ゲノム解析とIT化が日本の医療を救う? shutterstock.com

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 日本の医療、とくに、「医療保険制度が継続可能か?」と問われて久しいが、ぎりぎりで崩壊せずに維持されている。しかし、断崖絶壁まで追い詰められているような状況に見える。

 最近、バングラデシュを訪問した私の弟子の一人が「衛生状態が非常に悪く、人々はまだ短命で、いかに日本やアメリカなどの先進国の衛生状態や医療が素晴らしいかを再確認致しました」とメールを送ってきた。多くの日本人は、如何に素晴らしい医療環境に置かれているかを理解していない。いつでも誰でも、どこでも、しかも定額で、医療機関を受診する事ができる。アメリカの医療環境は優れているが、お金によって、受けることのできる医療の質は違ってくるので、日本ほど恵まれた国は珍しいのだ。

 しかし、人口の高齢化、要介護人口の増加、医療の高度化、高額な新規医薬品の開発などの動向を鑑みれば、日本の医療費の増加は不可避である。「税金や医療費はできる限り払いたくないが、医療サービスを低下させるな」などと贅沢なことを言っている場合ではない。

 国民が自分たちが恩恵を受ける医療をどうすべきなのか、真剣に考えなければ、医療保険制度の破綻、あるいは、医療の質の低下に直面することは確実だ。また、政治家や官僚は、医療を「消費」と捉えるのではなく、医療を国家の「基幹産業」のひとつとして成長させる戦略的な取り組みを考えていかなければならない。5~10年後どころか、足元のことしか考えず、起こった問題を取り繕っているような状況ではないのだ。

ゲノム配列解明による効率的な個別化医療政策を

 質を保ちつつ、医療費を抑制するためには、まず、高齢化にともなう要医療人口、要介護人口の増加を抑制することがあげられる。医療を「病気を治療する」ものと捉えるのではなく、「病気の予防する」ことを含めて捉え、国民運動を展開する必要がある。

 今や、医学的に重要なゲノム配列を決定するには、コンピューターによる情報解析コストを入れても10万円で可能である。これによって、病気のリスクを予測したり、薬剤の効果や副作用のリスクを診断することが可能だ。米国のオバマ大統領の提唱するThe Precision Medicine Initiative(私は個別化医療施策と呼んでいる)のゴールのひとつはここにある。塩崎厚生労働大臣がゲノム医療を推進しようとしているようだが、もっと大胆に資源を投入してほしい。

https://www.whitehouse.gov/the-press-office/2015/01/30/fact-sheet-president-obama-s-precision-medicine-initiative

 そして、がんなどでは「がんで生じている遺伝子異常」「患者さんの免疫状態」を調べることで、薬剤を有効に活用し、膨大な薬剤費の無駄を省くことができる。フランスは5年以上前から、国として取り組み、無駄な医療費の削減に努めている。患者さんにとっても、無効な治療を受けている間にがんが進行することを避けることができる。

 特に、最近注目を集めている免疫チェックポイント抗体は、世界中の売り上げが近々年間7兆円に達するであろうという話を耳にした。確かに効くが、それでも有効率は20〜30%だ。少なくとも70%の患者相当、すなわち5兆円は全くの無駄になる。医療保険制度を考えれば、こんな馬鹿な話はない。薬の使い分けに向けた国の総力を取り組みが求められる。

医療従事者の労働環境効率化とITの徹底活用

 医療現場の抱えている課題は多いが、その中でも多くの医療従事者が疲弊している医療環境を変えることは急務である。医師・看護師・医学研究者などの多くは、医師免許・看護師免許・博士号などがなくてもできるような仕事に、多大な労力と時間を割くことを強いられている。

 医師不足が叫ばれているが、「ドクターX」のように「医師免許が必要な仕事」に専念できるようになれば、医師と患者の関係は改善されるだろうし、新しいことにチャレンジする時間も生まれてくる。そして、「一億総活躍」を謳うならば、家庭に眠っている多くの女性医師や看護師を、夜間当直が求められない診療や研究を補助する立場で雇用するなど、簡単にできることではないのか?そうすれば社会はもっと活気付くはずだ。

 そして、さらに重要なのは人工知能の活用だ。これには、今の技術でも対応可能なものから、国際的な競争の場となるであろう高度なものまで幅が広い。たとえば、患者の取り違えや、薬剤の取り違いなど、現在のICチップやバーコードを利用した方法で簡単に防ぐことができる。検査に利用した造影剤が間違っていたために、不幸にも患者さんが亡くなった例など、単純なITシステムの構築で回避可能だ。

 病理検査や画像診断など、その気になればすべて自動化することが可能だ。コンピューターの計算速度を競うだけでなく、何に利用するのかもしっかりと考えてほしい。現在、多くの場合、病理医や放射線読影の専門家に頼っているが、典型的なものについては、人工知能による診断で置き換えが可能だ。これによって、専門家は難しい症例にもっと時間をかけることができる。

 専門家でも意見が別れるものについては、さらに情報を蓄積して確実性を高めていけばよい。がん検診センターなどでの単純な見落としなど、少なくない。最近10年間でも、私の知る範囲で、3名の知人が明らかな見落としによって、がんの発見が遅れ、命を落としている。

日本型医療情報データベースで世界に貢献

 これらの画像検査や生化学的検査、そしてゲノム情報などを患者さんの治療経過などとともに集積し、膨大な患者さんの医療情報データベースとして統合すれば、医療行為の結果をより確実に予測することが可能となる。

 特に、保険制度によって比較的均質な医療が提供され、診断機器などが充実している日本では、世界に冠たる医療情報データベースの構築ができると期待される。これらによって膨大な新規の産業が生み出され、経済活性化につなげる事ができる。もちろん、これらの医療体系そのものを輸出し、医療分野で世界に貢献することが可能となるのである。私の夢である、「医療分野で『日の丸』を掲げる」ためにも、医療全体にメスをいれ、高齢化社会を生き延びるための模範を示して欲しいと願っている。

中村祐輔(なかむら・ゆうすけ)
1977年大阪大学医学部卒業、大阪大学医学部付属病院外科ならびに関連施設での外科勤務を経て、1984-1989年ユタ大学ハワードヒューズ研究所研究員、医学部人類遺伝学教室助教授。1989-1994年(財)癌研究会癌研究所生化学部長。1994年東京大学医科学研究所分子病態研究施設教授。1995-2011年同研究所ヒトゲノム解析センター長。2005-2010年理化学研究所ゲノム医科学研究センター長(併任)。2011年内閣官房参与内閣官房医療イノベーション推進室長を経て、2012年4月よりシカゴ大学医学部内科・外科教授 兼 個別化医療センター副センター長。