『ナイト I (ウィザード・ナイト)』ジーン・ウルフ 国書刊行会

 第一部が『ナイト』で、第二部が『ウィザード』。いちおう別々のタイトルがついているが、実際はひとつらなりの物語だ。翻訳は各部それぞれ二分冊、合わせて四冊とかなり読みでがある。総称は〈ウィザード・ナイト〉と、なぜか物語とは逆の順番になっている。主人公が段階を踏んでパワーアップし、最終的には「魔法騎士(ウィザード・ナイト)」として認められるまでの物語だ。

 語り手の「ぼく」は現代アメリカの少年だったが、兄(ベンにいさん)と一緒にログキャビンへ行き、兄がちょっとした用事で町へ戻っているあいだに軽い気持ちで散策に出て、そのまま異世界へ迷いこんでしまう。闇のなかで何者かが「誰かが来たぞ! エルフリースに来たぞ!」と言っていたことを覚えている。

 目覚めるとそこは海辺の洞窟。奥のほうでは歯がやたらたくさんある老婆が座って糸をつむいでいる。ぼくは「ここからグリフィンズフォールドにはどう行けばいいですか?」と尋ねるが、なぜ自分の家がグリフィンズフォールドにあると思いこんでいたかはわからない。なにもかもごちゃまぜになっている。

 老婆の返事は要領を得ない。ただ、彼女はぼくのことを「エイブル・オブ・ザ・ハイ・ハート」と呼び、それ以降、これが〈ウィザード・ナイト〉でのぼくの名前となる。老婆によれば、エルフ----ファンタジイではお馴染みの妖精、この物語では人間よりも下等な存在とされる----がエイブルをここに連れてきた。また、それ以前のエイブルの記憶は奪われたのだという。とは言っても、アメリカにいたときの記憶は残っているので、こちらへ来てからの空白期間があるということか。

 のちになってわかるが、ここ(つまり洞窟がある世界)はミスガルスル----またの名を〈物語の生まれる庭〉----であり、七つの世界のうちの四層目。つまり真ん中でもっとも揺らぎが少ない世界だ。ミスガルスルから上へ行くにしても下へ行くにしても、離れるほど世界のゆらぎは大きくなっていく。エルフたちが棲むエルフリースは、ミスガルスルのひとつ下位だ。

 さて、エイブルの「空白期間」はその後の展開で重要な伏線になってくるようなのだが、ジーン・ウルフは「実はこうでした」という種明かしをしてくれない。読者は作中のバラまかれた手がかり----ほんの小さなほのめかし----を拾い集めて推測するしかない。文学的な判じものの趣向だ。

 そのうえ、一人称の語り手であるエイブルが、いろいろとあてにならない。ムダに饒舌なくせに----なにしろ分厚い四巻分を延々と語り通している----平然と「そこで目にしたものを話すつもりはない」とか「そのことを書くべきなんだろうな。でも書かないよ。ほとんど覚えていないから」とか「そのことはいずれ詳しく話そう。機会があれば」とか「何の話をしているか自分でもわからない。ぼくの心から奪い去られたなにかの精霊がもどってきて取り憑いたみだいだ」とか口走るのだ。

 そういうあからさまに「読者を煙に巻いていますよ」という語り口以外にも、ウルフはいろいろと細かく仕掛けてくる。たとえば、怪物犬のギュルフと魔女の飼い猫だったマーニはどちらもしゃべれるがそれは同じようにではなく、ギュルフはひとりでにしゃべれるのだが、マーニは魔法の力で物言う魂と獣が結ばれたからで、しかもその魂と獣はまだ完全にひとつになったわけではない。こんな何の意味があるのかよくわからない----いっけんするとファンタジイにありがちな無駄な設定のようにも思える----説明が、会話のなかにさらりと出てくる。これだって勘ぐりだせば、マーニが口にする言葉を「額面通りに受けとってはならない」との注意に思えてくる。ウルフの作品を"解こう"とすれば、そういう厄介な----一言一句を叙述トリックと疑ってかかるような----作業が必要となる。

 もちろん、そこまで根をつめて読まなくともOKだ。「語り/騙り」の手づまを無視し外形的な物語を追えば、目の前に広がるのは北欧神話やアーサー王物語を換骨奪胎した絢爛な異世界だ。ドラゴン、エルフ、オーグル、キマイラなどの幻獣もぶんだんに登場する。

「普通の」ファンタジイとして読んだとしても、先述した「空白期間」のトリックはある程度は見えてくる。まあ、あくまで「そんな気がする」くらいの鮮明度で、細部までピッタリと寸法のあった透視図が完成できるかは心許ない。意欲的な読者は挑戦してみてください。ただ面白いのは、「『ミスガルスル』と『エルフリース』の往還」の構図だけが単独であらわれるのではなく、そこに「『元の現実』と『ファンタジイ空間』の対照」の輪郭がうっすらと重なってくることだ。

 主人公の少年(ぼく)は現実からファンタジイ空間へ移行し、そこで元の場所(アメリカ)にいる兄へ手紙を書いている。それが〈ウィザード・ナイト〉なる小説の全体なのだが、この小説のなかにそれと相似形(?)の物語がはめこまれている。エイブルになったぼくが口にした村「グリフィンズフォード」で、かつてひと組の兄弟が暮らしていた。その弟のほうが少年のころに行方不明になっており、兄は弟が帰ってくるのを待ちつづけて歳を取ってしまう。その弟の名前がエイブルというのだ。兄のボールド・バーソルドはちょっと頭のネジが緩んでいるようで、海辺の洞窟からやってきたエイブル・オブ・ザ・ハイ・ハートと出会ったとき、彼を自分の弟のエイブルだと信じこむ。このボールド・バーソルドとエイブルと奇妙な関係が、残響のように作品の背後を流れていく。

 物語の太い幹をなすのは、ミスガルスルにあるセリドン王国と「霜の巨人」と呼ばれるアンガーボルンとの争いだ。第二部『ウィザード』では、セリドンの王アーンソールは配下のロード・ビエルとその娘のレディ・イドゥンを「霜の巨人」の王ギリングの元へ遣わし、政治的交渉によって事態の解決を試みる。この外交団のなかには、騎士ガーヴェイオンと騎士スヴォン、そしてスヴォンの従騎士トゥッグがいた。この三人はいずれもエイブルと因縁浅からぬ者たちだ(その因縁は第一部『ナイト』で語られる)。ガーヴェイオンはエイブルに剣での戦いかたを叩きこんでくれた恩人である。スヴォンはもともとはエイブルと敵対していたものの、いろいろと経緯があっていまはエイブルの配下に収まっている。トゥッグは農民の息子だったが、エイブルが騎士になるための冒険をしているときに随伴した勇敢な魂の持ち主で、自分自身は騎士になりたいとは思っていないのだがエイブルに「おまえはすでに騎士なのだ」と言われる。

『ナイト』はエイブルが、伝説の剣エテルネを手に入れて、ドラゴンとの激闘の末にミスガルスルの上位にある世界スカイへ登っていくところで幕を閉じた。トゥッグはエイブルが海に落ちて死んだと思いこんでいたが、どっこい『ウィザード』で、エイブルはパワーアップして戻ってくる。ミスガルスルよりもスカイの時間経過が早いため、こちらを二、三日の不在したあいだに二十年もの経験を積んでいたのだ。しかし、エイブルはトゥッグにこう告げる。「わが力はスカイのもの。わたしはそれを用いぬと誓った」「わたしはすでにミスガルスルの力を失っているので、わたしに代わってそれを使える者がいないと困るんだ。わたしがなぜきみを必要としているかわかってほしい」

 ......というわけで、『ウィザード』ではトゥッグが大活躍をする。トゥッグは外交団の一員としての使命とは別に、巨人族に攫われた姉ウルファの救出という目的もあった。ウルファは騎士になる以前のエイブルと知りあい、彼を慕うあまりに生まれた村を離れた経緯がある。彼女はエイブルの従者だった船乗りプークと出会い、いまはプークともども巨人族の奴隷となっている。このように、登場人物ひとりひとりが込みいった人生を背負っていて、それらが複雑に絡みあうのも、『ナイト』『ウィザード』の特徴だ。

 ときに謎めいたふるまいをする者もいる。たとえば、ギリングの元へ赴いたトゥッグに同行するエルフ乙女のバキ。彼女は『ナイト』でエイブルと妙なかたちで関わりを持ち、『ウィザード』の序盤ではトゥッグに瀕死の重傷を治してもらう。以降はトゥッグに忠誠を誓っているが、それとは別にバキなりの思惑がある。彼女のいちばんの望みは「サー・エイブルの導きでセトルと戦う」ことだ。セトルとは半分人間のドラゴンで、かつてエルフたちが棲む世界エルフリースを手中に収めようと策動した。そのときからの因縁でバキはセトルを憎んでいるのだ。しかし、皮肉なことにセトルはエイブルの命を救ったことがある(ただしエイブルが知っているのはセトルがエルフの姿になっていたときで、そのときはセトルではなくガルセックと名乗っていた)。セトル/ガルセックのおこないはかならずしも善意によるものではないが、エイブルにとって恩義は恩義だ。

 バキはエイブルをセトルとの戦いへ仕向けるため、巨人族の王ギリングを利用しようとし、いっそう事態をややこしくしてしまう。ただしバキがギリングに何かを仕掛けたというのは、あくまでバキの姉妹ウリの証言であって、真相は判然としない。いずれにせよ事態がややこしくなるのは避けられず、レディ・イドゥンがギリング王に嫁ぎ「霜の巨人」の女王(少なくとも「霜の巨人」の女性たちの女王)の座についたものの、巨人たちとロード・ビエルの外交団との衝突は回避できない。

 激しい戦闘と権謀術策! 剣と魔法! 騎士の面々をはじめとする個性的なキャラクターが入り乱れる。そうした激しい展開がある一方、ロマンチックな香気----とりわけエイブルとエルフの女王ディシーリとの運命的な恋愛----も濃厚だ。エイブルはディシーリから託された伝言をアーンソール王へ届ける使命を帯びているのだが、彼自身は伝言の中身を彼は知らない。これも〈ウィザード・ナイト〉の大きな謎。たぶん、ほかの謎ともつながっていると推察されるが、これはかなり手強そう。ぼくは最後まで首を捻りっぱなしでした。

(牧眞司)