シャーリイ・ジャクスンの長篇小説は、これまで第五作『丘の屋敷』(創元推理文庫)と第六作『ずっとお城で暮らしてる』(同)が翻訳されている。どちらも鬱然たる屋敷で繰りひろげられる不吉な物語だ。SFのドーム都市や推理小説の密室のごとく物理的に隔絶しているのではないが、あきらかに外界とは異なる閉空間がそこにある。本書『日時計』はこれら二作に先行するジャクスン四番目の長篇で、やはり屋敷が舞台となる。

 冒頭は主要登場人物たちが、屋敷へ戻ってくる場面だ。彼らは葬儀のために外出していた。次代当主になるはずだったライオネル・ハロランが亡くなったのだが、誰ひとりとして悼むようすがない。ライオネルの娘ファンシーは「おばあちゃんがパパを殺したんでしょ」と無邪気に放言し、むしろ楽しげだ。おばあちゃんとはオリアナ・ハロラン。ライオネル亡きいま、この屋敷は実質的にオリアナの所有物になった。当主のリチャード・ハロランはすっかり老いぼれ、ときおり思い出したように「死んだのはライオネルか?」と尋ねたりする。ライオネルの妻メリージェーンはひたすら疲れたふうで、姑が早く死ねばいいと平然と口走る。ライオネルの妹、中年にさしかかったいまも娘じみたフランシス(ファニーおばさまと呼ばれている)は周囲から軽んじられ、愚痴をこぼすしか能がない。家族もわがままならば、使用人たちの心も冷えきっている。ファンシーの家庭教師ミス・オグルビーは手癖が悪く、図書室係のエセックスは皮肉屋で生意気。彼らの関心は、いかにしてこの屋敷に寄生しつづけるかにある。ハロラン夫人(オリアナ)が独裁の大鉈を振るえば、彼らがすがる綱など断ちきられてしまう。

 そんな鬱屈した感情が渦巻く----最低限の言葉を取り繕っているところがかえって凄まじい----なか、ふいに神秘的な啓示が訪れる。

 葬儀の翌日、朝まだきにファニーおばさまは邸宅内の庭をさまよい歩き、霧のなかで道がわからなくなる(四十年もここに住んでいたのに!)。テラスから降りたときはファンシーが一緒にいたのだが、置いてけぼりにされてしまったのだ。しかし、のちに問いただしたところ、ファンシーは「おばさまと散歩なんか行っていない」と言う。迷子になったファニーおばさまはどこからともなく囁く言葉を聞き、これ以上にない恐怖を覚える。これは自分の父(この屋敷を建造した初代当主のハロラン氏)の声だ。声は「フランシスよ、屋敷に戻れ。彼らに伝えよ。屋敷にいれば安全だと伝えるのだ」と告げる。さらに「空から、大地から、海から、危険はやってくる」、そして「黒い炎と赤い水のなかで、大地はねじれ曲がり、世界は悲鳴に満ちる。それが起こるのだ」と。

 当初、ファニーおばさまの話をまるごと信じる者はいない。とくにハロラン夫人は端から馬鹿にしていた。しかし、徐々に雰囲気が変わっていく。決定的なできごとがあるのではなく、微量の毒がゆっくりと溶けていくように終末の兆候や予感があらわれる。写真立てに入ったハロラン夫人の写真の喉に深々と刺さったピン。庭の日時計の上でみつかった人形にも全身にピンが突き刺さっていた。アフリカへ赴いた父の意向でハロラン家に寄宿することになった十七歳のグロリア・デズモンドは鏡占いの依り代となり、屋敷のテラスを歩く鮮やかに色を変えながら輝く人物の姿を幻視する。

 そもそもこの屋敷のたたずまいが異様だ。屋根に施された花や豊穣の角の彫刻、大理石製の支柱に支えられたテラスの手すり、正方形の観賞池、緑と金で彩色された四阿、ニンフ像やサテュロス像を備えた噴水。あまつさえ時代遅れの塔や岩屋まで備えている。初代当主は「自分自身の世界を築きあげる」べく、外の世界から容赦なく美を奪い、それを満たして緻密な小宇宙を建造したのだ。

 それと相似形をなすのがファンシーお気に入りのドールハウスだ。小さくてきれいで、本物そっくり。電気もつくし、お料理用のストーブもちゃんと使えて、お風呂には水も流れる。人形もたくさんあって、すべてがファンシーの言いなりになる。それほど自慢のおもちゃなのに、彼女はあっさりと言い放つ。「おばあちゃんが死んだら、ドールハウスは叩き壊すよ。だって、もう必要ないもん」。

 ファニーおばさまは「一夜のあいだにこの世の崩壊が進み、この屋敷にいた者だけが、まっさらになった世界に歩みでて、新しい種の繁殖がはじまる」と断言し、そのときに必要となる知識を得るため、百科事典を手配する。また、村へ出向き、余所から到着したばかりの若い旅人を連れ帰る。屋敷には男が足りないからだ。彼は「キャプテン」と名づけられるが、何のキャプテンなのかは誰にもわからない。

 このころになると、気丈なハロラン夫人も終末の到来を疑う気持ちをなくしている。彼女は夢でふたりの子どもの姿を見た。少年のほうはエッセクスで少女はグロリアだ。彼らは森の中でお菓子の家を見つけ旺盛に食べはじめ、家の持ち主の魔女が大慌てで止めようとするが、まるで言うことを聞かない。その魔女がほかならぬハロラン夫人自身なのだ。

 屋敷から出て行こうと企てる者もいる。ハロラン夫人の旧友ウィロー夫人がふたりの娘とともにこの屋敷に滞在しているのだが、その娘のひとりジュリアはハロラン夫人の財布を盗んで出奔しようとする。不思議なのは誰も引き止めていないのに、ジュリア自身はひそかに脱出する気持ちでいるところだ。しかし、乗ったクルマの運転手との不和によって暗く寒い夜道を彷徨したあげく崖から転落する。気づくと傷だらけで屋敷のベッドに寝かされていた。

 まさしく屋敷は宿命の迷宮だ。世界の終末を乗りきるためのシェルターであり、選ばれてしまった者を逃さない檻でもある。この空間は何に支配されているのだろう? 初代当主の野望? ファニーおばさまの妄念? ファンシーの残酷なイノセンス? ハロラン夫人の無意識? グロリアの霊感? あるいはゴシック・ロマンス的な因果? ジャクスンはご丁寧なことに、作中人物の口を借りてホーレス・ウォルポールの「手のこんだ砂糖菓子のようなストロベリー・ヒル・ハウス」に皮肉な視線を向けてさえいる。

 いかような解釈も可能だが、全体を俯瞰できる視点を見つけることはできない。読者もまた登場人物たちとおなじように、この屋敷に閉じこめられているのだ。読み進むうちに境界線を越えてしまい、気づいたときはこの空間の外側に現実があるのかどうかすらあやしくなっている。

 そして、ジャクスンは読者をけっして裏切らない。まちがいなく終末がやってくる。

(牧眞司)