準決勝まで勝ち上がってきた。リオ五輪アジア最終予選である。

 イランとの準決勝は、タフな戦いだった。ロングフィードから活路を切り開こうとする相手の攻撃は、日本陣内での攻防を強いられる。ペナルティエリア周辺での攻防には、何が起こるのか分からない、何が起こってもおかしくない偶然も入り込んでくる。それだけで脅威だ。

 岩波拓也と植田直通の両センターバックは高さと強さを発揮したが、フィジカルでは相対的に劣勢を強いられていた。それでも、日本は耐えた。耐えきった。

 日本の特徴であるパスサッカーはなかなか見せられなかったが、勝利を逃さなかったのは大きい。延長戦になって足が止まってきたイランに対して、日本は最後まで走り切った。手倉森誠監督とスタッフによるフィジカルの管理は、この試合の勝因にあげられるだろう。

 日本らしいサッカーができていない、という批判もくすぶっているのだろうと感じる。試合内容は乏しく、これではリオ五輪に出場しても結果は望めない、といった意見も聞こえてくる。

 手倉森監督率いるチームが、日本らしいサッカーをできないわけではない。放棄しているわけではない。U−19のカテゴリーから準々決勝の壁を破れなかった歴史を踏まえて、指揮官は彼我の力関係を見極めたうえで戦略を構築している。手倉森監督は「柔軟性」と「割り切り」というキーワードを使うが、ひところにまとめれば「現実的」ということになる。

 サウジアラビアも、イランも、準決勝で対戦するイラクも、ロングフィードを多用する。オープンな展開は避けられない。しかも、中東勢は伝統的にカウンターが鋭い。ビルドアップの途中でボールを引っ掛けられると、一気にピンチを迎えてしまう。リスクマネジメントという意味でも、日本らしさを封印した戦いは現実的だ。

 ポンポンとパスがつながり、連動性を感じさせる展開から生まれたゴールは確かに少ない。ただ、個の輝きで生まれたゴールを否定することもできないだろう。タイ戦の鈴木武蔵の先制弾、サウジ戦の大島僚太のスーパーミドル、イラン戦の中島翔哉の2ゴールなどは、どれも大会屈指のゴールと言っていい。

 ゴールの価値は等しい。タフなゲームで結果を残す経験は、選手の自信を磨き上げていく。成長につながる。

 なによりも、アジアの予選を突破することで、チームの強化が五輪本大会まで継続されていく。日本らしいサッカーがどこまでできるのかを追求するのは、本大会出場を決めてからでも遅くない。日本らしいサッカーにこだわって最終予選で敗れるよりも、割り切った戦いも覚悟して世界へ飛び出すほうが、日本サッカー全体にとって利益になると思うのである。