『愛のようだ』長嶋 有 リトル・モア

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 問題。「又吉じゃないほう芸人」といえば作家の羽田圭介さん。では「羽田じゃない方芸人」といえば誰? 答えは本書の著者である長嶋有さんだ。これは長嶋氏ご本人が実際に朝日新聞夕刊のコラム「ブルボン小林の末端時評」(「ブルボン小林」は長嶋さんの別名義)に書かれていたことで、趣旨としては"現在「じゃない方」として日本一有名なのは羽田圭介くんだが、もし自分が彼と一緒にテレビに出たりするようなことがあれば、自分が羽田「じゃない方」と言われるのであろう"というものだった。実際我が家では、長嶋氏は"羽田先生が芥川賞の発表を待ってるときのカラオケ会を企画した人"として認知されている。まさに羽田氏とセットで思い出される存在ということで、堂々たる「じゃない方芸人」を名乗られてよいのではないだろうか(いや、勢いで書いちゃいましたけど芸人ではないですね)。

 出版元であるリトルモアのサイトによれば、本書は「大切なものを失う悲しみを、まっすぐに描いた感動作。著者初の書き下ろし。最初で最後の『泣ける』恋愛小説」とのことで、どちらかというと「ブルボン小林」としての著者になじみ深い私は半信半疑な感じで読み始めた。主人公・戸倉はフリーライター。漫画評を書いたり漫画家にインタビューしたりするのが仕事だ。私生活においては、四十にして免許を取得した。兄の急死によって、実家にまつわるもろもろのことを引き受けることになったのがきっかけ。しかしながら、初の遠出は友人の須崎とその恋人の琴美とで伊勢神宮へのドライブとなった。がんに冒された琴美の回復を祈るために。

 戸倉が琴美と実際に会った回数はそう多くない。あとはメールなどで連絡を取り合う程度の仲だ。それでも、頻繁に会う相手でなかろうが、友人の彼女であろうが、人は恋に落ちるときは落ちる。戸倉が胸に秘めた恋心にせよ、病によって衰えていく琴美の病状にせよ、淡々と描かれているだけに胸に迫るものがある。抑制のきいた筆致により心が動かされる。

 ...と、カズオ・イシグロ作品のレビューでも書いているような錯覚に陥りかけたが、この小説のもうひとつ素晴らしい点は(特に四十代くらいの人間にとって)ぐっとくる曲や映画などのアイテムが随所にちりばめられているところだ。伊勢神宮詣で以外にも戸倉はいろいろな友人とさまざまな場所にドライブするのだが、その車内で交わされる会話や流される音楽が絶妙。各章のタイトルにも、『キン肉マン』の名ゼリフや『北斗の拳』のアニメオープニングの歌詞などが使われている(長嶋氏は1972年生まれ。1969年生まれの弟を持つ私にとっても、当時の男子たちが好きだったものはごく身近な文化だったので、要所要所で笑いを禁じ得なかった)。もちろん決してそれらがこの小説の繊細さを損なうことはない。

 不治の病ほど深刻なものでなくても、生きていれば困難は降りかかってくるものだ(本書の登場人物たちも多種多様な苦境に立たされたように。結婚など真剣に考えたことのなかった相手が自分の子どもを産んだという永嶺しかり、漫画がボツになってLINEで死にたいともらしたノリオしかり、そして、愛する女性が徐々に衰えていくのを目の当たりにしなければならない須崎と戸倉しかりだ)。そんなときにちょっとしたおかしみに救われることもある(『キン肉マン』や『北斗の拳』ほどダイナミックなものでなくてもいいから)。立ち上がることもできないほどつらい状態に陥ったとしても、自分を支えてくれるものは必ず存在するということに気づければいいと思う。

(松井ゆかり)