JAPAN SPORT COUNCIL 日本スポーツ振興センター公式サイト新国立競技場ページより

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 新国立競技場の見直し案は昨日、隈研吾氏設計、大成建設施工のA案に決定したことが発表されたが、早速、トラブルが巻き起こっている。

 旧デザイン案の設計者であるザハ・ハディド氏が「今日発表されたデザイン案は我々のものと驚くほど似ている」と、パクリ疑惑を指摘したのだ。これには、当初、マスコミもネットも「何を言ってるのか」「完全な言いがかり」と相手にしていなかったが、実はそうではない。

 たしかに、外見は全く違うように見えるが、内部の観客席の構造がそっくりらしいのだ。

 実際、選ばれなかったB案の設計者である伊東豊雄氏も会見で、「表層部分は違うが、(国産木材を多用する装飾を)はぐと、中身はザハさんの案とかなり近い」「訴えられるかもしれないですよ」と警告を発した。

 しかも、A案の観客席の構造がザハ案とそっくりなのは、たんなるパクリではなく、もっと根深い問題があるようだ。

 ポイントは、施工業者が大成建設という点だ。大成建設はザハ案でスタンド工区=観客席の工事を担当することになっており、それにあわせて、すでに大量の資材や下請け業者をおさえていた。

「つまりそうした資材や準備が無駄にならないように、観客席はザハ案とほとんど同じ構造にしたのではないでしょうか。実際、観客席の構造は隈さんではなく、大成と梓設計が主導で進めていたようですから」(建築関係者)

 ようするに、ザハ案白紙撤回の終戦処理という意味合いがあったということらしいのだが、実は、これと同じ理由で、そもそも今回の選考自体に疑惑がささやかれている。それは、大成建設を勝たせることがあらかじめ決まっている出来レースだったのではないか、というものだ。

 たとえば、「日刊ゲンダイ」は12月23日付紙面で、〈A案が「圧倒的有利」〉〈19日に技術審査委員会が審査するまでもなく「すでに内定済み」とも囁かれてきた〉としたうえ、大手ゼネコン関係者のコメントとして、安倍政権が大成建設を切るわけにはいかなかった事情を紹介している。

「(大成が受注を逃せば)その補償は巨額に上り、業績に暗雲が垂れ込めるのは必至です。安倍政権の一存で一度受注した計画を白紙に戻され、新計画では総工費の上限値下げにも応じた。もとより、採算割れは覚悟しており、そのうえ、受注まで他社に持っていかれたら、大成がどんな反撃に出るかわかりません」

 また、「日刊ゲンダイ」は、〈菅官房長官の子息が大成に勤務していることも、さまざまな憶測を呼ぶ理由となった〉と書いている。

 実際、専門家の間でも、デザインの好みはともかく、技術提案やコスト、工期縮減では、選ばれたA案より敗れたB案のほうがはるかに優っていたのになぜ?という意見が圧倒的に多かった。

 ザハ案の問題点を最初に指摘し、白紙撤回のきっかけをつくった建築エコノミストの森山高至氏もそう評価しているひとりだ。

 森山氏のブログによると、新国立の予定地は地盤が悪く、旧国立競技場の基礎杭が数多く残置されているのだが、両者の技術提案書を読み比べると、古い杭の早期撤去や残土の縮減計画をかなり具体的に提案しているB案に対して、A案はまったく具体的なことを書いていないのだという。

 さらにスタジアム屋根工事についても、仮設支柱をたてるA案に対して、自立工法をとるB案のほうが1〜3カ月工期を短縮できる可能性があると、森山氏は指摘する。 

 B案に関しては、森喜朗氏が大喜びするような、あざといデザインという問題はあるが、少なくとも、技術的にはA案より圧倒的にきめ細かい設計がなされていたのは間違いない。

 にもかかわらず、予想通りA案が選ばれたというのは、やはり、この見直し選考じたいが大成建設を救済するための壮大な出来レースだったからではないか、そんな疑惑が頭をもたげてくるのだ。

 実際、敗れたB案の設計者・伊東豊雄氏は前述の会見で、「ある程度A案ありきだった部分もあるのかも」と、その可能性を示唆している。

 だが、この出来レースは、新たな火種を抱えることになった。大成建設救済のために観客席をハディド案と似た構造にしたため、ハディド氏に訴えられる可能性が出てきたからだ。

「声明でも知的財産権がハディド氏にあることを強調していますし、その可能性は高い。せっかくコストを抑えたのに、巨額の賠償金をとられるなんてことにもなりかねない。そもそも、政府もJSCもひた隠しにしていますが。実際は、ザハ案白紙撤回にともなう補償金は他にも発生する可能性があり、トータルすると、ザハ案と同じくらいの金額になりかねない」(全国紙社会部記者)

 折しも、東京五輪の費用が当初予算の6倍、1兆8千億円の爆増していることが判明したばかり。新国立競技場は後に、オリンピックをきっかけに地獄に引きずり込まれた日本の"レガシー"として語り継がれる存在になるかもしれない。
(田部祥太)