スライムの内臓を描いた「ダンジョン飯」のリアリティ。サブカルチャーが空気になった時代の日常漫画

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ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる対談。今回はマンガ『ダンジョン飯』について語り合います。

モンスターの解体・調理を具体的に描く画力がすごい!



飯田 九井諒子さんによる『ダンジョン飯』は「このマンガがすごい!」の男マンガ部門で2015年度の第1位。このところ長く流行っているグルメもの、食べ歩きもののファンタジー版。

藤田 基本は、ダンジョンの中に入っていくための食糧を、自給自足でやっていくという、ロジスティックな料理マンガですね。ダンジョンの奥に進んで行くには食糧をたくさん持っていく必要があって重たいよねという合理的なところと、死んでも魔法で蘇るという世界観のミスマッチが面白い。ゲーム的な世界観に、「食事」という忘れられていた隙間を見つけて、深く掘ったということで、よくこんなニッチを見つけたな(しかも評価されたな)と感心しました。

飯田 食材調達から始めている狩猟マンガでもあるので、岡本健太朗さんの『山賊ダイアリー』とある意味似ているけれども、こっちは架空の生物の調理法を描いているところがおもしろい。「スライムとサソリ汁」とか「人喰い植物のタルト」とか「マンドレイクとバジリスクのオムレツ」とか。

藤田 スライムの内臓の構造まで書いてありましたしね。干しスライムの作り方とか、面白かった。動く鎧みたいな、オバケ系かと思っていた敵も、実は貝柱みたいなのが鎧の隙間にいて動かしていた、とかは、面白いですね。
 食べられるようにモンスターを描くというのは、かなり具体的な肉付け(だけでなく、内臓などの設定)をした上でモンスターを設定し、生態系などもリアルに構築しなければいけないので、その労力と、解体・料理を具体的に描く画力の勝利を感じました。マンガならではという感じがする。

飯田 澁澤龍彦の『わたしのプリニウス』で紹介されている架空の奇想生物の話みたいでおもしろいんだよね。澁澤の本から博覧強記で天才的なほら吹きでもあるプリニウス先生(最近、ヤマザキマリ+とり・みきの共作でプリニウスについてはマンガ化されててそれもオススメ!)の著作の孫引きをすると、こういうのとか。
「エティオピアにはまた、クテシアスによると、マンティコラスと呼ばれる獣を産する。この獣の歯は三列にならんでいて、櫛の歯のように噛み合わされる。顔と耳は人間、目は青色、そしてライオンのごとき体?は血の色をしている。尾はさそりの尾のように相手を刺し、声は葦笛とトランペットの合奏を思わせ、非常に速く走り、好んで人肉を食う」
なんか似てない?w

藤田 似てますねw

異世界+料理ブームとは?


藤田 ところで、「このマンガがすごい!」で多根清史さんが、「小説家になろう」で異世界料理系が大流行していると書いていたのですが、本当ですか?

飯田 流行ってますね。『異世界食堂』というまんまのタイトルの作品も人気だし、『フェアリーテイル・クロニクル』でも屋台開いたり食材調達に血道をあげたりしているし。ほかにもいっぱい。

藤田 この潮流の流行について、どう解釈します?

飯田 基本、ファンタジーは『指環物語』のトールキン大先生も言うように「逃避」や「癒し」の文学ですが、「なろう」系はとくにその傾向がつよい。しかも、世界を救うみたいな大目標があってどうこうではなく、ちまちました手近な欲望を心地よく満たすタイプのもの。日本人は働きすぎて疲れているので、その状態で触れるフィクションのなかでまでがんばりたくないと。芳文社系のマンガ(日常系)とグルメファンタジー系の感触はどこか似ていますからね。

藤田 なるほど、異世界系も、日常系に近づいていると考えればいいんですね。

『ダンジョン飯』と『ヲタ恋』の共通点


藤田 「このマンガがすごい!」女性マンガ部門の1位『ヲタクに恋は難しい』も読んだのですが、どちらも、「サブカルチャー的な世界観が自明になった中での日常」を描いているという共通性があると思いました。

飯田 ああ、『ヲタ恋』もたしかに日常描写にサブカルチャー的感性が染みこんでいる。

藤田 『ダンジョン飯』は、RPGゲームなどでありがちなダンジョンの中に「料理」を持ち込んで日常的なものを描く。既存のありがちなRPG的世界観が、説明抜きの下敷きになっている。『ヲタクに恋は難しい』は、腐女子であることがバレて振られるヒロインと、ゲームヲタの恋愛なんだけど、こちらも割とだらだらしている。腐女子がバレるだけで振られるから隠すとか、「今はそんな時代でもないのでは?」と思いましたが。ヲタを隠し、普通の女の子を「擬態」する二重化の描写とか、良かったですね。

飯田 どっちの話も、政治、経済、社会のこととかほとんど出てこない。焦点が当たらない。ある特定のトピックを延々描き、キャラのかけあいを描いてちょっとずつキャラを掘り下げていく。「魔王を倒す」みたいな目標が弱いから、いくらでも(読者に飽きられるまでは)続けられる。主人公たちにはうまいものを食いたいとか、目先の欲望しかないように見える(それを二巻作中であるキャラから突っ込まれて、主人公が動機を話しているけど)。

藤田 魔王を倒すとか、結婚(ゴールインする)とか、大目標が、ないわけじゃないんだけど、大きく主題とはなっていない。
 しかし、男女ともに一位がこのタイプの作品であるというのは興味深いですね。

飯田 『ヲタ恋』もそうだけど、テンプレまんまのところと、独自に味付けしているところのバランスがふしぎ。たとえば『ダンジョン飯』ってキャラクターの職業や戦い方はファンタジーRPG的なお約束を守っている。食い物になるモンスターや植物なんかの設定は独特なのに。

藤田 その乖離は、ぼくも気になったんです。

飯田 「なろう」系も「オリジナリティある世界を一からつくるぜー!」って感じじゃないんだよね。志のところからして。特定作品の二次創作じゃなくて、現代サブカルチャー総体に対する二次創作というか。

藤田 テンプレを前フリみたいに使い、「それとは違う」という部分を際立たせる、という感じかな。(『ヲタ恋』では、普通の少女漫画のヒロインっぽい見た目だけど、ヲタ活動については目がゴルゴになるとか、ギャップを出している)
 現代サブカルチャーの中に、何をつけくわえたり、ずらしたりしていくか、という勝負ですよね。でも、『ヲタ恋』も『ダンジョン飯』も、でも、生活や食事という点で、リアリティとちょっと接続しているのも面白いところで。
 エッセイマンガ辺りが、「現実から素材を持ってきて、マンガのバリエーションを増やす」ものとして流行してきたとすれば、『ダンジョン飯』は、異なるジャンル(RPGと料理モノ)をくっつけた感じですね。そうすると、引用のコラージュみたいに現実と接点をなくしそうだけど、そう感じさせないのは、モンスターの具体性と食事という部分がぼくらの身体性と接続されてリアリティを生んでいるからなんでしょうなぁ。
 敵対している種族が、一緒に料理を食べることでなんとなく仲良くなるという『クッキング・パパ』パターンが二巻に出てきて、笑いましたがw

サブカルチャーが「空気」になった


飯田 お約束や先行する何かを意識的に「引用する」というより、空気みたいに当たり前のものになっている。日常のもの。だからこそ生活や食事と同居できるのかな?

藤田 ええ、先行するサブカルチャーは、空気か現実のように当たり前にあるというリアリティを感じました。トールキン先生は、世界を、言語ごと丸ごと作ろうとしましたけどねw そういうのではなくて、次々に色々な人がちょっとずつ変えていく連鎖の中で面白いもの、尖ったものが発展していくのが、「なろう」などの日本のファンタジーの面白さ、みたいな図式ができそう。

飯田 もはやとっくに親子でドラクエの話とか普通にできる時代なわけで、そりゃ空気みたいになるよね。「異世界」なんだけど、手近にあるよく見知った異世界。それをちょっとアレンジするくらいの感じ。
 しかし、うまい。
 そういうマンガなんじゃないでしょうか。

藤田 ……料理次第で、ありふれたものが、美味しくなる、というマンガでもありますね(まさにそれを体現したマンガですね)。

飯田 「ごはんを食べたい」ってよく引き合いに出されるマズローの欲求5段階説でも下層の欲の扱いだったけど、現代社会においては単純にそういうものでもない。
 グルメマンガで描かれている「食欲」は「飢えをしのぐ」という生存のための欲求じゃない。もっと文化的なもの。ぜいたく。他人とのコミュニケーション欲求を満たしたり、見栄やプライドに関わってくるものでもある。
 ラーメン屋の裏側を掘りまくった『ラーメン発見伝』もそうだけど、食文化をめぐる物語はある種の文化闘争で、それを異世界を舞台にやってみせた感じがします。『美味しんぼ』くらい(?)長く続いたらどうなっていくのかが、楽しみなマンガです。