中国メディアの新浪網は21日、福建省厦門(アモイ)市に本拠を置く中国人民解放軍第31集団軍が最近になり、中国東南沿岸部で実弾射撃を伴う大規模な上陸作戦演習を行ったと紹介する記事を掲載した。(写真は新浪網の21日付報道の画面キャプチャー)

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 中国メディアの新浪網は21日、福建省厦門(アモイ)市に本拠を置く中国人民解放軍第31集団軍が最近になり、中国東南沿岸部で実弾射撃を伴う大規模な上陸作戦演習を行ったと紹介する記事を掲載した。

 演習には長距離ミサイル部隊、自走榴弾砲部隊、水陸両用戦車部隊、ヘリコプター部隊などが参加したという。

 中国人民解放軍第31集団軍の前身は1947年に編成され、国共内戦でも活躍した。49年には軍組織の改編で、第3野戦軍所属の第31集団軍となった。1949年にはアモイ市に本拠を置くようになった。1958年の金門島砲撃戦にも同集団軍は参加した。

 第31集団軍はその後、福建省・東山県でしばしば、上陸作戦の演習を行っている。

 新浪網掲載の記事は、今回の演習では装備の大幅な向上を受け、敵前線を複数個所で突破して、縦深突撃を行い、奇襲戦を勝利することを意識した。

 第31集団軍はもともと、台湾本島への上陸作戦を念頭においた部隊であり、台湾で民進党による国会も多数となる政権の発足が決まったため、独立派を威嚇するための演習である可能性が高い。

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◆解説◆
 金門島はアモイ市の沖合い2キロメートルほどの洋上にある島。実際には大小12の島が存在する。

 国民党軍は大陸から台湾に撤退した後も、アモイ市沖合いの金門島などいくつかの島を確保していた。

 中国人民解放軍は1949年10月に、金門島奪取を目指して上陸作戦を発動したが、国民党側は根本博元中将を始めとする日本人軍事顧問団の作戦指導などで、解放軍を殲滅した。国民党側は解放軍を上陸させてから、上陸用舟艇を使用不可能にし、橋頭堡を破壊した。解放軍は最終的に弾薬がなくなり、3800人以上が戦死、5000人以上が投降したとされる。

 蒋介石が金門島などを死守したのは、国民党政権が「台湾だけの地方政権ではない」と主張する根拠を担保するためだった。現在でも金門島の行政区画は「中華民国福建省金門県」だ。

 現在の独立派にとっては「金門島」が「台湾政府の実効支配地域」であることは、やや矛盾が生じることになる。(編集担当:如月隼人)(写真は新浪網の21日付報道の画面キャプチャー)