日中間の歴史の問題から、中国人が日本語を学ぼうとすると、家族や親戚、友人の反対に遭うことがよくあるようだ。しかし、華東師範大学の呉瑩さんはそうした反対にまったく遭わなかったという。

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日中間の歴史の問題から、中国人が日本語を学ぼうとすると、家族や親戚、友人の反対に遭うことがよくあるようだ。しかし、そうした反対にまったく遭わない人もいて、それが戦時中の体験に基づくものだとしたらどう感じるだろうか。華東師範大学の呉瑩さんは次のようにつづっている。

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日本語学部に入ったばかりの時、新しいクラスメートから「私が日本語を習いたいと言ったとき、家族で大騒ぎが起こったんだ。親に激しく反対されたんだよ」という話をよく聞きました。でも、これらの問題は私のうちでは一切発生しませんでした。なぜかというと、それはうちのおばあちゃんの一つの体験が理由です。

おばあちゃんが幼いとき、ある日、町の中を歩いていると、突然雨が降ってきました。傘を持っていなかったおばあちゃんは急いで家に走っていくしかありませんでした。「おい」と急に誰かに声をかけられ、よく見ると、すぐ近くの建物の前で1人の日本人の兵隊が立っていました。

この兵隊は、おばあちゃんを手招きしました。おばあちゃんは怖くなりました。でも、従わなければならないので、ビクビクしながら歩いていきました。しかし、その日本人は、軒先を指さしただけで、何も言いませんでした。おばあちゃんはやっとわかりました。彼は「ここで雨を避けなさい」と伝えたかったのです。そんな小さなことが、おばあちゃんにすごく良い印象を残しました。

その後、おばあちゃんはよく日本人の悪い話を聞きましたが、おばあちゃんにとってはあの雨、あの建物の前での出来事こそ、自分が体験したことです。人間にとって、一番信頼できるのは自分で経験したことです。そして、一番記憶に残るのは良いことです。小さなことでも、助けてもらったことは、うれしいこととして、きっと覚えているのではないでしょうか。

私も自分が覚えていないことで、他人に「ありがとう」と言われたことがありましたし、エレベーターを出る時、ある日本人のサラリーマンがドアを手で押さえてくれたことを今でも覚えています。日常生活の中で、ちょっとした良いことをして、幸福やうれしい気持ちを伝えることができたら、みんながおじいちゃんやおばあちゃんになっても、記憶の中に良いことばかりを残すことがきっとできると思います。(編集/北田)

※本文は、第三回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「国という枠を越えて」(段躍中編、日本僑報社、2007年)より、呉瑩さん(華東師範大学)の作品「人にやさしくする」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。