女子サッカー界に多くの道を拓き、その足跡を刻んできた澤穂希。引退発表からスパイクを脱ぐその瞬間までに、彼女が紡いだ言葉からいくつもの場面がよみがえる。澤が残した"言葉"から、彼女の歩んだ道のりをたどってみた。

「佐々木(則夫)監督になって、自分の守備力を見出してくれた。そこから自分自身も守備に対する気持ちも考えも変わったと思っています」――澤穂希――

 2008年2月、佐々木監督が就任した直後、敢行されたのが澤のボランチへのコンバートだった。これまでオフェンシブな位置で脚光を浴びていた澤は、戸惑いを隠せなかった。このとき、同時にボランチへコンバートされたのが阪口夢穂(日テレ・ベレーザ)だ。のちに、不動のボランチとして澤の最高の相棒となっていく。彼女もまた澤と同じく、ゴールを生み出す選手だった。

 世代別カテゴリー代表では中心選手として活躍していた阪口も、なでしこ入りした頃はベンチを温め続けていた。その目の前でチームを牽引していたのが澤。いつかこのふたりが並んで立つ日が来れば最強になると感じていたものの、それは前線で肩を並べるものだと思っていた。ところがまさかのボランチ起用。誰もが驚愕した。もちろん当事者が一番驚きを隠せなかった。

「あのときはふたりともボランチ初心者で......。自分が絶対にやらないポジションやと思っていたから、お互いに。てんやわんやになっていたのが、今思うと面白い(笑)」(阪口)

 今のなでしこジャパンの礎(いしずえ)となるスタイルを作るために、澤と阪口は練習中に疑問が生じれば何度でも足を止めて言葉を交わした。その年の北京オリンピックでは、これまで負け続けていたチームが、初めて大舞台で勝利を重ねた。この大会は、ふたりのボランチに確固たる自信を芽生えさせるきっかけになった。

 そして2011年にワールドカップドイツ大会で掴んだ世界一。澤はボランチでありながら得点王にも輝いた。そこに相棒である阪口の存在は欠かせない。

「みーちゃん(阪口)でなければ、私は生かされてない。彼女が一番私のことを理解してくれてると思ってる」――当時の澤が背中を預けられるほど、そして阪口は自身を抑えてでも澤を生かすほど、互いを認め合っていた。

 ふたりは意外にも昨年のカナダワールドカップではボランチを組んでいない。大会直前の5月に行なわれたイタリアとの親善試合が、最後になるとは想像もしていなかった。

 澤のラストマッチとなる皇后杯で対戦すること、それはふたりで交わした約束だった。しかし、準決勝で阪口の所属する日テレ・ベレーザが敗れたため、その思いは叶わなかった。

「ホマレちゃんとやりたかったな、最後の試合。もうできへんのかと思ったらつらい......」と澤への思いを語った阪口。このふたりだからこそ生まれた"不動のボランチ"。もうその姿を見ることはできないが、これまで残してきた足跡と記憶が色褪せることはないだろう。
(つづく)

早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko