朝ドラ「あさが来た」(NHK 月〜土 朝8時〜)12月17日(木)放送。第12週「大阪一のおとうさま」第70話より。原案:古川智映子 脚本:大森美香 演出:西谷真一


70話はこんな話


新次郎が、サトシこと松造(長塚圭史)と話し合いの場をもった。たまたま居合わせたあさ(波瑠)も一緒に、松造の話に耳を傾ける。
加野屋に憎悪をもって炭坑を爆発させたと悪びれない松造に、あさは毅然と罪を償うように言う。

松造の身の上が辛過ぎて、新次郎の気持ちが痛いほどわかる


どんなに恨んでも憎んでも、事故を起こすことはしてはいけないことだったと
松造を厳しく責めるあさに、松造は「ひとでなし」と言う。
お金を扱う仕事の過酷さを痛感させる場面。そう言いながらも松造は、あさの言い分も認め、自分の罪を謝罪する。
あさの言う通り、関係ない人を危険に巻き込んでいることはよろしくない。
それはそうなんだが、「立派な納屋頭だったじゃないか」と言うあさ本人が直売所などのシステムをつくったことで、彼の仕事を奪ったようなもの。
なんだか腑に落ちない。
子供の頃に、父が事業に失敗していなくなり、大阪を後にすると、母も死んでしまい、ずっとひとりで、るろうの人生を送ってきた松造は、最近ご無沙汰のはつ(宮崎あおい/さきの大は立)以上に辛かっただろう。
ようやく、北九州で仕事を見つけたら、自分の家を不幸に陥れた加野屋がやってきて、自分の居場所も奪おうとするのだから、やりきれない。
でも、世の中、そういうもの。こうして、弱者は淘汰されていくばかり、とドラマは語っているようだ。

救いは、この狂おしいほどのやりきれなさを、新次郎が一身に引き受けていること。
69話に引き続き、玉木宏の涙がたくさんたまった瞳の表情が饒舌だ。鼻水が出てきそうなほどだから、本涙? 
あさに止められてしまうとはいえ、生存競争の過酷さに耐えられない優しさという弱さで、お金まで出して助けようとしてしまう新次郎。
最後、松造を抱えてさする表情も、包容力というよりも、自分が耐えられないという感じ。
弱くて優しい人間像はとても面白いし魅力的だ。

偽善者でいられなくて(新次郎の行為が偽善というわけではないが)、あさが、ひとでなしという言葉を受け止めるしかないのは、五代の影響がある。余計なお世話だが、それもまた新次郎(知らないとはいえ)の辛いところだろう。

こんなにもシリアスで、人間の本質的問題に切り込んでいっていて、正吉(近藤正臣)と松造の場面も胸を打つにもかかわらず、最初、噂の大工の八っちゃんこと八五郎(JEFFI)がいて、眼光鋭く横でうどんをすすっているというシュール過ぎる場面もある。
それをそっとのぞいていたあさがくしゃみをして、新次郎たちに気づかれた後は、八っちゃんと交替にあさが座っている。
なぜ、こんな、ちょっとくすっとしてしまうシーンを入れる。
さすがに、大福帖に大福を重ねることはなく、黒糖饅頭だったから、胸をなでおろしたが。
シリアスだけでは視聴者の心をつかめない、豊富なサービス精神なのか。
たくさんの人が楽しむテレビドラマをつくるのも、大変だ。
(木俣冬)

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