30代男女の身長と体重の推移

写真拡大

「元始、女性は実に太陽であつた。今、女性は月である」から100年。戦争を経て70年。いまや、女性は太陽である。なぜ女は強いのか。それには理由があった。

■データではっきり!「女は力を増している」

戦後70年間で女性はどう変わったか。統計データを眺めながら変化を挙げてみよう。身長は約10センチ伸びた。大学進学率は一貫して上昇し、現在では男女間での差は見られない。70年前には2倍の差があったことを考えると、劇的な変化だ。女性の雇用者数も上昇した。こういったことから、女性の立場はこの70年でよくなったといえるだろう。1つ気になるのが、BMI(肥満度を表す指数)の動きだ。男性は上昇の一途をたどるが、女性はといえば、20代から40代の女性はいまや終戦直後よりも低く、それより上の世代でも弓なりに下がってきている。

最近、「美魔女」という言葉を聞くようになった。30代なかば以降も体形を維持し、美しさを保っている女性を指す。女は着実に強くなっている。さらには美魔女化している。70年の間に女性に何が起こったのか。そして、今後はどうなっていくのだろうか。

昔に比べて強くなったとは言われるものの、日本人女性の社会進出は欧米と比べてまだまだ遅れている。女性が仕事に就いても、経営層にまで上り詰めることはまれだ。だから女性が重役になるとニュースになる。欧米では女性のトップは珍しくもないから、女性であるというだけでメディアに出るなどありえない。

また日本は明文化を極力避ける国でもあり、議論によって決着をつけたり、ルールを定めたりすることより、空気を読んで周囲に溶け込むことを旨とする。女性進出に関しても努力目標として掲げる程度だ。その点フランスははっきりしている。職業上の女性差別も法律で禁止されており、違反すると罰金や営業停止処分を科される。

先ほどは欧米とひとくくりにしたが、女性の社会進出にあたり英米とフランスではまるっきり異なった哲学が採用されている。英米は女性性をはっきりと認め、女性は自分が女性であることをアピールしながら、男女間の差異を克服しようとする。そんな文化で育った英米系のフェミニストがフランスに行くと愕然とする。もちろんフランスにもフェミニズムは存在するが、女性性を武器にすることはない。フランスでは性差は取るに足らない微差であると考えるのだ。フランスは普遍主義の国だ。人間であるという点が重要なのであって、男だ女だ、人種がどうだのという差異は一切認めないのだ。

■戦前も家の中では強かった

では日本はどちらのタイプかというと、実はどちらでもない。日本は英米・フランスとは家族の類型が異なる。このことが両者に様々な違いを生み出している。日本は親・子・孫が3世代一緒に住む直系家族類型に分類される。ドイツ、スウェーデン、韓国もこのタイプだ。

対する英米・フランスは核家族類型だ。こういうと、日本でも核家族化が進行しているのではと疑問に思う人もいるだろう。しかし、この家族の類型は平安時代の終わり頃から1000年近く続き、日本人の性根に染みついている。そのことを端的に示すのが、先輩・後輩という言葉だ。英米・フランスには先輩・後輩にあたる言葉は存在しない。日本人はあらゆる場所で「先輩・自分・後輩」という3世代構造をつくり出すのだ。

そんな直系家族文化の日本において、女性の地位は意外と高いものであった。直系家族における最強の存在、それは姑だ。女は、家父長制度という言葉に反して、家の外に出ることはなかったものの、家の中にあっては権勢を誇っていた。こうなると、そもそも女性とは弱い存在だったのかという疑問が生じてくるだろう。

近現代の日本において、一度だけ女性の社会的地位が急激に向上した時期がある。それは戦争中だ。第二次世界大戦中、男が戦争に行き、働き手がいなくなったために女は家の外へ出かけて働くことになった。立派な労働力として社会に迎え入れられた女性だが、戦争が終わると再び家に連れ戻されてしまう。

■男女の力関係が逆転するときとは

しかし、権威主義的な直系家族の父親が力を持ち、女性の権利を剥奪して家に留め置くことができた時代は静かに終わりを迎える。70年前の男たちは国のために死ぬという役割を与えられることで威厳を保っていた。平和憲法が施行され、日本が戦争をしない国になると、今度は会社のために死ぬようになった。それもいまや昔の話になりつつある。死に場所を失った男は父親としての力も失い、女性を縛りつけるものは何もなくなった。

人口減少に悩まされる日本。企業は今後、働き手の確保のために、優秀な女性の採用に力を入れることになるだろう。安倍政権も「女性が輝く日本へ」と喧伝している。要は女性に対して家から出て働けと言っているわけだが、労働環境の整備はこれからだ。ただ、いずれは、女性が働きやすい環境が整備されるだろうし、女性が経営者になるのも当たり前になり、わざわざニュースで報じられるようなこともなくなるだろう。

男女雇用機会均等法が施行された1986年、女性の平均給与は男性の6割弱だったが2013年では7割と改善されている。女性の収入は確実に増えてきており、今後も増え続けるだろう。そうなると男性側には重大な問題が生じる。それは、経済的優位性を失うことで結婚できない男がどんどん増えていくということだ。

女性進出が進んだフランスでは事実婚が多いが、遠からず日本もそうなるだろう。「家の外に出る女はけしからん」という言説は、女性の力を抑えきれなくなった男の泣き言にすぎない。女性はその力を抑えつけられていただけであり、強くなったのではなく、本来の力を取り戻したと言ったほうがより正確だろう。女性はもともと強かったのだ。

だから私は最近の美魔女ブームが今後も継続するかというと懐疑的である。女性が美しさを保ちたいと願う欲求の背景には、男性の目線を強く意識しているという側面がある。女性が完全に力を取り戻して男性に並んだとき、彼女たちは男性から見られること、評価されることにいまほどの注意を払い、努力を続けるだろうか。私にはそうは思えない。

私は現在、大学で教鞭をとっているが、そこでも女性の強さを見せつけられる毎日だ。授業で「何か質問は」と聞いても、手を挙げるのは女子ばかりだ。教員も女性が増えており、新規採用では半分ぐらいが女性なのではないかという勢いである。

その原因の1つに男女の語学力の差が挙げられる。文部科学省の方針で、大学では教員に、英語で授業したり論文を書いたりする力が求められる。この採用基準でふるいをかけると、残るのは女性ばかりということになる。

こうした傾向は私の身の回りだけで見られるわけではない。日本学生支援機構が行った12年度の日本人学生留学状況調査では、海外に留学した学生約4万人のうち、実に66%が女子学生だった。相当な開きがある。これほどの差はいったい何から生じたのだろうか。

■グローバル社会を牽引するのは女

その謎を解く鍵は外婚制にある。外婚制とは女性が一族から外へ出て別の集団に嫁ぐことだ。対立概念である内婚制においては一族の内部で結婚する。イスラム圏とインドをのぞくほとんどの文化は外婚制に分類される。いまほどに人の行き来が多くなかった時代では、隣村に行けばもう言葉が違った。その国の言葉がまったく理解できない状態で留学に行くようなものだ。そんな過酷な環境において、女性は語学適応能力を身につけざるをえなかったといえよう。これからの日本はその能力を生かした女性がグローバルな活躍をする国になるだろう。

女性の社会的地位が向上し、収入が増えることで、女性に選ばれる男性も変化する。金であれ、地位であれ、男が必死になって競争し、争いの果てに得たもので女性を引き寄せる時代はまもなく終わる。

少し前から女性の恋愛対象は金持ちだとか、かっこいいとかではなく、トークのうまい男に変化してきた。女性は心を落ち着かせたり、楽しませてくれる男を選ぶようになったということだ。だが、話がうまいとモテるというのを短絡的思考で実践しようとして、自分のことばかりしゃべる男は掃いて捨てるほどいるが、そういうことではない。自分をひけらかすのではなく、相手の女性をいかに気持ちよくさせることができるか、女性はそこを見ているのだ。

シングルマザーが増えた社会というのは、妻問婚、つまり夫が妻のもとへ通うことが当たり前であった1000年前に戻るようなものだ。かつて和歌が詠める男がもてはやされたように、いまでは話し上手がモテるというのも社会の回帰を思わせる。

女性が社会で活躍することが人口減少による閉塞を打破すると私は確信しているが、肝心の企業のほうが語学力のある女性の採用を渋るという不思議な現象が起きている。というのも、一昔前に英語ができるからという理由だけで採用された男子学生たちが、あまりにもレベルが低すぎたために企業がこりてしまっているからだ。企業にはいま一度考えなおしてもらいたいものである。

(明治大学国際日本学部教授 鹿島 茂)