『ジャック・リッチーのびっくりパレード (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)』ジャック リッチー 早川書房

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 2015年12月に亡くなった小鷹信光は翻訳家としての業績が最も知られているが、研究者やアンソロジストとしても数々の業績を遺した。ハードボイルドという文学用語は、小鷹がいなければ現在ほど人口に膾炙することはなかったはずだ。価値を認めたものを世間の人に広めることに、努力を惜しまなかった。

 ジェイムズ・クラムリーをはじめとするお気に入り作家のうち、ここ数年は短篇の名手とされるジャック・リッチーについての仕事が多かった。リッチーは1922年生まれで、典型的な短篇作家である。2005年に日本独自の編纂短篇集『クライム・マシン』(河出文庫)が「このミステリーがすごい!」第1位に選ばれたことで記憶している読者は多いはずだ。未読の方は小鷹訳ではないが、同書や、夜の世界に生きる謎の探偵が主役を務める『カーデュラ探偵社』(河出文庫)などをまず手に取られるといいと思う。後者は、実は探偵は○○なのではないか、と読者がすぐに気づくのに、作家はそのことについて一言も触れずに毎回の物語を進行させていくという粋な趣向が盛り込まれた連作で、キャラクター小説として読んでも非常におもしろい。

 リッチーは1983年に没している。生前にはわずか1冊しか著書が刊行されなかった。発表した短篇の数は346篇。これは小鷹が編纂した『ジャック・リッチーのあの手この手』(ハヤカワ・ミステリ)あとがきに依拠した数字である。小鷹はリッチーの書誌を完成させることに執念を燃やし、ついにはその遺児と連絡をとって未刊行の短篇が8作あるという新事実まで突き止めた。『ジャック・リッチーのあの手この手』は、その研究成果が見事に実った一冊で、元手のかかりようが半端ではない。

 そして今、私の手元には新刊『ジャック・リッチーのびっくりパレード』(ハヤカワ・ミステリ)がある。『あの手この手』に続く小鷹編纂の短篇集第2弾で、今回の目玉はリッチーのデビュー作「恋の季節」から、最後の雑誌発表作となった「リヒテンシュタインのゴルフ神童」まで、作家の仕事の全貌が見渡せるように配慮して作品が選択されていることである。全25篇、前集の23篇と同様、すべて本邦初訳のものばかりでお得な短篇集だ。

 収録作から、お気に入りの作品をいくつか挙げてみる。
「殺人光線だぞ」「地球からの殺人者」など、SF作品がいくつか含まれている。その中でも「正当防衛」はごく短い話で、大学研究棟の情景から始まって、とある発明を巡る話になる。この作品は落ちが最高で、古典的名作とされているアメリカ産サスペンスの長篇と同趣向ながらはるかに切れ味が上なのである。読者に見えている世界が180度ひっくり返るような驚きがあり、読後に残る余韻もいい。まったく作風は異なるが、中盤までに使われていた部品が後半で組み替えられて違った物語に変化するという点で「お母さんには内緒」と共通点があると感じた。こちらはミステリー短篇のお手本のような作品である。

 苦い味、暗い色彩、人生についての皮肉な見方。どんな表現を使ってもいいが、リッチーが単なる落とし噺の作者ではなく、発表する媒体によっては硬質な内容の作品だっていくらでも書けるのだということを見せつけたような作品も収められている。その中の秀作が「保安官は昼寝どき」だ。スケッチのような分量の作品なのであらすじを説明することはしないが、ラストの狂躁感がただごとではない。「戦場のピアニスト」もごく短いが、これもお気に入りの一篇だ。人間性の欠如した者によってある事態が引き起こされるが、結末ではぎらりと光るナイフのような非情さが示される。しかしそれと同時に、読者にはわずかな救いも示されることになるのだ。

 その他、笑いの要素がもりこまれた作品も無視できない。「村の独身献身隊」は、魅力的な妻をもらったために心神耗弱状態に陥りつつある仲間を救うため、我が身を犠牲にして奮闘する主人公のお話で「献身」が何を指すかははっきりと描かれていないが(1950年代の小説だしね)、大人の読者ならニヤリとさせられるはずである。リッチー作品の中ではカーデュラと並ぶシリーズ・キャラクターであるヘンリー・ターンバックル部長刑事ものも3篇(カーデュラものは1編)収録されており、その中では「見た目に騙されるな」が私は気に入った。なぜ台所の戸棚にチキンヌードルがないのか、から始まるターンバックルの推理が読みどころである。

 最後の雑誌発表作となった「リヒテンシュタインのゴルフ神童」は、リッチーが長年主戦場としていたボーイスカウト雑誌「ボーイズライフ」に発表された。同誌掲載作の中にはヨーロッパの小国リヒテンシュタインが出てくるものがあり、その一つである。実は本書の編者である小鷹は、壮年期に入ってからゴルフを始め、専門誌にツアー観戦記を書くなど、このスポーツの熱心なファンでもあった。リッチーが最晩年に発表した作品がゴルフ小説だと知ったとき、どのような感慨が小鷹の胸を駆け巡ったのだろうか。

 以上駆け足で紹介した。ここで言及したものも、もちろん外れなしの名篇ばかりである。名アンソロジストが編纂した、短篇の名手の逸品をどうぞ。

(杉江松恋)