ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんの対談。トム・ハンクス主演、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『ブリッジ・オブ・スパイ』を扱います。

敵国のスパイの弁護をなぜするのか



藤田 スピルバーグ監督の久々の新作『ブリッジ・オブ・スパイ』。脚本が、あのコーエン兄弟で、第二次世界大戦の直後、冷戦期を舞台にした、実話ベースのスパイものですね。……いきなり断言しちゃおうと思いますがこれは、傑作だと思います。

飯田 めっちゃいい映画ですよね。
 1957年、ソ連のスパイの弁護をむりやり任されたジムが、アメリカ国民の誰もがスパイの死刑を望むなか、合衆国憲法を盾に法廷で戦い非国民扱いをされて自宅に銃弾が撃ち込まれたりするなか、立場を変えることなく、裁判官などと裏でネゴしながら、スパイの電気椅子送りを回避する。ジムの事前の予想どおり、ソ連のスパイは、同じく敵国に捕まった米国の諜報員との交換材料になり、ジムは東西ドイツが壁によって分断されつつあるベルリンにて極秘裏の交渉の任を命じられる……と。
 スピルバーグは偉大な作品が多すぎるのでそれらと比較すると一番に名前が挙がる映画にはならないでしょうが、観てよかったと思える作品です。

藤田 まず、主人公の弁護士、ジムがいいですね。ルールを破ってでもソ連と戦いスパイを摘発する必要があるという「空気」になっているアメリカに対し、法律や憲法を守るための孤独な戦いをするわけですよね。その根拠として彼が言う台詞がイカしていて、「われわれ」と「彼ら」を分けるのは――ドイツ系やアイルランド系の二人の会話ですが、この二人が「アメリカ人」として同朋なのは――のは、憲法という「規則」に由来しているからであり、そこを揺らがせてしまってはいけない、ということなんですよね。

飯田 『マイノリティ・リポート』や『E.T』、『シンドラーのリスト』などでくりかえし描かれてきた「法の埒外に置かれ、何者でもない存在にさせられた者に寄り添う」というスピルバーグ的主題が今回も展開されていたし、やはり彼の映画にくりかえし出てくる「全員が同じ意見に振れたときは再考せよ」というユダヤ的な教え(あるいは「多数決が必ずしも民主主義の本質ではない」という思想)がある。

藤田 第二次世界大戦のときに行われたユダヤ人への迫害は、民主主義的に多数決を経て政権を握った人たちによって行われましたからね。ETや宇宙人も、法の外にいる存在のメタファーであるという読み方もありますよね。

飯田 スピルバーグは笠井潔が言うところの大量死=大量生理論を体現する作家だと思うんですね。簡単に言うと、戦争や管理社会の前ではひとびとは固有性を剥奪されて名前のない集合的存在(群衆)になり、あるいはアイデンティティを奪われて法の埒外に置かれる。しかし、ルール、手続き、原理原則というそれ自体は非人間的とも言えるシステマティックな制度を通じて、または人間が人間ではなくたんなる数字や物として扱われることをあえてむしろ積極的に利用することで、逆説的に、そこで生きる存在を固有名(固有性)をもつ存在として光輪を与える。
たとえば『リンカーン』なら、リンカーンが黒人奴隷を解放するかどうかを憲法改正を通じて実現しようとするとき、対立する人間たちの懐事情につけいり買収することで(ある意味これは奴隷同様に、人間をカネや票田という「数」として換算する、非人間的な行為と言える)、黒人を「人間」として扱うことを公的・法的に認めさせる。

藤田 法の「外側」でどうするべきなのかは、イーストウッド監督も繰り返し主題にしますね。

飯田 そうですね。その問い自体が「アメリカとはなんぞや」というアイデンティティに大きく関わるものだからですかね。

藤田 たとえ冷戦でも、スパイが自分たちを殺そうとしていたかもしれなくても、「法」や「人権」や「憲法」を守ることこそが、「われわれ」の価値を示すことになる――逆にいえば、共産主義圏の不当性を示すことになる――というメッセージを、今発するのは重要ですよね。

飯田 アメリカ側のスパイ機がソ連の情報を得るために飛んでいたらトルコ上空で撃ち落とされるじゃないですか。偶然かもしれないけどめっちゃ「今」の状況とリンクしていた(現在の国際状況を「新冷戦」と呼ぶ学者も現れているようだし)。

藤田 本当の「国益」「愛国者」とは何なのか、を問う映画ですね。日本だけでなく、アメリカでも非国民的な行為をしたら、村八分(?)的なことが起こるというのも、勉強になりましたw

飯田 露骨に陪審員制度批判だったw 思考停止して意見が全員一致になるときは危険だ! と。

「例外社会」に抗う映画か?



藤田 笠井潔さんの話が出たので、笠井さんは今の状況を『例外社会』と呼んでいるわけですが……簡単に要約すると、既存のルールを破る「例外」が、通常になってしまったような流動的な社会になってしまったと。その大きなきっかけの一つが、9・11と対テロ戦争ですね。
 恐怖や、国のための大義名分があるときは、あるいはそれを利用して、政府が「例外」的なことをするのを国民は認めてしまいがちになります。本作のスピルバーグは、21世紀的な情況である例外社会に抗っているとも見える。

飯田 スピルバーグは徹底して20世紀的な作家ですよね。いい意味で。

藤田 「例外社会」の着想のひとつは、ドイツの政治学者カール・シュミットの『政治神学』『政治的なものの概念』です。民主主義や憲法などの手続きをすっとばして、緊急事態、例外状態に「主権」が立ち上がる、ということを言った人ですね。この人は、ナチスを法的・学術的に正当化する役割を積極的に果たしていたと言われています。
 日本も、憲法を「解釈」でどうにかしようとしていたり、憲法を守らなくてもいいんじゃないかという「例外」的な空気になりがちなので、そのことも反省しながら考えるところの多い映画でした。アメリカの影響や、グローバル化で、日本も「例外社会」化してきたのだなぁと。

飯田 法の外に放り出される存在をいかに救うかを描いてきた作家ですからね。歴史的題材を描くことを通じて、20世紀に人類が成した功も罪も忘れてはいけないと思わせる作家でもある。

藤田 アメリカ軍は、現在では、民間の会社に、拷問やら非道な行為やらを委託してやらせているわけじゃないですか。国外の、法が届かないような、グアンタナモなどで。
 ジムは、政府が関与しているんだけど、名目は民間人で動く。そこはPMCや、拷問の外注などと構造はおんなじなんだけど、「法」を守ろうとする。この作品が、アメリカが今行っていることを批判しているのは間違いないでしょうね。

飯田 『プライベート・ライアン』も『シンドラーのリスト』も『ミュンヘン』も本作も、目先の利益よりも原理原則を取るべきで、「人間はいかなる状況であれ、どんな人間であれ『人間』として扱う」ことこそが最終的にはより大きなものにつながる、という話。もちろん、そうは言ってもきれいごとだけじゃなくて生臭いネゴシエーションを通じてそれを実現していくのが重要であることも示すのだけど。

藤田 繰り返しになりますが、目先の恐怖や利害によって「理念」を毀損してしまったら、「われわれ」と「彼ら」の区別失うし、優位性もなくなってしまう。

飯田 そうですね。この映画では、国家がいちばんならずもので、末端のスパイや弁護士は誠実。一時の感情に流される群衆と、名前を持ったプロフェッショナルの対比もされるけれども。

藤田 一応、みんなそれぞれのプロフェッショナルなんですけどね。でも、保身があったり、リスクを負いたがらなかったりしている。それはそれで、わかる。
『シンドラーのリスト』もそうでしたが、彼らは、その当時の社会の風潮では「悪」とされることを、リスクを追って、「善」であると信じ――やらなければならないことと信じ――行動するんですよね。どうしてそういう行動ができるのか、そういう不思議が映画全体を貫いている。また、映画化することで、その当時は報われなかった彼らを称揚する、という効果も果たしている。善行を神が見ている、のではなくて、未来の映画の観客が見ているかもしれない、そう思わせる効果を映画に持たせている。
 今作のネゴシエーションは、泥臭くて、今までのスピルバーグ作品の中でも、結構好きですね。真冬のベルリンは寒い、眠いw そりゃそうなんだなって。決して、スーパーマンがやっているわけじゃなくて、普通の人間が無理してやっているだけなんだ、っていう描写は大事。ああやって描くことで、観客も、自分もできるかもしれない、と思う、という効果が生まれている。

飯田 「憲法」「人権」「人間の尊厳」といった"お題目"を守り抜いた上で手段はどこまでも泥くさく、というのがスピルバーグが毎度重んじていることで、お題目自体をないがしろにしちゃダメよ、というのは、交渉ベタで杓子定規すぎてすぐテーブルをひっくりかえして対話をご破算にしてしまうか、妙にスレちゃっていて志を低くすぐ妥協する日本人は学ぶところがありまくりですね。

『ガルパン』のファンにもオススメだよ!!(?)



飯田 ソ連と東ドイツは同じ共産圏のはずなのに一枚岩じゃないし、対するアメリカ側も足並み揃ってない、みたいな多様性を描いているのもさすがで、『ガルパン』のような国家ごとの戯画的な画一化とは違うなあとw(あれはあれで個人的には嫌いではないですが!)

藤田 東ドイツのリアリティがすごくよかった。映像も素晴らしい。銀残しというか、ノイズをわざと残す質感や色味を、撮影監督のヤヌス・カミンスキーが見事にやってのけている。構図も、寓意や意図がはっきりしているところと、ハッとするような見たことのない切り取りかた(ドキュメンタリーのような臨場感)のバランスが見事でした。この人は、実際、東欧出身で、若い頃にポーランドで戒厳令食らってるんで、本作のリアリティは彼の貢献は大なのではと想像します。

飯田 ソ連のスパイもよかった。ほとんど『羊たちの沈黙』のレクター博士並みの達観ぶりだったけどw

藤田 あのソ連のスパイを演じたマーク・ライランスは、本作で数多くの賞を受賞していますね。確かに、渋かった。

飯田 改めて、なぜこの監督が『クリスタル・スカル』のような困った作品を撮ってしまえたのかがわからなくなった……w

藤田 スピルバーグも、今でこそ、現実の歴史を扱った作品を成功させている作家ですが、初期は、『ジョーズ』とかですからね…… その頃の気持ちに戻ろうとして、失敗した……のかな。『クリスタル・スカル』は。

飯田 巨匠の名をほしいままにしたあとでつくった久々の『インディ・ジョーンズ』でベッタベタな宇宙人(グレイ)を出したりして観客をポカーン!とさせるなんて芸当はなかなかできない。あれはあれで見返したら振り切れ方がすごいと思ったw

藤田 初期のスピルバーグは、『太陽の帝国』を例外として、基本的にはB級、SF作品が多く、『シンドラーのリスト』の直前も『フック』ですからねw 

飯田 余談はともかく、『ブリッジ・オブ・スパイ』はアクションこそ少ないですが、娯楽方面のスピルバーグが好きな人が観ても満足なのでは?

藤田 兵器もちゃんと贅沢に出てきますしね! 戦車も! 『ガルパン』ファンにもオススメですね(?)

飯田 くりかえし観たい映画です。