先制し、その後追いつかれたものの、日本は慌てず騒がず、耐えるべき時間帯を凌ぎ切り、原川の勝ち越し弾につなげた。写真:佐藤明(サッカーダイジェスト写真部)

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 今から23年前、あの“ドーハの悲劇”が起きた地で、そして同じ対戦相手イラクを前に若き日本の選手たちが歓喜を手にした。6大会連続のオリンピック出場――、2014年1月の立ち上げからなかなか結果を残せず、紆余曲折を経たチームが、大きな喜びを爆発させた。
 
 準決勝で相対したイラクはここまで2戦して2敗と、この世代では分の悪い相手。序盤は一進一退の攻防が続いた。イラクは右サイドに入った10番ヒスニのドリブル突破や、1トップのアブドゥルラヒームのポストプレーから攻撃を展開し、日本は久保、鈴木の2トップを軸に反撃を試みる。すると日本は26分に先制に成功する。
 
 遠藤が中盤でパスカットすると、ボールを受けた中島が鈴木へ。鈴木は相手DFと競り合いながら快足を飛ばして左サイドを突破し、そのクロスに久保が合わせた。絵にかいたようなカウンターで、欲しかった1点を奪った日本はその後、試合を優位に進める。ただ、42分にCKから失点を喫し、1-1で試合を折り返した。
 
 前半終了間際の被弾と、ダメージを残してのハーフタイム。しかしチームの雰囲気はまったく沈んでなかったという。守護神の櫛引が述懐する。
 
「全員が冷静でしたし、1-1は悪くないと。守備は今大会耐えてこられたというところがあるので、そこを継続していこうと話しました」
 
 その言葉通り、後半はイラクの圧力に押されるが、日本は守備陣を中心に守り続ける。
 
 そして、後半ロスタイム、右サイド敵陣深くでボールを受けた浅野がターンして、南野にボールを落とす。南野はこの日、何度も見せた切れのあるドリブルで右サイドを突破にかかり、クロス。一度はGKに弾かれるが、そのこぼれ球をペナルティエリア外で待っていた原川がワントラップから強烈なシュート。矢のような鋭いシュートがネットに突き刺さり、重く閉ざされたリオ五輪への扉がついに開いた。
 
 劣勢に立っても耐え切る力――、これは今予選の手倉森ジャパンの真骨頂と言える。その点は手倉森監督も評価する。
 
「チームの共通理解を焦れずにやった結果だと思います。耐えることにだんだん慣れてきたなって後半、感じました。耐えて勝つっていうメンタリティができてきたなと」
 
“耐える力”は多くの逆境に晒されてきたからこそ身に付いたものなのかもしれない。
 
 手倉森ジャパンは、直面する数々の課題に立ち向かってきた。いや、そもそもはチーム立ち上げ時から、この世代は難しい状況に置かれていた。五輪世代に上がるひとつ前のU-19日本代表では、2012年、14年とU-20ワールドカップの出場を逃し、経験不足が囁かれていた。そうしたなかで、リオ五輪出場を目指すチームは船出した。
 
 すると一昨年のU-22アジア選手権、アジア大会では揃ってベスト8で敗退。その後は得点力不足にも悩まされ、先行きを不安視された。
 
 ただそれだけに「周囲からの期待値は低いとは分かっていたし、その悔しさを晴らしたいと思っていた」(岩波)と選手たちの想いは一致していたようだ。
 
手倉森監督は「僕自身、難しいプロジェクトに対して選ばれたんだなと感じました。でも難しいからこそやりがいがある。選手たちは決してポテンシャルが低いメンバーじゃない。アンダーで悔しい思いをしたからこそ、伸びしろがある」と信じていたという。
 
 そしてイラク戦の前には「悔しい思いをさせられた人間がいるという話をしました。自分も仙台で万年J2にいたチームを5年でACLまで導けた。それは、悔しい想いをしている選手に可能性を感じたからだ」と語りかけたという。
 
 耐えて耐えて、ここぞというチャンスを掴む。イラク戦はまさに手倉森ジャパンのこれまでの歩みのハイライトだったのかもしれない。
 
 リオへの切符を掴んだ若き日本代表は3日後に今大会の優勝を目指して韓国と対戦する。アジア最大のライバルに勝ち、頂点を極めた時、リオでの躍進に対する期待感は、よりいっそう高まるはずだ。
 
取材・文:本田健介(サッカーダイジェスト編集部)