苦しい試合のなかで決定的な仕事を果たした前園。1968年(メキシコシティ五輪)で止まっていた時計の針が、再び動き始めた。 (C) SOCCER DIGEST

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 1月26日、U-23日本代表は、リオデジャネイロ・オリンピックへの出場権を懸けて、イラクと対戦する。
 
 これに勝てば、1996年のアトランタから6大会連続での予選突破となり、仮に敗れた場合には、29日の3位決定戦に回ることとなる。いずれにせよ、あと1勝で日本のリオ行きが決まるということだ。
 
 厳しい批評を浴びながらも、ついに五輪出場へ王手をかけた日本の若き戦士たち。彼らは明日、最も重要な戦いに臨むこととなる。
 
 日本はこれまで、通算9回の五輪に出場してきたが、ここでは決戦を前に、過去5大会の歓喜の瞬間を、週刊サッカーダイジェストの当時の記事で振り返っていこう。

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1996年3月24日@シャーアラム(マレーシア)
○2-1 サウジアラビア戦
 
 ひとえに28年ぶりといっても、この日フィールドに立った選手たちは、その過去を知る由もない。
 
 周囲がいかに騒ぎ、盛り上げたところで、戦うことができるのは選ばれし者たちだけだ。そして、勝利を勝ち得た悦びがどれほどのものかを我々が知ろうとも、実際に戦ったプレーヤーにどれほど近づけるか……。
 
 4分、前園がキャプテンとして、日本のエースとしての格をサウジアラビアに、シャーアラムに詰めかけた観衆に見せつける。苦戦が予想されたゲームでのアッという間の先制点に、逆に緊張感が増していく。
 
 さらには高ぶりを助長するかのように、その後はサウジアラビアにジワジワと押し込まれる。19分、完全にフリーで放ったマサーリのシュートが日本ゴールを襲う。
 
 だが、ピンチの場面にも、日本には頼れる男が最後尾に控えていた。GK川口――この男の“砦”としての精神力は、逆襲に燃えるサウジアラビアに得点を許さない。
 
 待望の追加点は57分、またも前園が2列目から効果的な飛び込みを見せ、伊東の折り返したボールを左足で静かにサウジアラビア・ゴールに流し込んだ。
 
 自らの存在の重要性を理解し、しっかりと答を導き出すあたり、彼に対する期待が決してオーバーではなかったことを改めて認識したものだ。
 
 アトランタまで残り33分。その後のサウジアラビアの猛攻はあまりに激しく、観戦している者により一層の緊張感を与えた。もちろん、サウジアラビアにもアトランタに対する強い気持ちがある。簡単に勝たせてくれるはずはなかった。
 
 77分、O・ドサリにゴールを許す。刻まれていく時間、そして疲労と戦い、懸命にアトランタへの気持ちを奮い立たせる。最後までコンセントレーションを保った日本は、ついに遥かなる旅の答を得た。
 
 28年ぶりのオリンピック出場という快挙は達成された。しかし、若い選手たちにとっては、新たなる旅の始まりでもある。
 
(週刊サッカーダイジェスト1996年4月10日号)
 
1999年11月6日@国立競技場(東京)
○3-1 カザフスタン
 
 前半だけでもホームチームのシュート数は2桁に達していた。「かえってラインが上がりすぎていたかもしれない」(中田浩)という日本は、立ち上がりから中田英、中村を起点として、カザフのプレッシングの網をかいくぐりつつ、ヒタヒタとゴール前へと詰め寄っていった。
 
 14分には、中田英のパスを受けて明神が右サイドを突き抜け、福田のダイレクトシュートが生まれる。その数分後には明神がダイレクトボレーを放つ。稲本がドリブルで突っかければ、中田英もミドルを披露する。中村、中田浩のクロスもカザフゴール前へと何度となく降り注いだ。
 
 平瀬には頭へ、福田には足元へと狙いを定めたセンタリングのクロスの精度も、それほどルーズだったわけではない。「細かいミスが多かった」と自嘲するする遠藤を除くと、日本のプレーヤーの動きはほぼ一様に軽快で、前回のタイ戦と比較しても、日本はよほど危険な香りを見せていた。