初戦の北朝鮮戦から先発メンバーを大幅に変更してタイ戦に臨んだ手倉森ジャパン。その結果である4−0は、普通の4−0より遙かに価値がある。

 中2日の試合間隔。選手をローテーションしていかなければ最大6試合は乗り切れない。長期戦を見据えた起用法と言えるが、徹底ぶりは目を見張るばかりだ。前半、貴重な先制ゴールを挙げるなど、動きのよかった鈴木武蔵を、後半頭からサッとベンチに下げた交代などを見ると、各選手の出場時間はあらかじめ決まっているかのようである。

 彼がベンチに下がった時、スコアは1−0。勝利する可能性は、まだ70%前後に過ぎなかった。目の前の勝利を最大限追求しようとすれば、交代は見送られるものだ。

 しかし、目の前の試合はリーグ戦。サドンデスのトーナメントではない。万が一、タイに逆転負けを喫しても、3戦目のサウジ戦に勝利すれば、グループは勝ち抜ける。

 裏目に出る危険を孕むものの、ある意味で合理的な考え方だ。予選の仕組みと日本の立ち位置を斟酌すれば、理に適っているのはこちら。目標から逆算して計画を練り、力を抜く機会を所々に設ける覚悟がなければ、山頂は目指せない。

 非日本的な考え方だ。日本のサッカー界(及びスポーツ界)は、こうした考え方を避けてきた。予選は「絶対に負けられない戦い」であり、どんな弱い相手にも全力で立ち向かうことを美徳とする。A代表の戦いがまさにそれ。W杯本大会から逆算という発想のもと、4年間を過ごせた過去は一度もない。監督が目の前の結果を恐れ、時のベストメンバーで戦い、本番が近づくにつれ余裕を失うというパターンが定番化している。

 昨年、女子W杯を戦った佐々木監督、2013年U−17W杯本大会を戦った吉武博文監督など、例外は今回の手倉森監督に限らないが、あえてベストメンバーで戦わない度胸や試行錯誤を重ねる勇気を持った指導者が、身近に足りていないことは事実。手倉森ジャパンは、久々にいいものを見ている気にさせてくれる。いまのところ。

 ネットの新聞には「次のサウジ戦にはサブ組で臨みそうだ」と記されていた。しかし、1、2戦を終えた段階で、誰がレギュラーで誰がサブかは分かりにくい。フィールドプレイヤー20人の中で、すでに出場した選手は17人。その中で2戦ともスタメンを飾った選手は4人だけ。他の選手の出場時間は半々だ。スタメンとサブ。この関係が謎めいていた方が、選手のモチベーションは高まる。実力プラスアルファが期待できる。

 さらに、だ。そもそも話をすれば、五輪のサッカー競技はチャンピオンシップではない。年代別の大会だ。最大のテーマは勝利ではない。若手選手の発掘と強化だ。彼らの力関係が近い将来、かなりの確率で逆転することを踏まえれば、五輪チームの監督は勝利を目指しながらも、選手の出場機会を可能な限り均一にする必要がある。平等の精神を発揮しながら、試合に向き合う姿勢が本来、指導者には問われている。

 それは理想論であり、綺麗事であるが、それを貫きながらグループリーグ突破を決めた手倉森ジャパンは、そうした姿勢をとかく冷ややかな目で見つめがちな日本サッカー界(及びスポーツ界)へのアンチテーゼになっている。

 とはいえ過去、五輪に5回連続出場を果たしている日本にとって、グループリーグ突破は序章に過ぎない。ハイライトは以後の2試合、準々決勝、準決勝、あるいは3位決定戦だ。そこに最高点に持って行くことが、監督に課せられた使命になる。

 昨年女子W杯を戦った佐々木監督は、そこのところがうまくいかなかった。選手を数多く起用し、スタメンとサブの境界をなくそうとしたがその間、新たな戦力、新たなコンビネーション、プラスアルファの要素を見つけ出せなかった。振り出しに戻った状態で、決勝戦を戦うことになった。