アジアの国際大会を取材すると、懐かしい名前に出会う。

 2010年の前後あたりは、「カワグチはまだプレーしているのか?」と聞かれることが多かった。2000年と04年のアジアカップ決勝で、川口能活が大会に記したインパクトが絶大だったからである。

 カタールで行われているリオ五輪アジア最終予選で、僕自身も郷愁を覚えている。
 たとえば、イランの監督だ。46歳のモハマド・ハクプールは、92年と96年のアジアカップにイラン代表のディフェンダーとして出場し、98年のフランスW杯でも代表の一員に名を連ねた。180センチ以上のサイズがありながら、ボールタッチに粗さのない彼は、日本とも公式戦にもたびたび対戦している。
 
 13日のゲームで日本が勝利した北朝鮮を率いたのも、かつての代表選手である。ユン・ジョンスだ。年齢を重ねるごとにポジションを下げ、最終的には左サイドバックでプレーしていたと記憶する。最終ラインから攻撃力を見せつけるレフティーだった。

 日本がグループリーグ第2戦で対戦するタイの監督は、90年代に活躍したキャティサック・セーナムアンだ。自国では“タイのジーコ”と呼ばれていたが、ポジションはMFではなくFWである。90年代中期にドリームチームと呼ばれた世代の中核を担った。日本とも何度となく対戦しているが、僕自身は〈やられた〉という印象は薄い。タイのストライカーと言えば、80年代に全盛期を過ごしたピヤポン・ピウオンの名前が思い浮かぶ。

 韓国の申台龍(シン・テヨン)は、92年のバルセロナ五輪代表で、96年のアジアカップにも出場している。もっとも、当時は韓国の選手層がいま以上に分厚く、代表では潜在能力に見合う成果をあげられなかったとも言える。
 
 オーストラリアのアウレリオ・ヴィドマーは、監督としてのイメージが強いかもしれない。2010年以降は年代別代表やフル代表に、継続的に関わっている。
 
 僕自身の記憶では、彼も元代表選手だ。もっと言えば元Jリーガーである。オーストラリア出身の選手を積極的に獲得していた90年代後半のサンフレッチェ広島で、キャリアの終盤の一時期を過ごした。
 
 中東諸国も、東アジアも、東南アジアも外国人監督が多かった1990年代に比べると、2015年現在は自国の人材を監督に据える国が増えていると感じる。若年層のカテゴリーだけに、そうした傾向が強いのかもしれない。ただ、外国人監督を招聘して短期的な結果を求めるだけでなく、その国のサッカースタイルを構築しようとする動きは確実にあるはずだ。
 
 3つしかない五輪の出場権を獲得するのは、果たしてどの国なのか。ベンチで采配をふるう監督たちの戦いも、ここから本格化する。