オタク偏差値75以上のデル・トロ監督らしいこだわり「クリムゾン・ピーク」

写真拡大

ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。今回は映画『クリムゾン・ピーク』について語り合います。

昔ながらの、ゴシックホラー?



藤田 『クリムゾン・ピーク』、『パシフィック・リム』で怪獣映画・ロボット映画という日本の十八番をハリウッド的に革新して度肝を抜いたデル・トロ監督の新作ですが、『パシフィック・リム』とは全然違いますね。

飯田 あらすじを言うと、勃興しつつあるアメリカ産業界でのしあがってきた父親を持つ小説家志望の女の子が主人公。でも社交界のリア充的な空気になじめない彼女は、やはり産業界から疎外されている落ちぶれたイケメン英国貴族の発明家と恋に落ち、そして彼が住む、俗世から隔絶された荘厳なお屋敷に……って昔の少女マンガの恋愛ものかハーレクイン・ロマンスかと。館もののゴシックホラーですね。しかもめっちゃベタな。デル・トロが撮ったアメコミアクションものの『ヘル・ボーイ』や『ブレイド2』ともまた全然違う。

藤田 本人も、昔ながらの王道を敢えてやっていると言っているので、意図的なんですが…… ベッタベタでしたね、本当に。おもちゃっぽい感じの映画でした。

飯田 あ、全身が真っ赤な人体が出てくるという意味では『ヘル・ボーイ』といっしょだけど……w

藤田 あの「ねるねるねるね」的な色味に対する偏愛はなんなんでしょうねw それはともかく、後半の館の造型などは、趣味が炸裂していて楽しかったですけどね。

飯田 もともと特殊メイク出身というのもあるんだろうけど、今回も館や服のビジュアルセンスはすごい。オタク偏差値75以上のデル・トロ先生らしいこだわりは端々に感じられますよ。今回のネタは館もののゴシックホラーだったと。

高慢と偏見とオバケ


藤田 一応、批評的なことを言うと、本作は、ジェイン・オースティン(少女ラブコメ)と、メアリ・シェリーと、コナン・ドイルという作家が言及されていますよね。
 ジェイン・オースティンって、今読んでも通用するラブコメですよ。『高慢と偏見』とか、都会から来た男を、「いけすかない!」って思っているお転婆娘が、だんだん惹かれていって、「最初に思っていたのと違った!=偏見と違った」っていう話ですからね。男の実像=嫌なやつか、誠実なやつか、の見え方が、自分の気持ちの揺れとともに変化して、本当はどうなのかわからないというのが、サスペンスの肝なわけです。
 セス・グレアム=スミスが、『高慢と偏見』をリメイクして『高慢と偏見とゾンビ』という作品を書いて、映画化もされてますが、本作は、いうなれば『高慢と偏見とオバケ』。

飯田 主人公の女の子を助けに行く医者の推理っぷりはシャーロック・ホームズ的とも言えるし、しかし同時に心霊現象への関心を持っていたという意味ではコナン・ドイル的とは言えるけれども、『フランケンシュタイン』を書いたメアリ・シェリーは関係ないかなあと思った。

女性が活躍する再解釈をされたゴシックホラー


藤田 小説家志望のヒロインは、オースティンに喩えられるけど、自分がメアリ・シェリーに憧れると言っている。作品も、『高慢と偏見』的ラブコメ(最初は嫌っていた男に実は惹かれて……)というのと、ゴシックホラーにジャンルが引き裂かれていますね。
 で、ヒロインが書いている本が、この作品、でもある。彼女は「幽霊物はやめて、恋愛ものにしろ」と出版社に言われて、女性差別だと怒って、手書きだとナめられるからタイプライターと使うわけですよね。ここで、女性の権利モノでもある、と示されていますね。
 メアリ・シェリーは、『女性の権利の擁護』を書いたフェミニスト、メアリ・ウルストンクラフトの娘なんですよ。だから、女性の自立的な思想も持っている。

飯田 なるほど。フランケンシュタインを「望まれない子ども」や「新しい科学技術」、「自立を望む女性という新たな存在」が怪物的なものとして人々から疎まれ、失意のうちに復讐を果たそうとするが潰えていく物語とすれば、『クリムゾン・ピーク』にも通じている。

藤田 全体は、オースティン(恋愛もの)、シェリー(ゴシックホラー、女性の権利)、コナン・ドイル(探偵もの)の三つのジャンルに引き裂かれているんだけど、三つ目は主人公を助けに来る男性に割り当てられていますよね。で、このヒロイン、男に助けられてないんですよね、最終的には自分でケリをつける。

飯田 そうですね。そこは「ピンチにヒーローがやってきて助けてくれる」という、あまたある女性向けロマンスとは違いますね。まったく助けられてないわけじゃないけど、あんまり言うとネタバレなので控えます。
 しかしなぜこの時代に「才能を認められない男女が傷を舐め合うしょっぱい話」を映画を撮る必然性があったのかはよくわからなかった……。

藤田 ヒロインが自らの窮地を救う手助けをするのが、グラモフォン=当時のテープレコーダーのようなものに吹き込まれた、過去に犠牲になった女性の声ですよね。幽霊が場にとりつくと言っているけれども、実際は、タイプライターやグラモフォンによって「記録」され、伝達されているわけですよ。そして、女性同士が助け合う。
 『グラモフォン フィルム タイプライター』を書いた、フリードリヒ・キットラーが『ドラキュラの遺言』で、ドラキュラを追い払ったのは、タイプライターを使う女性タイピスト集団と、グラモフォンのような装置だ、って言っていたのを思い出しました。
 そのように、メディア論的、ジェンダー論的に再解釈されたゴシックホラーを目指したとは言えるんじゃないでしょうか。

飯田 ああ、コナン・ドイルも写真という(当時の)ニューメディアにハマっていて、それによって心霊現象を撮れると信じていた――というのが本作でも示唆されているしね。

藤田 狙いとしては、その辺りなんでしょうけど、それが成功しているのかどうかは、結構怪しいかな、と思います。

飯田 けっして駄作じゃないけど、ずいぶんウェルメイドだなあと。ジョン・ウーの鳩と並んでお約束となっていると言っていいデル・トロの虫への偏愛ぶりは今回も炸裂していたけど、その点でもとくに新機軸はなかったぞ!w

デル・トロ監督のメタフィクション趣味はどうなのか?


藤田 一応、ぼく、好意的に読み解いていこうと思うんですがw
 ヒロインは、館にいるときは、金髪を降ろして、いかにも「襲われるかわいそうなヒロイン」風味だけれど、タイプライターや原稿に向かうときは髪を縛って眼鏡を掛けていますよね。あの二つが対照的だなぁ、と。観客は、か弱いヒロインに「志村うしろうしろ!」状態でハラハラするんだけど――同時に欲望も感じるわけだけど――男に助けられないで、自分でなんとかする。タランティーノの『デス・プルーフ』と同じパターンですが。
 割と、自力で解決したあげく、書いた本が出版され、「映画」にまでなっている以上、あのヒロインは物書きとして社会的に成功したこともうかがわれます。さらに言えば、この物語全体があのヒロインの作り話なわけで、ハラハラドキドキの全てが「してやられた」「騙されたのは観客ではないか」という仕掛けになっていると思うんですよね。

飯田 ところどころ、これみよがしなメタ発言が入るでしょう。「幽霊は過去のメタファーです」って主人公が言うとかさ。

藤田 その辺りのデル・トロのメタフィクション趣味が、今回は成功しているのやら、していないのやら。ヒューゴー賞に輝いた『パンズ・ラビリンス』では、現実の戦争の悲惨さの中で女の子がファンタジー世界を脳内に作り出してしまうことを描いていました。それは、ファンタジーやフィクションの存在意義を自己言及したものでした。多分、本作はその系列です。

飯田 デル・トロって過去作でも象徴的な構図とかを教科書的にわかりやすーく使っていたじゃないですか。今回もたとえば没落するイギリス貴族と上昇していくアメリカの資本家を対比したうえで、アメリカ資本を使って採掘するマシーンを作り、下降に向かって突き進む没落貴族の発明家を描く。ほんで採掘機、屋敷のエレベーター、父母が眠る墓を使って「しかし、地下には何かある」という図式をつくる。上昇と下降の対比が「効果的」と言うにはそのまますぎる演出……。
 そういうのって『ヘル・ボーイ』とか『パシフィック・リム』みたいに頭悪そうに見える映画(誉め言葉です、もちろん)のときには絵的にも映えて有効だったんだけど、今回は全体の雰囲気がシリアスだから、逆にベタすぎる点が若干むしろバカっぽく見えるw

藤田 確かにそうなんですが、粘土質の赤い土を、機械で掘り返すという気持ちの悪いビジョンは良かった。真っ赤な血や肉を思わせる粘土質な赤い土の上に建っている館というイメージはいいような。

飯田 そうなんだよね。払った映画代のぶんはあの薄汚れた館や極寒の雪地に滲む赤土の映像で楽しませてもらったので文句は言いたくないんだけど。制作するはずがポシャったホラーゲーム『P.T』(というか『サイレントヒル』の新作)のリベンジ的なホラーにしてくるのかと思ったら「こわさ」よりもむしろビジュアリストとしての才覚を発揮した作品だった。
 過去作で言えば巨大な虫に襲われる『ミミック』も、こわいというよりどこか憎めない感じになっていたけど、今回も幽霊が地面を這いつくばるCGなんか、ちょっと世界観と合ってないw 幽霊の隠しきれないB級感が耽美な俳優陣とミスマッチ。それがデル・トロ節といえばそれまでだけども。

藤田 「箱庭」的に映画内を作り込む才能の監督ですが、今回は、『パンズ・ラビリンス』と同じように、現実の社会を描いたり、社会派的なテーマを扱おうとした。それで、何かぎこちない。

飯田 くりかえしになるけど「何もあなたが今これを撮らなくてもよくない?」という違和感がある。本人的にこっちのほうにも進みたいのかもしれないけど。

藤田 まぁ、ある種類の作家は、時々、こういう「反省」めいた作品というか、メタフィクション風味の作品を撮らないと、次に進めない、ってとき、あるみたいなんですよ。――それをやった後に、なんか吹っ切れたりするみたいなので、ファンタジー作品を(監督作以外でも)作りながら思うところが色々あったんだな、と思いながら観るといいんじゃないでしょうか。

飯田 アートブックも売れているらしいし、俳優のファンはけっこうみんな喜んでいるみたいね。素直にそういうものとして楽しむぶんには全然アリ。

藤田 これ、余談ですが、主演のミア・ワシコウスカは、同じ年にボヴァリー夫人役を映画でやっています。これは、恋愛小説を読みすぎて実際にロマンスを実行して破滅する話ですねw
 2014年には、クローネンバーグの『マップ・トゥ・ザ・スターズ』で、ハリウッドの暗部を描く映画で印象的な役をやっていて、なんだかそういう指向のある監督に今見込まれている女優さんですね。ぼくも好きです。

飯田 主演女優はとってもよかった。スコップを振りまわしたり、具合が悪いフリをするシーンなんてかわいらしかった。
 とにかく今回わかったのは『パシフィック・リム』のせいで、われわれはデル・トロ先生に対する期待値を上げすぎていた……。

藤田 『パシフィック・リム』は、フィルモグラフィ的には例外なんですよ…… だって『ブレイド2』の監督ですよ。

飯田 うん。『ブレイド2』か『ヘル・ボーイ』まで戻って考えれば。

藤田 今後は、『パシフィック・リム』3ぐらいまではやってくれる予定なので、今回は、内省的な作品だったんじゃないですかね。これは想像ですけど、きっと、監督本人が異様に拘っているけど、映画会社は嫌がるタイプの企画だったんじゃないでしょうか。

飯田 そうね。「本当にやりたいことはなかなかやらせてもらえないクリエイター」と「資金調達に困ってあちこちたらいまわしにさせられるプロデューサー」が主役だと考えると、本作は彼が置かれた状況の比喩なのかもしれない。

藤田 ヒロインの小説も、結局、編集者の要望に妥協させられていますしね。ヒーロー(男)の方は資金調達が難航して事業が進まない。そういう状況も入れ子になっていると思います。