女王イ・ボミ、栄光への軌跡(1)

 今季の日本女子ツアーは、まさに韓国人女子プロゴルファー、イ・ボミ(27歳)一色だった。世間的にも、「イボマー(イ・ボミファンのこと)」なる造語が生み出され、かつて韓流ブームの火付け役となった"ヨン様"ことペ・ヨンジュン並みの、韓国発の新たなムーブメントを日本で巻き起こした。

 何より、その成績が圧巻だった。今季最多の7勝を挙げて、初の賞金女王を獲得するとともに、平均ストローク1位(70.1914)、メルセデス最優秀選手賞と合わせて"三冠"を達成。しかも年間獲得賞金は、男女合わせて史上最高額となる、2億3049万7057円にも及んだ。

 結果を積み重ねることによって、人気はさらに急上昇。その愛らしい表情と、時に弾ける満面の笑みに、多くのファンが魅了された。そんな笑顔によって、彼女を取り巻く誰もが満たされるため、韓国では「スマイル・キャンディー」の愛称で親しまれていた。

 ただ日本では、その愛称はあまり定着しなかった。代わって、日本のファンから発せられたのは、「ボミちゃん!」のフレーズ。今季は、「ボミちゃん! がんばって!」という声援が、日本全国のトーナメント会場で響き渡っていた。

 韓国の「スマイル・キャンディー」から、日本の「ボミちゃん」へ――日本ツアー参戦5年目にして、イ・ボミは日本人のハートを完全につかんだ。

 その「ボミちゃん」ことイ・ボミは、2015年シーズンの全日程が終了し、各イベントをこなしたあとの12月下旬、韓国にいた。韓国の「イ・ボミファンクラブ忘年会」に参加するためだ。

 同様の会は、日本でも先に開催された。日本のシニアツアー、男子ツアー、女子ツアーによる対抗戦、日立3ツアーズ選手権(12月13日/千葉県)終了後の夜だった。日本の「イ・ボミファンクラブ忘年会」で、イ・ボミは初の賞金女王獲得を盛大に祝ってもらった。

 この、日韓で行なわれる恒例のイベントに、イ・ボミは毎年必ず顔を出す。多忙なスケジュールの中でも、ファンを大切にする姿勢は、今も、昔も変わっていない。

 それぞれの会で、イ・ボミの笑顔はずっと絶えなかった。短い時間ながら、気心の知れた家族、スタッフ、ファンクラブの人たちとの食事、会話、各種催し物を、心の底から楽しんでいた。そして最後の挨拶で、イ・ボミはこう語って最高の笑顔を振りまいた。

「今年は、本当に感動の1年でした。私がこうして笑って過ごせるのも、ここにいる人たちのおかげです。私も、もっとゴルフをがんばって、みんなを幸せにしたいと思っています。そして、私がゴルフをやめるまで応援してくだされば、これ以上、幸せなことはありません。これからも、常に謙虚な姿勢で、感謝の気持ちを持ち続けて、がんばっていきたいと思います」

 今季は何度となく会心の笑顔を見せてきたイ・ボミ。一方で、涙を見せる機会も少なくはなかった。LPGAアワード2015の表彰式でも、各賞を受賞したあとのスピーチで感極まって涙した。

「(LPGAアワードでは)スピーチも事前に準備して、しっかりと覚えてきたのに、頭の中が真っ白になって、すべて忘れてしまいました。(BGMで)流れている音楽を聴いているうちに悲しくなってきたというか、今年1年の苦労や喜びを全部思い出してしまって......。それにやっぱり、亡くなった父が、この晴れの舞台にいないことが、すごく悲しかったです」

 周知のとおり、賞金女王の座を手にすることは、昨年他界した父ソクチュさんとかわした約束だった。ゆえにイ・ボミは、涙したスピーチでも「今日、この姿を(父に)見てもらいたかった」と言って、言葉を詰まらせた。

 2010年に韓国女子ツアーで賞金女王となったあと、2011年から日本ツアーに参戦し、5年目にして手にした念願のタイトル。昨年は、一時賞金ランクのトップに立ちながら、9月に父親が亡くなって、精神的に落ち込み、本来のプレーができずに逆転を許した。それだけに、ようやくつかんだ栄冠には喜びもひとしおだったが、その瞬間を分かち合いたかった父親がいないことは、やはりイ・ボミにとってはつらかった。いや、その晴れの姿を見せられなかったことが、悔しかったのかもしれない。

 しかし、いつまでも悲しんでばかりはいられない。イ・ボミは、故郷である韓国の京畿道水原にある父の墓前に手を合わせて、父との約束を果たしたことを報告すると、2016年シーズンの目標達成へ、新たな決意を誓った。

 その決意を聞く前に、女王イ・ボミの軌跡をたどってみたい。

 イ・ボミは、韓国の首都ソウルから車で1時間もかからないほどの、水原という街で生まれた。日本でも広く知られているサムスンの企業城下町であり、1997年に世界遺産に登録された水原華城が名所のひとつ。食で言えば、焼肉の『水原カルビ』が有名で、ソウルからわざわざ食べに来る観光客も多い。

 その街で、父イ・ソクチュさん(享年57歳)、母イ・ファジャさんの次女として、イ・ボミは誕生。そして彼女が5歳のとき、家族は韓国の北東部に位置する江原道(カンウォンド)麟蹄(インジェ)郡に引っ越した。その地で、父の手ほどきを受けて、イ・ボミはゴルフを始めた。12歳のときだった。

 きっかけは、イ・ボミがテコンドーの道場に通っていることを、父親が知ったときだった。父親は急に怒って、「ゴルフをやりなさい!」と言われたという。イ・ボミにとっては、思わぬゴルフ人生のスタートとなった。

 今や、韓国女子ゴルフ界の英雄と言われる朴セリが、当時米女子ツアーで活躍。全米女子オープン、全米女子プロ選手権を制すなどして、韓国国内でも大々的に報じられ、一大ブームとなった。母ファジャさんによれば、「夫は朴選手の大ファンでした」という。

 とはいえ、イ・ボミが当時暮らしていたところには、ゴルフ場はもちろん、練習場さえなかった。とてもゴルフをするような環境ではなかった。一番近い練習場でも、自宅から車でおよそ1時間半。その途中、韓国では有名な雪岳山(ソラクサン)という山を越えなければいけなかった。それでも、娘に厳命を下した父親は、娘を毎日、練習場に連れていった。

「練習場と言っても、きれいに整備されているわけではないんですよ。ベアグラウンドのようなところから、ちょっと距離を出して打って、インパクトを確かめる程度です。もちろん、レッスンプロもいません。ですから、海外のゴルフ雑誌のレッスン記事を見ながら、それを参考にして練習していました。スライスが出るときはどう打つのか、とか、いろいろとトライしながらやっていました。あとは、父が作ってくれた砂袋やタイヤを(ボールに見たたて)アイアンで叩く練習ばかりしていました」

 また、イ・ボミの家庭は決して裕福ではなかった。本来、子どもにゴルフをさせるような余力はなかったという。しかし、イ・ボミにゴルフをさせるため、父は電気工事職人として昼夜を問わず働いた。母もまた、飲食店などさまざまな店を開いて、ひとりで切り盛りしていた。

 その当時のことを、長女ボラさん(35歳、ネイリスト)の夫、ムン・デキルさんが語る。彼は現在、水原市内にあるイ・ボミが手がけたインドア練習場『イ・ボミスクリーンゴルフゾン』の室長を務めている。

「子どもが4人(姉妹)いて、ましてゴルフはものすごくお金がかかるスポーツ。さすがにお義父さんの稼ぎだけではまかなえなかったと思います。その分、お義母さんは苦労していましたね。いろいろな飲食店を経営して、家計をやりくりし、ボミのゴルフ費用を捻出していました。それはもう、毎日が必死だったと思います」

 しかし母ファジャさんは、今となっては「特に苦労した記憶はない」と、当時のことを笑顔で振り返る。

「カルビ店を経営していたときには、お店の周辺に軍隊の駐屯所があったんですね。それで、若い兵隊さんたちがよく店に来てくれて、すごく繁盛していたんですよ」

 ファジャさんはそう言って笑うと、イ・ボミについて、こんなエピソードを教えてくれた。

「ある地方のゴルフ大会で、ボミはあまりいい結果を残せなくて、大泣きして帰ってきたんですね。そのとき、私は『ボミは勉強ができるんだから、これからはゴルフをやめて、勉強に専念すれば』と言ったんです。そうしたら、ボミも『うん、じゃあゴルフはもうやめる......』と答えたんですよ。

 その後、練習もしていないようでしたから、本当にやめるんだな、と思っていたら、3日くらい経ってからですかね、ボミが私のところにやって来て、こう言うんです。『今までの、私にゴルフをさせるためにかかったお金がもったいないから、やっぱりやめられない。最後まで一生懸命がんばって、これまでかかったお金を自分で持ってくる』と」

 そのとき母は、「それなら最後までがんばりなさい」と、そっと娘を抱き寄せたという。

 両親から、絶大なる愛情を注がれてきたイ・ボミ。それこそ、日本で成功を収めることができたひとつの要因であり、彼女の強さの秘密なのだろう。

(つづく)

text by Kim Myung-Wook