Doctors Me(ドクターズミー)- 【医療現場のウソとホント】第5回:将来はお医者さんになるの?

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いつも当コラムをお読みいただきありがとうございます。この第5回が最終回となりますが、ぜひお読みいただければ幸いです。

さて、私が公立大学の医学部に入学したのは1995年。阪神淡路大震災から数ヶ月後の春で、深い鎮魂と復興の報道が連日続いている頃でした。

「なぜ医師になろうと決心したのだっけ?」入学後の慌ただしいスケジュールの中で、ときどき自問自答するようになりました。それまでは受験生として「医学部に合格したい!」と狭い的をひたすら狙うだけでしたが、実際に医学部へ進学してみると、学ぶのは膨大な医学知識だけでなく、人生で直面するかもしれない、ありとあらゆる種類の「不幸」でもあったからです。20歳そこそこの自分は、何と難しい職業を目指しているのだろう、と不安になりました。

そしてこの道を志したのは、他にも事情があるとはいえ、周囲の期待と言葉に影響されたのかもしれない、と考えるようになりました。私は幼い頃から近所の人たちに「将来はお医者さんになるの?」といつも聞かれていたからです。どのくらい繰り返し質問されていたかは分かりません。でも他の職業を聞かれた記憶がまったくありません。

いつも「お医者さんになるの?」かについて、内向的な子どもなりに考えていたのでしょう。そして大抵は「お医者さんになる!」と答えていたはずです。論理的に深い理由はなく、子どもなりの想像力が働く範囲で精一杯に答えていたのでしょう。世の中では、なんだか格好いいイメージがありますから。

ひとつのご参考事例として


私の父方は代々、医師の家系です。なかでも祖父は戦前から活躍した胸部外科医で、肺切除手術で有名な大学教授でした。子どもの頃、祖父の家に遊びに行くと、緑色の術衣に身を包んだ医師と看護師が手術をしている油絵が、客間に大きく飾ってありました。まるで医療ドラマのワンシーンのように誇らしい自らの手術姿を、祖父は自宅に油絵として飾っていたのです。まさに医師一筋という空気感が漂う古い洋館では、おそらく祖父も同じ質問を私にしていたことでしょう。

父も大学病院などで働く多忙な外科医でしたから、ご近所からも同じ視線で見られやすくなります。子どもにとって「お医者さん」は将来なりたい職業の上位として、いつも取り上げられるので、祖父も父も実際に医師であれば「なんだか良さそう」という自己暗示にはまりやすいわけです。

ただし、両親から医師になることを勧められたことはなく、文筆業を始めていた母からは「本当に医者になるの?」と繰り返し再考を求められました。夜も休日も自宅にいない”仕事バカ”の夫と同じ人生を、思春期の我が子には求めたくないと思っていたのでしょう。
とはいえ、「他の仕事も考えてみたら?」と言われても、友達のお父さんから他の職業について教えてもらおうという気持ちは起こりませんでした。自らの視野が狭いことに、思春期の男子中高生レベルでは意識できなかったのです。

建築家になってみたいという別のひそかな夢は高校2年生で断念し、あとは医学部への進学、医師国家試験の合格と、悪戦苦闘しながらも突き進みました。こうして専門医を複数取得できたのは、私本来の基礎学力からすれば良くぞ継続できたというのが実感です。

こうした体験談は、お子さんを医学部に進学させたいとお考えのご両親にとって、ひとつの参考になると思います。周囲の純粋な期待が子どもの将来、場合によっては高齢医師になるまでの人生数十年を方向づけしかねないという実例です。

少子高齢化社会の多大な影響

たしかに医師は「国家資格だから失業しないであろう」職業です。しかも1億2千万人の日本で、医師は30万人ほどしかいません。医学部を卒業できる新卒の24歳から、引退した高齢医師までをぜんぶ合わせても30万人しかいないのです。これを専門性や勤務地域で分けていくと偏在も関わって、「医師不足だ」と何十年も困っていることがあるわけです。

大都市でも離島でも、医師が診る病気や症状に大きな違いはありません。あとは医師がどのように職業人生と私生活を両立しようとするかが影響します。国家資格ですから、そのときの政策と国勢に左右されることも多々あり、下積み時代を含めれば自分の希望や夢がいつも優先されるわけでもありません。

つまり、お子さんが憧れ、親御さんが「将来はお医者さんになると高い収入があって良いぞ」と勧めたとしても、この待遇が将来もずっと保証されるとは到底言えません。イメージとしてだけでなく、医師の世界は『ウソとホント』が混沌状態にあり、しかも人命に直結する判断を迫られる厳しい立場です。故意ではなくとも医療訴訟を含めて賠償責任を問われることもあり、ドラマの白衣姿にあこがれるお子さんが、そのようなリスク管理まで想定していることはないでしょう。

「僕は大丈夫!医師賠償保険にも研修医になったらきちんと加入するし、医療裁判の判例も読み込んで絶対に負けないように、そもそも医療ミスなんて永遠にしないように日々精進するから!医療経営も勉強しなきゃいけないね!」という利発なお子さんがいる場合は、多少お勧めしても良いかもしれませんが…。

さらには急速に進む少子高齢化、つまり子どもよりも圧倒的に高齢者が増えている日本の現実があります。人間は若いときほど病気になりにくく、年をとるほどに多くの病気になりやすいわけで、現在は医師が診療するべき方々が増えている時期です。けれども、いずれは予防医学や再生医療も進歩していくだけでなく、高齢者も減少していく時代が到来します。元気で自立した高齢者が増えることは、医師という商売にとってのお客さんが減り続けることを意味します。

皆さんのお子さんが勉強に励んでいつか医師になれたとしても、その頃にどのような職業環境になっているかは誰も指摘できないのです。縮小する日本ではなく海外に活路を求めていこうという意欲的な医師たちも出てきていますが、日本の医師免許だけでは海外の診療がほとんど出来ません。あらためて米国の医師免許取得も目指すようなエリート医師になるまでには、さらなる精進と果てしないほどの勉強量が必要です。

あくまでも選択肢のひとつ


社会人になれば好きなときに勉強して、好きなときに遊んでという学生のような生き方は難しくなります。しかも医師のように長時間労働が昔から当然とされて(社会的にも賛美されてきた)職業は、一般的な労働環境とかけ離れた劣悪な状況が黙認されやすく、心身に不調をきたす危険性も高いのです。

患者さんにとって安全な医療を実践しつつ、自らも現役の医師として公私ともに充実した日々を送ることの難しさ。ぼんやりとした努力だけでは不可能ですし、医師という高学歴者同士でも上位に行くほど、厳しい出世争いが繰り広げられています。競争から離れて向上心を捨ててしまうと、昔ながらの診断と古臭い処方しかできない経験偏重の医師へと低落してしまいます。

医療業界からはみ出してヘルスケア関連の業界にも関わるようになった(珍しい)医師の私は、大学入学前で進路が別れた方々の中に、唖然とするほど素晴らしい人々が社会で活躍している現実に気がつきました。誰に自慢するでもなく、驚くほどの知性と実直さで難題を解決しようとする姿にはいつも感銘を受けます。「医師とそれ以外」という区別感が、子どものときから勝手に刷り込まれていたという猛烈な反省を呼び起こしました。

そうか、自分には子どもの頃から『職業に貴賤なし』という当然の発想が足りなかったのだと思うのです。貴賤(きせん)とは身分格差を意味しますが、医師家系で誇らしげな気持ちを子どもながらに少し抱いていたのが、今更ながらとても恥ずかしい。東京大学に毎年何十人も合格するような進学校にいたことも、ちょっとした思春期の優越感だったことを思い出すと、社会人での悪戦苦闘は当然の結果でもあるのでしょう。分け隔てなく、柔軟に視野を広げる機会が足りませんでした。

医師になるというのは学問上で知りうるホントの知識を身につけ、職業経験として有害なウソを世の中から排除していくことです。その過程では自らの内面を深く見つめ直し、未熟さを恥じ、少しでも改善しようと自戒しつづけることが欠かせません。生涯にわたって医師である以上、ゆるみや放棄を自らの中で許さず、”まず国民のための仕事”である意識が欠かせません。世間的な格好いいイメージとは、だいぶ離れている面もあるのです。

ワンポイントアドバイス

当コラムを書かせてほしいとDoctors Meの運営者にお願いしたのは、医師として見かける医師発信のメディア情報がどうしても話題優先になりやすく、これを人々が見たら勘違いしそうだな、という事例を複数見かけたからです。

軽く面白く書きすぎている、あるいは専門的過ぎて分からない医師の話が多い中で、当コラムはまっとうなテーマを直球勝負で表現しました。医療についての「ウソとホント」は本当のプロフェッショナルでないと分からない場合が多いのです。

スマホで読める真面目な話、でも知っておくと少し役立つテーマを選んできました。
お時間あるときに、ぜひ過去4回分もお読みいただければ嬉しく存じます。ありがとうございました。

〜医師・医薬コンサルタント:宮本 研〜