「山手線で一番ダサい駅」を返上すべく、鶯谷のいいところを探してみた
「鶯谷」と聞いて、あなたはどんなイメージを描くだろう。そもそも、読み方すらわからない人もいるかもしれない。「うぐいすだに」。東京都台東区にあるJR山手線の駅名だ。
不動産・住宅情報サイト「HOME'S」の調査によると、鶯谷駅は「山手線で一番ダサいと思う駅」トップ(24.3%)。失礼ながら、東京出身の記者も、上野や日暮里は何度も訪れたが、その谷間にある「鶯谷」を歩いたことはなかった。そこで今回は、この街を歩いて「いいところ」を探してみようと思う。
ラブホ街を抜けると、子規ゆかりの地が!
まず向かったのは、南口。ロータリーにはタクシーが数台止まっていた。駅舎には「散策の街」のキャッチフレーズ。散策しても良い街なんだ。背中を押されたような気がした。
陸橋を下り、北口方面へ。山手線や東北本線を越えた東側エリアには、言わずと知れたラブホテル街がある。平日の14時すぎとあって、人通りはまばらだ。
北口まで400メートルほどの空間に密集する、数十件のラブホを横目に先を急いだ。
北口より先にも、ラブホテルは続く。5分ほど歩くと、突如として落ち着いた景色に変わった。
ラブホ街を抜けると...
左手は正岡子規が終の棲家にした「子規庵」、右手は台東区立書道博物館。ホテル街からわずか20メートルほどに、こんな文化的エリアがあったのだ。
博物館の裏手には、昭和の爆笑王・初代林家三平の博物館「ねぎし三平堂」も。いかがわしさとは正反対の風景が、そこにはあった。
住宅街に見つけた「廃駅」
ふたたび線路を越え、西側エリアへ。線路に面して、徳川家の菩提寺・寛永寺があるため、線路沿いは歩けない。ぐるーっと大回りして、鶯谷駅南口へと戻ろう。
散策していると、谷中霊園と寛永寺の間に、京成線のトンネルを見つけた。上部には「東台門」(台は旧字)の看板が。調べてみると「東叡山寛永寺のある台地への入口」の意らしく、京成電気軌道の初代社長、本多貞次郎氏の揮毫だそうだ。
トンネルから少し歩くと、戦後まもなく廃止された旧寛永寺坂駅の遺構がある。駅舎は現在、倉庫会社に貸し出されているが、そこには1枚の看板が立てかけられていた。
「旧寛永寺駐車場目隠し門扉設置工事」
発注者は京成電鉄。ということは、旧駅舎のXデーが近いのかもしれない。
寛永寺坂駅跡(::Ys [waiz]::さん撮影、flickrより)
真夏の大イベント「朝顔市」
鶯谷駅の南側には、「おそれ入谷の鬼子母神」のシャレで知られる真源寺もある。毎年7月には「朝顔市」が行われ、下町の夏を告げる風物詩となっている。
入谷朝顔市、画像はイメージ(temakiさん撮影、flickrより)
「鶯谷」という町名は存在せず、駅周辺は「根岸」や「下谷」、「上野桜木」「上野公園」といった行政区分で扱われる。また、両端にある上野駅や日暮里駅とも至近(どちらも1.1キロ程度)のため、イメージが埋没してしまうのではないか。
ホームからの景色
駅周辺のイメージが薄かった鶯谷。電車内やホームから見えるのは、きらびやかなラブホ街――。そう考えると、ダントツで「ダサい」と思われる理由もわかる気がする。
「ふれあいの街」
「歴史と文化の街」
「ディープな街」
鶯谷駅には「散策の街」と書かれていたが、商店街には「ふれあいの街」や「歴史と文化の街」、ラブホ街には「ディープな街」の張り紙があった。イメージ脱却のためには、まずキャッチフレーズの統一から図るのが得策かもしれない。