人工知能に置き換えられない仕事は何があるのか。アンドロイドが普及した未来社会

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ロボット研究者・石黒浩さんの著書『アンドロイドは人間になれるか』について前編記事に続いて、ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。

ロボットの叛乱は、スイッチを切ればいい?



藤田 あとは、「ロボットが人間を支配するのか」問題に石黒さんは「スイッチを切ればいい」と言っていますが、それは違うのではないかと。
 「ロボットがロボットを作る」段階に入ったら、スイッチ切るだけで止められないような個体が出たり、エネルギー源を変えたり、そういう知能犯(?)みたいなロボットが出て来て増殖してしまう危険は充分にあると思うんですよ。そういうSF映画は腐るほど見てきた上で言うと、ロボットの叛乱への不安の根元って、制御不可能なこの状態だと思うんですよ。(それを言うのなら、原発ももっと不安になるべきかとも思うのですがw)
 もちろん、巷に出回っているロボットモノの定型がロボットの叛乱を描きすぎなので、この本が、テクノフォビア(機械に対する恐怖心)を批判することは、バランスが取れているのですが。

飯田 「ロボットがロボットを作る」というのはいわゆる「機械がシンギュラリティを超える」話ですよね。
ごく単純化して言うと、機械はいまのところ人間から「これをやれ」と言われたことしかできないけれども、さらにコンピュータが進化して「何をするか(すべきか)」まで自分で考え、決められるようになってしまうと、機械が「人間いらないんじゃね」とか考えて排除するようになっていくんじゃないか、みたいなホラーストーリー。
 シンギュラリティをマジでこえたらそうなる可能性はあるけれども、それには人工知能にさらに大きなブレイクスルーが起きないとムリなので、いま心配してもしょうがないんじゃないでしょうか。もちろん、100年、200年後の科学技術がどうなっているかは誰にもわかりませんが。
 むしろ、シンギュラリティを超えなくても人間にしか見えないアンドロイドってできちゃうんじゃないの? 別のアプローチがあるのでは? と想像させてくれるのが石黒さんの仕事のオリジナリティかと。

人工知能に置き換えられない仕事はなに?


藤田 それで、人工知能ができる仕事は人工知能ができるようになり、人間にできる仕事は何か、という話にこの本はなるんですが……。
 今でも、ビッグデータの解析や、マーケティングなどで、部分的にやられてはいると思うんですが、時々、人工知能に、批評の仕事を奪われたらどうしようということは考えますw 。そして、こういう人文系の人間の、人工知能に対して抱く失業の恐怖それ自体にも、名称がついているらしいのですが。
 しかし、「味わう」「鑑賞する」「感動する」という内的体験の、この私の感触、それ自体は、人工知能に置き換えられにくいところですよね。そうすると、批評の仕事は、人工知能に奪われにくいところかもしれない。広義の「愛する」、すなわち、作品を鑑賞するとか、味わうということが人類に残された仕事になるという『BEATLESS』の予測は、意外と当たっているのかもしれない。

飯田 この本にも書いてあるけど、「あれをしろ」「これをしろ」と具体的に定義可能(プログラミングできる)なタスクであればだいたい機械に置き換えられると。
文学賞を取った作品やベストセラーにどんな単語が使われていることが多いか、どのくらいどんな形容詞や副詞を使っているか、感情表現のボキャブラリーが何語以上あるか、といったことはすでにコンピュータを使って研究されはじめています。でもデータに落としこめず、定量化しにくい作業は、今のところはできない。

藤田 定義不可能、もしくは困難な部分が、むしろ人間が扱う領域として残る、というわけですね。

飯田 石黒さんの根本的な疑問として、「人の気持ちを考えなさい」とよく言うけれども、そもそも「人間とはなにか」「きもちとはなにか」「考えるとはなにか」が全然定義されていないじゃないか、と。で、それが何なのかを突き詰めるためにロボットやアンドロイドを使っている。
逆に言うと、定義すらできてない曖昧なことをいくらでも語れてわかった気になれてしまうのが人間で、これは機械にはまだできない。そういう意味では「批評」は定性的であいまいな領域の話なので、機械にはとうぶんむずかしい。

藤田 批評という営為は、新しく起きること、生まれた作品、どう分類し評価していいのかわからないものに直面して行う作業なので、意外と機械にはやりにくいのでしょうね。

引き算の発想で作られた天才の仕事! 「ハグビー」「テレノイド」 



藤田 書籍の中で紹介されているものでは、「ロボット」というと、みんなイメージすることとはちょっと違う。「ハグビー」という、抱っこしながら話せる電話機は面白いですね。

飯田 僕、ハグビー買ったんですよ! 本で紹介されている研究用のものといま通販で買えるやつはちょっと仕様が違うんだけど、クッション部分は有名なふとんメーカー「京都西川」がつくっているんで、抱き心地が最高! 冗談じゃなくここ重要!!! うちでは抱き枕としても活用されているw


藤田 赤ちゃんがそれを抱きながら母親の声を聴いたり、介護や保育で使えたり、恋愛成就に役に立つ……とか、これ、使ってみたいなと思いました。
 実際、「声」と「感触」という要素で通信すると、今までと違うリアリティやコミュニケーションの感じありますか?

飯田 そうですね。人間をだっこしているような感覚があるので、誰かと通話していてもふしぎと距離感が近い。ハグビーを抱いているとあったかくなって眠くなってきて、心地いい。そこに相手の声が耳元でささやかれているような感じも加わるので、信頼度も自然と上がる感じはたしかにある。
リアルではなかなか誰かと抱きあいながら対話することはないわけで、擬似的ながらもそういう状態になる、とイメージしてもらえればいいですかね。
しかもリアルで抱きあったら相手のにおいが伝わってきたり(たとえば、息がくさい場合もあるでしょ)、毛穴の汚れや肌のつかれが見えちゃったりして印象がマイナスに振れることもあるけれども、ハグビーでの対話で入ってくる情報は声と感触以外はすべて想像でプラスに補われてしまう。

藤田 ざわざわしている子供たちに、それを与えると、おとなしくなるというのも面白いですね。あと、テレノイドは、信頼して、老人が秘密を打ち明けやすくなるとか、すごい話ですよね。ハグビーで通信していると恋愛関係になりやすくなるらしいとか、ちょっとこわい半面、使ってみたいw
「存在」すること、触れることなどを、ぼくらのコミュニケーションの帯域の中につけくわえて、バリエーションを一気に増やそうとしている人なのだな、と、石黒さんのイメージがぼくの中で変わりました。そして、その未来は、「面白そう」。

飯田 テレノイドやハグビーはみたいなコミュニケーションツールとしてのロボットが家庭や医療施設に入ったときのインパクトは大きいはず。見た目はめっちゃ奇妙なので、使ってみないと実感できないたぐいの発明ですが。ハグビーって呪いのワラ人形みたいなかたちなんだよねw

藤田 テレノイドとハグビーは、最初に言った、引き算の発想の産物ですよね。完全な人間を模倣する方向より、こっちのアイデアの方が、目から鱗が落ちました。
 いろいろ、はやく試してみたいですよ。女性用のアンドロイドを男性が遠隔操作して、女性の立場を疑似体験するというのもやってみたいし、自分そっくりのアンドロイドが殴られているのを見て「痛い」と思ってみたい。身体感覚が拡張される話は、ゲームなどで実感としてわかるので、物理的なものとして、より多様な身体感覚の拡張を味わえる社会になるのは面白そうです。

未来がどう変わるかの想像を生んでくれる


藤田 そういえば、カメラ小僧が女性型アンドロイドに殺到して人間のコンパニオンが嫉妬した例の報告がありましたが…… 人生のピークを記録したアンドロイドがいて、自分がその後、いわゆる「劣化」なり「老化」していくとしたら、そのアンドロイドが憎らしくならないんだろうかw

飯田 なると思う。すでにジェミノイドF(女性型の美人ロボット)はつくられてから何年も経っていて、Fのモデルになったひとは当然ながら年をとり、しかしFは改良されつづけて初代より肌の質感なんかがきれいになっていく。しかもFはほぼ見た目だけですが、米朝アンドロイドみたいに芸事やアクションまでが刻印されていて「オリジナルの俺よりあのアンドロイドのほうがよく動くなあ」となったら、より複雑な気持ちになるでしょう。マツコロイドを20年後のマツコ・デラックスさんはどう思うんだろう? というのはすごくおもしろい問題。

藤田 ぼくのアンドロイドが、ぼくより頭良くて、ぼくよりモテてたら、憎たらしくて頭をバットでぶん殴ってやるかもしれないw 「自分のアンドロイド殺人事件」が起きるかもしれない。あるいは、すっごい親族の厄介者だった人が、やっと死んでくれたと思ったら、アンドロイドで人格が残っていて、親族は困り果てる……とか(笑)想像は尽きないですね。

飯田 アンドロイドが普及した未来社会を妄想したいすべての方に『アンドロイドは人間になれるか』オススメです!!!