2015年シーズンのマクラーレン・ホンダを検証する(2)

 2度の世界王者に輝いたフェルナンド・アロンソにとって、ドライバーズランキング17位という成績は、「万年最下位」と言われた弱小ミナルディからデビューした2001年(23位/無得点)に次ぐ、無残な結果だった――。

「リザルトだけを見れば、ミナルディ時代に次いで散々なものだったけど、ミナルディに乗っていれば自分も人々も多くを期待はしないし、そういう意味では今年のほうがつらかった」

 彼が今シーズン記録した入賞は、イギリスGPとハンガリーGPのわずか2回。トラブルで失ったレース・走行セッションは数え切れず、ブラジルGPではセッション中のコースサイドで日光浴をする姿が話題になってしまったほどだ。

 初年度は「苦戦を覚悟の上」とはいえ、これではモチベーションを維持することも容易ではない。一部では"休養説"さえウワサに上ったほどだった。

 しかし、アロンソは学ぶことに価値を見出し、全力で戦い続けたのだと言う。

「とてもタフだったし、パフォーマンスはとてもプアだったし、運もなかったし、厳しいシーズンだった。だけど、学ぶということでいえば、良い1年だったと言うべきだろう」

 2度の王座を獲得し、34歳になってもなお、彼は学ぶことで成長し、自分のキャリアを高め続けたいという強い意思を持っている。

「ひと言で言えば、"学習の年"だった。マクラーレンのマシン開発方針はフェラーリと明らかに異なり、ホンダの日本人らしい忍耐に満ちた方法論から僕は多くを学び、さらに強くなった。この1年で、過去5年間に学んだよりもさらに多くのことを学んだと思う。僕はそうやって常に新しいことを学び続け、新しいモチベーションを手にし、自分のキャリアを形成してきたんだ。そして今も、3度目のワールドタイトルを勝ち獲ることを夢見ているんだ」

 レース中の無線では、「GP2エンジン!」と叫んでみたり、「燃料をセーブするのは嫌だ!」とエンジニアに反抗してみたりした。アブダビGPでは、「もうリタイアしよう」とあきらめの弱気を見せた。だが、その無線には続きがあった。

「僕らは2周遅れで走っていて、なおかつタイヤをセーブし、燃料もセーブしながら走らなければならなかったんだ。何も起きなければ、18位とかでフィニッシュするだけだ。それなら、『全開でプッシュして、このマシンの限界を見てみようよ。最後に少し楽しもうよ』って言ったんだ。そのせいでガス欠になってしまうなら、それでもいいとね」

 その結果、アロンソはレース終盤にスーパーソフトタイヤに履き替え、燃料が軽い状態で猛プッシュをして、全20台のなかで3位という自己ベストタイムを刻んだ。ERS(エネルギー回生システム)のバッテリー不具合のため、作動が不安定になりながらのアタックであったにもかかわらずだ。

 アメリカGPから実戦使用が始まった『スペック4』のパワーユニットは、ディプロイメント(エネルギー回生)不足の課題こそ残されたものの、ICE(内燃機関エンジン)と排気管は最大限に開発が進み、基本出力としてはまずまずのレベルに到達していた。

 そしてパワーユニット面だけでなく、車体面でもセットアップを大幅に見直したことでマシン挙動が改善された最終戦のアブダビGPは、マクラーレン・ホンダとしての進歩が確実に見えたレースだった。

 アブダビでは、ジェンソン・バトンも笑顔でレースを終えた。

「レースをする喜び、という意味では、アブダビGPが今季のベストレースだった。オーバーテイクをしたり、他のマシンを抑え込んだり、そんなことは今年ほとんどできなかったから、とても楽しかったよ。クルマが今シーズンでベストな状態だった。もちろん、まだ最速ではないし、まだまだ改善は必要だ。あらゆる部分でね。僕らが改良を必要としているのはパワーユニットだけでなく、空力面でも進歩が必要だし、メカニカル面もそうだ。トップからは遅れを取っている。マシンのどこかひとつに原因があるわけではなく、あらゆる箇所を進化させなければならないんだ」

 また、バトンは「燃費が苦しかったこと」を付け加えることも忘れなかった。

「他車は燃費のセーブなんてしていなかったと思うけど、僕らはそれをずっとやらなきゃならなかった」

 親しい関係者の間では、ホンダの開発姿勢に対して「自分たちの要望がきちんと聞き入れられているのかどうかわからない」と不満の声を漏らしていたというバトンは、パワーユニット批判とも取れる発言をすることもあった。その背景には、マクラーレン内部のみならず、両ドライバーともにホンダ首脳陣への疑念もあったのかもしれない。

 しかし、アロンソは日本GP直前に急きょ、栃木県のF1開発拠点『HRD Sakura』を訪問し、自分の目でその現場を見て、自分の耳でエンジニアたちの話を聞き、「他メーカーはヨーロッパのエンジニアが行き来することで模倣を重ねているが、ホンダは日本の技術と知恵だけで独自の道を開発すべきだ」と発言するに至った。

「僕たちは勝ちたい。そのためには、他と違うことをやらなければならない。今、僕たちがやろうとしていることは、まさにそういうことだ。いつかメルセデスAMGを打ち負かす日が来ると信じているし、向かっている方向は正しい」

 成績の低迷とともにスポンサーの離脱も相次ぎ、チーム内の雰囲気悪化も懸念されるが、現場で見る限りその心配はないように感じられる。バトンもこう語る。

「長いシーズンだった。そしてチャレンジングだった。チーム全員にとって、本当にものすごくタフな1年だった。でも、我々ドライバーも、エンジニアも、メカニックも、ポジティブであり続けることができた。そして、こうして最後に笑顔で終えることができて良かったよ」

 結果にこそつながらなかったものの、終盤戦のマシンパッケージの進歩は、ふたりのドライバーにそう遠くない将来の飛躍を確信させるに足るものだった。

 アロンソは、チーム全員の声を代弁するかのように言う。

「マクラーレン・ホンダというパートナーシップが秘めているポテンシャルは、チームの誰もが確信している。それが形になるのは、時間の問題でしかないこともわかっている。だから、悲観的になどなっていないし、あとはその時間をどれだけ短くできるか、それは僕たちの手に掛かっているんだ」

 わずか3ヶ月しかない短い冬の間に、マクラーレン・ホンダはどれだけライバルたちとの差を縮めることができるのか――。この苦悩の1年間に学び、蓄積してきたことが、まさに2016年への糧(かて)となろうとしているのだ。

(次章に続く)

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki