ふつうに暮らしていると、ほんとうの暗闇を体験することはない。
それを、ガイドつきで体験できるエンタテインメントスポットがある。
東京・外苑前のダイアログ・イン・ザ・ダーク外苑前会場と、大阪・梅田の積水ハウス×ダイアログ・イン・ザ・ダーク「対話のある家」
大阪のほうに行ってみた。


視覚障害者にアテンドされて真の闇へ


大阪会場はJR大阪駅そば、グランフロント大阪北館4階、積水ハウスのアンテナ的ショウルーム「住ムフムラボ」内にある。
1日4回開催、1回70分とのことで、家人とともに事前予約して行くと、その回の参加者は僕ら2名を含め5人。1回につき6人まで入場可能だ(東京会場は広いので8人まで)。

未体験の完全な暗闇のなかにはいるにあたって、来場者をアテンドしてくれるのは、光がなくてもふだんとまったく変わらない条件で動ける人。つまり視覚障碍者だ。
来場者も、白杖(はくじょう)をひとり1本ずつ渡される。街なかでよく見るが、初めて自分の手で持った。ものすごく軽いので驚く。

ほんとうの暗闇は暗くない


入ると、ほんとに光がなにもない。
入ってみてわかったのは、暗闇というのは、暗いのではない、ということ。暗いというのは光が足りないと思わせるくらいには明るい状態だったんだな、と思う。

あまりに視覚的な手がかりがないので、一瞬、自分はなんて頼りない存在なんだろう、と心細くなってしまう。
けれど、アテンドのかたや、同行している他の来場者(僕の家人1名を除くと全員知らない人)と声をかけ合いながら、手探りで前進しているうちに、同じ場にいる人たちとのあいだに不思議な親密感が発生してくる。

自分はこの身体より大きい


「自分と他の人たちとは別の個体である」と思いこんでいたのは、視覚によるまやかしだったのではないか。
「自分」というのはこの身体、この皮膚によって世界と切り離された個体ではなく、もっと大きく拡散したありようをしているのではないか。

これがとにかく意外だった。
なにも見えないのだから息苦しく感じるのではないかと入る前は思っていたんだ、ということを、入ったいまとなってはじめて自覚する。なにしろ、入ってみたらその逆で、「自分」がゆるんでほどけていくリラックス感があるのだ。

視覚以外のすべてをフル稼働


会場のなかで、具体的に僕らがなにを体験したのかは、ここでは書かない。
ただ、聴覚や触覚・温感、味覚や嗅覚、平衡感覚など、視覚以外のいろんなセンサーが、自分にも備わっているのだな、ということを、近来になく強く自覚した。
こういった知覚は、聴覚以外はふだんあまり意識しなかった。ふだん僕が、どれだけ視覚・聴覚に偏った世界を生きているかを実感する(目も悪いし耳だって人並の平凡な聴力だけど)。

これくらいは書いてもいいだろう。なかでおやつとお茶をいただいたのだが、色も形もわからないものを口に入れるのは、意外に楽しい。
僕が体験した「誰かの幸せを願う真っ暗の中のクリスマス」は12月25日まで。年明け1月7日からはお正月ヴァージョン「一年の計は暗闇にあり!」が始まる。

ダイアログ・イン・ザ・ダークとは


ダイアログ・イン・ザ・ダーク(DID)は、1988年にドイツで社会起業家アンドレアス・ハイネッケ(哲学博士)がスタートしたソーシャルイヴェントのプロジェクトだ。
DID創始者アンドレアス・ハイネッケのインタヴューは「ソトコト」のサイトで読める。

DIDを紹介した《日本経済新聞》1993年4月27日夕刊の囲み記事を見て、金井真介(現・志村真介)さんは日本でも開催したいと考えた。
金井さんは、広告代理店でマーケティングの仕事をしたのち、当時は旧・通商産業省(のちの経済産業省)所管の財団法人でコンサルティングに従事していた。

詳細は氏の著書『暗闇から世界が変わる ダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパンの挑戦』(2015、講談社現代新書Kindle)に詳しいが、漢方薬局を経営していた志村紘章・季世恵夫妻、日本IBMにいた関根千佳さん(のち同志社大学教授)、のちにインクルーシブデザイン・ソリューションズ(IDS)取締役となった松村道生さんらと連携しつつ、2000年の神戸を皮切りに各地で正式ライセンスのDIDを興業、09年に外苑前常設会場オープン、13年に大阪梅田の積水ハウスとのダブルネーム会場オープン。
本を読むと、非常口表示などの問題で消防法とのかね合いが大変だったらしい。

ロシアンルーレット式回転寿司!


このほか、会場となった積水ハウスのサテライト「住ムフムラボ」には、これ以外の関連書籍もあったのでご紹介。
茂木健一郎×ダイアログ・イン・ザ・ダーク『まっくらな中での対話』(2011、講談社文庫)は、茂木さんとDID共同運営者でカウンセラーの志村季世恵さんとの対談、アテンド3人を加えた座談会を収録している。


脳への入力情報を引き算すること、視覚障害者は睡眠中にどんな夢を「見る」のか、ファッションはどうやって選ぶのか、メイクはどうするのか、など、興味深い話題満載だった。

いちばん受けたのが「ロシアンルーレット式回転寿司」。闇鍋的なヤツですか! やってみたい。
あと、漢字かな混じりの〈障がい者〉という表記は、彼ら視覚障碍者が必ず使う読み上げソフトではちゃんと読めず、〈さわるがいしゃ〉って音声化しちゃうという話。まったく、だれに気を遣って不自然な漢字かな混じりの表記してるんでしょうね日本の報道・出版界は。

その志村季世恵さんの『さよならの先』(2013、講談社文庫)の最終章は、ソーシャルイノベーションが心に及ぼす影響についての一事例として興味深い。


ビヴァリー・シュワルツ『静かなるイノベーション 私が世界の社会起業家たちに学んだこと』(2012→藤崎香里訳、英治出版)は、ハイネッケの考えを以下のようにパラフレーズしている。
〈「異なった能力を持った人々」を「障害者」にしているのは周囲の人間であり、ある種の能力を欠いた本人ではない〉


アオノミサコのエッセイ漫画『五感ゆるゆるわがままセラピー入門』(2013、エンターブレイン)は、最終話が外苑前DID体験記。ソーシャルイヴェントがセラビーになりうるという視点が新鮮だけど、僕もこれ実感しました。


最後に。僕がDIDで思い出した本といえば、まず中村雄二郎『共通感覚論』(1979→岩波現代文庫)。


それからマイケル・ポランニー『暗黙知の次元』(1966→高橋勇夫訳、ちくま学芸文庫)。


なんと、この原稿を書いてるさいちゅうにダイアログ・イン・ザ・ダーク『暗闇の中の対話 「みるということ」』(小学館)が出た。まだ読んでません。ちょっと気になる。

(千野帽子)