レスリングのシドニー五輪グレコローマンスタイル69kg級銀メダリスト・永田克彦が12月22日、11年ぶりに全日本選手権のマットに立つ。

 永田は現在42歳。この大会で優勝すれば1995年に森山泰年がグレコローマン90kg級で記録した最年長記録(38歳)を20年ぶりに更新することになる。永田が少し感慨深げにこう語った。

「森山さんの最年長記録......もしもそれを超えたらすごいな、本当にすごいことをやったなって思いますね。僕が学生のときに森山さんが38歳で、最年長記録を出されたんですけど、その後ナショナルチームの監督としてすごくお世話になった方なので......。今、自分がそのときの森山さんよりも年上になったわけですけど、学生からも相当なオジサンがやっているんだろうなって目で見られていると思うんです。別に記録のためにマットに上がるわけではないですけど、結果的にそれを超えられたら、また違った想いが出てくるんでしょうね」
 
 今年から永田は、茨城県にある日本ウェルネススポーツ大学のレスリング部の監督を務めている。新設校とはいえ相手はバリバリの大学生だ。さぞかし練習につき合うのも大変だろうと思いきや、けっしてそうではないらしい。

「今年から大学の監督になり、学生相手にスパーリングをしていたのですが、自分が思っていたよりも体が動くなというのが正直な感想です。それがまず復帰を決めたきっかけのひとつでした。もうひとつは今、自分が運営するジム(レッスルウィン)で、たくさんの子どもたち、そして自分の家族(子ども3人)を教えているんですけど、そこで自分の戦っている姿を見せたいと思った。これがもうひとつのきっかけです」

 2015年11月、永田は10年5カ月ぶりにレスリングの表舞台へ帰ってきた。復帰の舞台は全国社会人オープン選手権。決勝では全日本社会人選手権3位の森川一樹(栗東クラブ)を6−1で退けて快勝。復帰戦をいきなりの優勝で飾った。

 この大会の結果、前述した全日本選手権の出場権を手にした永田ではあったが、当初は同大会に参戦するか否か真剣に迷っていたと、胸のうちを明かした。

「生半可な気持ちでは(全日本選手権に)出たくない。出場の資格が取れたから、『じゃあ出ます』というのは嫌だったんです。自分にとって全日本選手権は、優勝するために出るものだとずっと思っていましたし、これまでもそれに見合った練習量と覚悟を持って出ていた大会でした。だから、やるんだったらそういう覚悟を決めてから、出たいというのがまずありました。その一方で現在は(大学の指導者としての)立場もあります。ならば、その中でできる限りの準備をして、もう一回チャレンジしてみようと思い、最終的に出場を決めたんです」

 全日本学生選手権優勝1回、全日本大学グレコローマン選手権優勝2回、97年から02年にかけては全日本選手権6連覇を達成し、そしてシドニー五輪のグレコローマン69kg級では銀メダルを獲得した。こうした輝かしい実績があるからこそ、永田はそこに向かう選手たちの熱い想いを知っている。

「オリンピックの道って、僕もずっとやってきたからわかるけど、相当大変なんですよ。これは何が大変かというと、来年選考会がありますよね。だから今、頑張ればいいとかそういうことではなくて、ロンドン五輪が終わったときから、下手したら、もっと前から選手たちは時間をかけて日々練習をしているわけです。実際、"五輪階級"の選手は(スパーリングなどを)やってみるとすごく強いです。一緒に練習をしても、なんとしてもオリンピックに行くんだという意気込みを感じるし、そこに向かって本当に死に物狂いでやっています。そういう選手に勝つためには、それくらいの練習や覚悟をしなければいけません。それだけ大変なことだと自分も経験からわかるので、今回も全日本選手権に出て勝ったら『次はオリンピックだ』なんて簡単に口にはできないんです」

 日本選手権終了後の、彼のレスラー人生について、先走りした質問をしそうな私の気持ちを察したのか、彼はそれを制するようにそう答えた。今回の復帰は来年行なわれるリオ五輪を見据えたものではけっしてなく、自身のベスト体重とも言える71kg級の舞台で、教え子たちに何を見せられるのか、そこに主眼をおいた復帰だと彼は言いたかったのだ。

 永田が出場するグレコローマン71kg級は、現在ふたつある非五輪階級のひとつだ。永田が銀メダルを手にした2000年のシドニー五輪では、女子レスリングがまだ正式種目化されていなかったこともあり、男子グレコローマンだけでも8階級あったのだが、IOCが推し進める「オリンピック肥大化防止」と「男女参画」の理念により、男子レスリングの階級枠は、女子の階級枠が増えていく一方で、回を重ねるごとに減少している。

 以前8階級あった男子の枠は、次のリオ五輪では6階級に減らされており、永田が属する71kgの選手たちは、リオを目指すとなった場合、66kg級まで落とすか、75kg級まで増やすか、その二択を迫られるわけだ。

 ちなみに永田自身も04年のアテネ五輪の際にその選択を迫られて74kg級(当時)に階級変更をしている。結果は2戦2敗。メダル獲得はおろか予選突破すらならなかった。永田が当時を振り返る。

「国内ではまだよかったんですけど、世界に出たときに相手する外国人との5kgの差はやっぱり大きかったです。69kgでも自分は体をしっかり作り上げて出た階級だったので、そこからさらに5kg増となると......。自分が上背のある選手だったらまた違ったんでしょうけど、このように背もなかったですし、骨格とか背丈からすると69kgが限界でしたね。だから74kgというのは僕の場合は適正な体重じゃなかったし、正直、無理があったのかもしれません」

 それでもあえて74kgにチャレンジしたのは少年のときの記憶と憧れだった。

「僕自身が元々体を大きくする方が好きで、(体重を)落とすのはあまり考えなかったタイプですからね。昔から体の大きな人に憧れていたのもありましたし、小さいときからプロレスラーがすごいなと思っていた。どちらかというと体の大きい人に憧れていた部分が強くあったんです」

 さらに永田は言葉を続ける。

「2回目のオリンピックというのも当然大きかったと思います。シドニーで1回、69kg級の銀メダルを獲りました。その中でもう一回やりたいとなったときに66kgと74kgのどちらを選ぶかとなったら、やっぱり上の階級を目指したかったんですよ」

 それは男だったら誰でも思うであろう「強さ」への憧れといってもいい。

 体重を減らした階級で再度世界一の称号を目指すより、階級を上げてその称号を手にした方がよりモチベーションも上がり、より「強さ」を感じることができる。永田はそこを追求した。

 あれから11年――。

 一時はプロ格闘家の道を歩み、MMA(総合格闘技)のリングにも立った彼は今、何を思い、この先どんな道を歩もうというのだろうか?

「昔は自分のため、自分がオリンピックへ行きたいとかメダルを獲りたいとかそういった気持ちで脇目もふらずガツガツやっていました。でも、今は指導者にもなり、これまでの経験をしてきたなかで、自分のやってきたことを子どもたちに見せたい、そうしたモチベーションに変わっています。そういった中でレスリング界に限らず、いろんなスポーツがある中で"40代"でもできるんだって姿をまだまだ見せたいとも思いますし、社会で活躍する同年代の方々に少しでも勇気を与えられたらとも思うんです」

 五輪出場だけがレスリングじゃない――それはまるで「あえて立ち止まってみます」と、今回の全日本選手権の欠場を決めたアテネ五輪女子75kg級銅メダリスト・浜口京子へのエールのようにも聞こえた。

 インタビューの最後に、昨今ささやかれている「グレコローマン廃止論」について意見を求めた。すると永田は、一段と熱を込めてこう答えた。

「それはありえないですね。グレコローマンは世界的にも伝統的な種目のひとつですし、レスリング=フリースタイルではなくて、レスリングはフリースタイルとグレコローマンスタイルの両方あって初めてレスリングと言えるので、それを"不要"とするのはおかしな話です。日本人がグレコローマンに向いていないとかよく言われますが、向いていないのではなくて、日本はグレコローマンをする環境が今はないから世界で勝つことができないんです。だから子どもたちにもグレコローマンを選択できるように、始める年齢を今より低年齢化する必要がありますし、危険と呼ばれないようルールもしっかり整備して、そうした大会を開く必要があります。それに合わせて中学生、高校生の大会、そして女子でもフリースタイルとグレコローマンのふたつを作り、グレコローマンをやる選手、フリーをやる選手と早い時期から分けて育成しなきゃいけないと思います」

 そう言うと、彼は幾つかの改革案を提示して私に見せてくれた。それを語っている永田の身振り、手振り、そして何より表情はとても真剣でいて、とても楽しそうだった。つまるところ、彼がレスリング界への復帰を決意した一番の理由は、そこに集約されているような気もしたのだ。

永田遼太郎●文 text by Nagata Ryotaro