進化する伝統の味(稲庭うどん)

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 江戸時代はお上に献上されていた、由緒正しい伝統の味──。それが、秋田の「稲庭うどん」だ。伝統を受け継ぎながら進化を続けるその秘密に迫る。

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 うどん県として知られる香川の「讃岐うどん」を筆頭に、福岡や大阪など、うどん文化は西で育まれたイメージが強いかもしれないが、東だって負けていない。

 西の横綱が讃岐ならば、東の横綱は秋田の「稲庭うどん」だろう。その特徴は対照的だ。太くて力強い讃岐うどんに対して、上品な細麺の稲庭うどん。讃岐は手軽さで人気に火が点いたが、稲庭うどんは江戸時代には佐竹藩を通じて将軍家へ献上されていた「高級品」だ。

 製法は長らく門外不出とされ、明治時代半ばまでは、宮内省以外ではほとんど食べられることがなかった、幻の逸品でもある。

 稲庭うどんの発祥は、寛文5年(1665年)とされる。「稲庭干饂飩」の宗家となる佐藤吉左エ門が製法を確立。元禄3年(1690年)に佐竹藩の御用品となり、江戸時代に入ってからは徳川家へ盛んに献上されるまでに評価が高まったという。

 その製法は約200年にわたって宗家の一子相伝として守られていたが、継承断絶を避けるべく、万延元年(1860年)に婿養子に出た息子にも伝授されることになり、初めて「外」に伝わった。そのときに創業されたのが、いまなお続く秋田の名店・佐藤養助だ。

 今年で創業から156年を迎える佐藤養助商店総務部の今野弘志氏がいう。

「明治10年(1877年)に開かれた『第1回内国勧業博覧会』に稲庭うどんを出品し、褒状を授与され『稲庭』ブランドが広まりました。明治20年(1887年)には宮内省御用達となり、大正天皇や昭和天皇ご即位のお祝いにも、佐藤養助は宮内省を通じて干うどんを献上しています」(以下「」内は今野氏)

◆3日3晩かける伝統の製法

 この由緒正しき稲庭うどんは350年間変わらず、すべて職人による手練り・手延べでつくられる。生地を足で踏んでこねる製法の地域もあるが、稲庭では決して足は使わない。

「稲庭が『日本一値段が高いうどん』なのは、製造に3日を費やし、すべて人の手で作られているから。製法そのものは伝承されてきたものから変えていません。

 ただ、味はどんどん良くなっている自信があります。昔は小麦を臼でひいていましたが、現代は製粉技術も向上しましたし、安定した空調管理もできるようになった。しっかり水分を抜くことでより白く、美しい麺に仕上がるんです」

 湯沢市稲庭町にある佐藤養助総本店で、実際にその味を堪能した。

 茹であげ、氷水でキリッとしめた麺はつやがあり、光が当たると美しく輝く。口に運ぶと、つるっとした喉ごしが爽やかだ。細いながらも歯ごたえがあり、つゆによく絡む。喉ごしの良さは太めのうどんと比べると別の食べ物に感じられる。

◆タイカレーをつけ汁に

 稲庭は長く「庶民には手の届かないうどん」だった。転機が訪れたのは、昭和47年(1972年)のことだ。

 7代目が秘伝の製法を一般に公開するという、大胆な決断に踏み切ったのだ。

「理由は2つありました。気軽に買って食べられるものでなくては意味がない、という作り手の想い。また、『稲庭うどん』を産業として育成し、地域貢献したいという願いからでした」

 稲庭うどんを閉鎖的な世界から「地場産業」へ発展させたことで、地元に多くの雇用を生んでいる。

 現社長を務める佐藤正明氏は8代目にあたる。2006年には、稲庭うどんと秋田の郷土料理を提供する直営店を銀座にオープンさせた。

「8代目が掲げるのが、『継承と進化』。伝統はしっかり引き継ぎますが、時代とともにメニューに新しいものを取り入れる。最近注目を集めているのが、銀座で始めた『タイカレーつけうどん』。レッドとグリーンの2種類のタイカレーで食べるつけうどんです。秋田とは一見関係がなさそうですが、つけ汁には、県の名産品である比内地鶏やしょっつる(秋田の魚醤)が入っています。

 タイカレーつけうどんは銀座佐藤養助をはじめ都内3店舗と秋田県内の店舗でお出ししています」

 2013年には初の海外出店となる稲庭養助台北店をオープン。これは銀座店を訪れた台湾人の企業家が、店で食べたその味に惚れ込み「ぜひ、自国でも出店してほしい」と熱望したことで、業務提携という形で出店することが実現したのだとか。

 秋田から世界へ──。稲庭うどんは進化を続ける。

●取材・文/渡部美也

※週刊ポスト2016年2月5日号