく悩みや葛藤を抱えながら一歩一歩進んで来たそう。ふわふわした掴みどころのない、ゆる〜いキャラクターも魅力のひとつ。ぜひ、渋みのある低音ボイスを脳内再生しながらお読みください(笑)。

撮影/すずき大すけ 取材・文/花村扶美
ヘア&メーク/大坪真人 撮影協力/Awabees

ロックもクラシックも…音楽一筋!



――きょうはインタビューを通して、現在の梅原さんを作ったルーツに迫りたいと思います。小さい頃はどんな子どもでしたか?

基本的に今と変わらず、静かな子どもだったと思います。でも、今よりは明るかったんじゃないかな(笑)。

――というのは?

子どもの頃の家族写真を見ると、僕だけヘン顔をしてふざけてたりするんですよ。幼稚園に入る前くらいまでの写真は、ほとんど白目でした(笑)。

――えー、見たいです(笑)。学校でもフザけたり?

小学生のときは目立つのがイヤで、手を挙げて発言することも、発表会で率先して何かをやることも、まったくありませんでした。今もそれは変わってなくて、裏方にまわるほうが好きです。

――高校生のときはバンドをやっていたと聞いて、リア充な青春時代を過ごされていたのかと。

放課後、スタジオで練習した後、マックへ行ってみんなでおしゃべりするくらいです(笑)。

――バンドの話が出たので音楽の話を聞きたいのですが、趣味に「クラシック音楽」をあげてますよね。

姉がピアノを習っていたからか、僕もやりたいと言い始めたそうで、幼稚園の年長から中3まで8年間通ってました。でもクラシックに興味を持ち始めたのは、高校に入ってからです。

――高校からハマった理由は何ですか?

中3のときにギターを買ってから、そっちに夢中になってピアノを辞めてしまったんですね。それで高1高2とバンドを組んで、ギター&ボーカルとして頑張ってたんですけど、そのバンドが解散することになりまして。正確には僕だけ抜けるかたちになっちゃったんですけど(笑)。

――脱退の原因は?

いわゆる音楽性の不一致というヤツです(笑)。僕、BUMP OF CHICKENさんが大好きで、クラシック音楽のほかはバンプさんしか聴いたことがなかったので、バンドのメンバーに「バンプさんだけやりたい!」って言ったんですけど、ほかのメンバーはいろんな曲をコピーしたかったんですよね。

――ああ、なるほど。

バンドを抜けた後、時間ができたから、家にあったピアノをまた弾き始めて。それとちょうどその前後にドラマ『のだめカンタービレ』の再放送をやっているのを見て、“クラシックっていいな”って改めて思ったんです。



声優は自分に向いてないと思ってた



――バンド活動はそこで完全にやめてしまったんですか?

そのあと新たにバンドを組んで、高3のときにまた活動していたんですけど、そのときにはロックと並行してクラシックも聴くようになりました。

――ピアノは今でも弾いているんですか?

今、住んでいるところが音出し禁止のマンションなので、残念ながら弾けていないんです。

――ひとり暮らしの家にピアノを置いてるんですか!?

実家から持って来ました。でもピアノの上に台本とかいろいろ積んでしまっているので、フタが開かない状態です(笑)。気分転換に弾きたくなるので、次こそは、ピアノが弾けるところに引っ越して、整理整頓をしっかりして、いつでも弾けるようにしたいです。

――学生の頃、音楽一筋だった梅原さんが、声優に興味を持ったキッカケは何ですか?

大学受験の浪人中に予備校に通っていたのですが、時間があったので、日本語吹き替えの洋画やアニメを見るようになったんです。ちょうどその頃くらいから、声優という職業を意識し始めました。

――これまで、友だちから「いい声してるね」と言われたことはなかったんですか?

ないですね。高3の文化祭で初めて全校生徒の前でバンド演奏をしたんですけど、僕の声を初めて聞いたって言う人が多くて(笑)。

――えっ!?

男子とはしゃべってたんですけど、女子とはほとんどしゃべらなかったからかなぁ? 普段あまりしゃべらない僕が、こうやって声を出してみんなをビックリさせるのはおもしろいなってそのとき思いました(笑)。

――その頃から漠然と、声優という職業への憧れみたいなものが芽生えたんでしょうね。

でも、お芝居をやったこともなかったし、人前で演じることにも抵抗があったので、自分は声優に向いてないと思ってました。1年間考えてまだやりたいと思ってたら、ダメ元で養成所に通おうと決めました。




両親を1年かけて説得、そして上京



――大学に進学して1年後も、声優になりたい気持ちは揺るがなかった…?

はい、それで大学2年生から養成所に通い始めました。

――梅原さんの決断に、ご両親はどういう反応でしたか?

養成所に通うこと自体は、自分のお金でやるなら好きにしなさいという感じだったんですけど、事務所に受かって、いざ上京する段階で反対されましたね。やっぱり何の保証もない、厳しい職業ですから…。

――ご自身で説得されたんですね。

両親を説得するのに1年かかりました。今は応援してくれてますし、アニメも見てくれているみたいです(笑)。

――ご家族のなかではお姉さんとも仲がいいそうですが、相談とかされてました?

姉もフリーランスの仕事をしているので、僕が声優を目指していると話したら応援してくれました。アニメも見るようになったみたいで、最近では僕より詳しいんじゃないかというレベルにまで達していてビックリします(笑)。

――デビューから3年目に突入しましたが、ご自身の活躍をどのように受け止めていますか?

本当に運が良かったなって思います。仕事を始めた年に、たくさんのオーディションを受けさせていただいたんですけど、上京するタイミングが1年ズレていたら受けられなかったオーディションもあったので。

――すぐにレギュラーのアニメ『オレん家のフロ事情』の出演が決まって…。

本当に、あれよあれよという間だったので、正直かなり戸惑いもありました。技術的にも精神的にも着いていけなくて…。最初は大変でした。

――初主演の『ヤングブラック・ジャック』では、プレッシャーもあったと思います。

セリフ量も多く、専門用語もたくさんあって…自分の演じるキャラクターを主軸に物語が進んでいくので、座長って本当に大変なんだと思いました。この収録でいろいろなことを学ばせていただきました。

――私たちには順風満帆に見えていましたけど、いろんな葛藤があったんですね。

わからないことも多いし、やれることも少ないので、いまも試行錯誤しながらやっています。まだ勉強中、いや、一生勉強していくんだと思います。



オフの日は家から一歩も出ません!



――ご自分の性格を一言でいうと…?

なまけもの、ですね…。

――その心は?

寝ることが大好きで、何もしないでゴロゴロしていたいからです。

――お休みの日くらいいいと思いますが(笑)。外出はしないんですか?

できることなら、休日はずっと家にいたいですね。旅行にもあまり興味がなくて、旅番組を見て旅行に行った気分になれるので、安上がりです(笑)。

――休日はどんな生活を送っているんですか?

休日の前の日に明け方の4時くらいまで映画を見ていることが多いので、夕方5時とか6時とかに起きてしまったり…。

――夕方、目が覚めたら何をするんですか?

前日にコンビニで買っておいたものを食べます。出かけないことが大前提で、いろいろ用意しておくんです(笑)。それからベッドの上でゴロゴロしながら映画や録画していたテレビ番組を見たり、宿題をしているうちに一日が終わります。

――友だちと会ったりはしないんですか?

休日のスケジュールは誰にも渡さないですね(笑)。仕事のある日に用事を全部済ませたいタイプなので、ごはんを食べたり、買い物へ行ったりするのは仕事のあと。飲みに誘ってくれる人がいるので、それにひょっこり乗っかって行きます。

――じゃあ休日は、誰ともしゃべらないときも…?

あります。なので、翌日の仕事に支障をきたさないよう、夜は台本を読んだりして、のどの調子を整えるようにしています。