ストーリーの展開をめぐりネットで議論になっているゲーム『メタルギアソリッドV ファントムペイン』について、ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが語り合います。

ゲームでしか体験できない経験、批評性



藤田 『メタルギアソリッドV』は、世界的に幅広くプレイされ、高く評価している小島秀夫監督のゲームです。ちょうどつい先日(12月4日)The Game Awards という世界最大級のゲームの賞で、ベストアクション賞と音楽賞の二部門受賞という快挙を達成されました。世界全ての作品が対象だから、これはすごい。
 簡単に説明すると、潜入ステルスアクションゲームが、『メタルギアソリッド』シリーズですね。今回は、色々と話題の『V』について、多少はネタバレありで語っていきたいと思います。

飯田 『MGS』は何が凄かったか。いろいろありますが、「日本人が本格的なスパイアクションを作れる」なんて海外の人間には思われていなかったところに、ゲームというかたちでつくりあげ、初代『MGS』のころから「世界最高のストーリーテリング」と世界的に称賛されていました。
 単純にアクションゲームとしておもしろいだけでなく、遺伝子工学や生殖医療、VRを使った軍事訓練、内戦と少年兵、メディアコントロール等々といった現代社会がいま抱える問題を、ゲームを通じて「君ならどう感じる? どう考える?」と体感させてきた。

藤田 『MGS1』のときに、リアルタイムレンダリングのポリゴンで、映画的なカメラワークをやったんですよね。ストーリーも、どんでん返しなどが多くて、凄かった。「反戦・反核」を基本テーマに、歴史や戦争などの重いテーマも扱っているわけですね。
『MGS2』は、『MGS1』の内容をシミュレーションとして訓練してきた「雷電」という人間が主人公で、途中でゲームがバグったみたいになって、「現実とは何か」「情報統制と思想のコントロール」のテーマを、ゲームプレイそのもので体験させるという凄まじい作品で、これが世界的な評価を一気に高めました。ぼくもこれで、シビれた。
 『メタルギア』の面白さは、映画的な演出、ステルス潜入のスリル、そして予想もつかない大どんでん返しの繰り返しというストーリー、そして飯田さんが仰ったようなSF的なテーマやガジェットで、そして何よりも重要なのは、「ゲームというメディアでしか体験できないこと」を味あわせてくれることですね。

飯田 そうだね。あんまり言うとネタバレになるのでぼかしますが、今回の『MGSV:TPP』も、ゲームプレイヤーを戦場において「手を下す」当事者にさせるしかけを使っている。あれはエグい。

藤田 そうですね、ゲームは「介入できる」のが映画との違いなので、たとえば殺すか殺さないか、などを選択できるようになっていますね。
 『MGS4』では、敵兵が、FPSなどのゲームをプレイをしているうちに、ゲームと現実の区別が曖昧になって兵士として利用されているってことになっていて、それってプレイヤーがプレイしているゲーム体験そのものを反省させるわけですよね。『MGS3』では、殺した敵兵の分だけ幽霊が出るイベントがあったりした。今回だと敵兵を殺すと角が伸びていく。

飯田 ゲームに対するテンプレ的な批判として「ゲームの中で簡単に殺しまくっていたら、現実でも命を軽んじるやつになるんじゃないか」というものがあるけれども、MGSはまったく逆で、死や生の重みをいかにゲームを通じて(擬似)体験させるかということにきわめて意識的なシリーズですね。

藤田 物語も、『V』では、『4』のようにリニアなムービーで説明するのではなくて、断片を収集させてプレイヤーに想像させるというタイプのストーリーテリングに変えてきましたね。ゲームの特性を生かしています。
 でも、断片を集めて想像しても「妄想」になってしまい、陰謀論が流行ったり、冤罪が跋扈したりするという、なかなかエグい批評性を突きつけてくるのが『V』の魅力でした。そういう、ゲームシステムそのものへの批判的な自己言及が、突き刺さるんですよ、MGSシリーズは。
 ゲームが死を軽くさせるという装置への自己言及であるんですよね、「死」の問題を扱うのは。特に今回は、身体描写が重くて痛かった。

「ない」ことの痛み


飯田 本作のタイトルにあるThe Phantom Pain(ファントムペイン)、「幻肢痛」には多層的な意味が込められているよね。そのひとつが「ない」ものを感じる、想像することの功罪両面が描かれていること。

藤田 「ない」ということの痛み、ですよね。それが、ネット上で一番議論になっている「未完成説」の核心部分でして。
 今回は、ラスボスとの戦いなどがなくて、唐突に終わるんですよ。だから、未完成だと騒がれている。確かに未完成かもしれないと思わされる部分もある。でも、「冤罪」などの全体のテーマなどを考えると、「倒すべき敵がいない」「復讐すべき相手がいない」状態の辛さを味あわせるためと考えることもできる。……っていうようなことを書いたら、小島監督のツイッターにRTされましたよw
 今回のヒロインのクワイエットは、よかったですよ。歴代で一番いいヒロインだと思う。プレイヤーとのプレイ体験の中で関係性をはぐくむタイプのヒロインで、それが非常にうまくいっていた。
 ……で、ラストの方で、本当にいなくなっちゃうんですよ(アップデートで戻ってくるようになりましたが)。あのときは、マジでプレイヤーたちは幻肢痛を感じて、コナミに報復心向けてましたよw ぼくも、クワイエットいなくなって、すごくさみしかったw ゲームでこんなに喪失感と痛みがあるものかと、呆然としていました。

飯田 本作で30年近くに及ぶ展開をしてきたメタルギア・サーガが終わること、開発母体であるコジプロが解散させられたこと、コナミ経営陣の介入により本来のシナリオがカットされたらしきこと、あるいは"小島原理主義者"であった伊藤計劃の早逝による不在など、様々なことを自然とファンが重ね合わせてしまうようにつくられている。幻肢痛という、「もうない」ことに痛みを感じること、失う痛みをテーマにした作品を通して。まあ、ユーザーがそういうことに想いをめぐらすことは、藤田君も言ったように「妄想とどう違うの?」ということでもあるんですが。

藤田 大塚英志が、『物語消費論改』で、「物語消費」という、断片を消費者が集めて世界観を作るようなことは、結局ネット右翼のデマや陰謀論にしかならなかった、という反省をしていましたが、本作はそのような現代の人間の思考のメカニズムに、ゲームという装置で介入しているように感じます。

飯田 「やっぱり続編が見たい」とか「すべての構想が実現されていれば……」とかね、そういうファンの想いも幻肢痛だと言っていると思います。際限ないわけだから。
同時に、エンディングでは「お前がスネークだ」というメッセージをユーザーに発してもいる。つまり、もう「ない」けれども、「お前たちが引き継げ」と言っているようにも取れる。

藤田 そうですね、コジプロの解散などと重ねて理解されていますよね。
 ……でも、「未完成」であったり、「空白」を残しているのは、ある程度はわざとだと思うんですよね。『白鯨』がモチーフのひとつになっていますが、あれも、捕まえることのできない巨大な鯨に復讐しようとして果たせない、捕まえられないものを追いかけ続けるという話ですし。

飯田 空白をあえて感じさせるつくりにすることで「どこまでいっても永遠に埋まらない空白がある」ということを突きつけてシリーズを閉じる、というのは、さすがだなあと。
 そりゃ僕だって、第一章で「すげー! 超おもしれー!!!」と思ったら第二章であんなふうに終わって「へっ???」って愕然としたけどね!

藤田 第一章は、神がかった面白さでしたねぇ…… 第二章は、ひたすら内輪もめしているのがよかったですね。『1984年』をもじって、「BIG BOSS IS WATCHING YOU」っていうポスターが、主人公たちの基地に貼られているの見て、ゲラゲラ笑ってました。ただ、いくつか、不自然に放り投げられたような感じがするエピソードがあるな、とは感じました、最初は。

継承――父と子と


飯田 このシリーズは初代『メタルギア』から常に「プレイヤーが操るキャラクター(スネーク)は、オリジナルではなくコピーである」、二次的な存在であることを描き続けてきたし、親殺しを描いてきた。つまり本作でテーマとなっている「不在」は、実は過去の作品でも潜在的に内包されていたわけですよね。だって親父を殺しちゃう、コピーの存在がオリジンを葬ってしまうわけだから。

藤田 今作だけ、殺すべき「親」がいないんですよ。だから、敵が内部にでっちあげられていく。大きな転換だと思います。むしろ、それらの結果として、「子供たち」が自分に歯向かってくようになるプロセスを描く。……その子供たちの行いも、自分がやってきたことを見習って反復の部分があるので、自業自得感があるというか、恨みに恨めない感じがよかったですね。

飯田 ザ・ボスに対するビッグボス、ビッグボスに対するソリッド・スネーク、ソリッド・スネークに対する雷電といったように、「継承」がずっとテーマになってきた作品だけど、なぜ継承しないといけないかと言えば、上(オリジン)がいない/いなくなるからだもんね。その痛みに耐えながら、志を継承していかなきゃいけないんだということは、僕はVで初めてハッとさせられました。
 しかもVが切ないのは、みんなザ・ボスなりビッグボスの意志を継ごうと思っているのに、すれ違っていくことです。先達の志や想いを解釈していくなかで後塵たちは道を違えていき、バラバラの未来をつくっていってしまう。「原点は同じでも、ひとつにはなれない」と言っているような話だから。

藤田 シリーズのテーマとして「GENE」「MEME」「SCENE」「SENCE」を掲げてきたんですよね。継承する方法のそれぞれの違いを意味しています。今回もまた、違う継承が描かれていますね。
 みんな良かれと思ってやっていたことが、ぐちゃーっと混ざったりして、誰の意志でもないものになっていたというのが判明するのが、すごいところですよね。4であんなに苦労して倒した巨悪が、実は全然悪でもなく、中心も意志もない、偶然の結果生まれたようなものに過ぎなかったと判明するのが、驚いた。
 エンディングのひとつに使われている、Sins of the Fatherが泣けるいい曲だと思うんですよ。プレイヤーたちが頑張ってやってきた色々が――良かれと思ったり、夢を見たり、やむを得ずやったことの罪が積み重なって――次の世代に倒されるべき悪になっているんですから。前作の「4」やそれ以前の作品で倒した悪だと思っていたものが、結構一生懸命に色々なことがあった結果のものだというには、苦い味がしました。

誰でもスネークになれる!


飯田 少しネタバレしてしまいますが「主人公はスネークだと思ってたら実は……」展開は『MGS2』とある意味同じで、『MGS2』も発売当初は不評だったよね。今回もある意味2と同じで「誰でもスネークになれる」という、スネーク伝説を相対化するものでした。「こいつじゃなくて本物のスネークを使いたいよ!」って言ってるひとのきもちもわかるけど、そういう設定にした小島監督のきもちも考えようよw

藤田 ネットでの感想を見ると、3のスネーク(ビッグボス)が人気なんだけれど、ぼくはVのスネークが一番好きかな。Vのスネークは、非哀感、空虚感がすごくて、セクシーな表情していますね。あの哀しそうに、誤解にも耐えて怒りを押し殺している感じは、すごくよかった。
 Vのスネークの正体は、実は意外なものなのですが、1のクローン、2のシミュレーション、4のナノマシンに続く、「伝説の英雄であるビッグボスになる」方法として、見事だったと思いますよ。思いっきりネタバレすれば、その辺の人でも、支援を受け、噂をでっちあげればなれる、っていう話ですからね。

飯田 「なるほど!」って思ったよ。

藤田 2とVのプレイキャラクターが、従来の「スネーク」ではないことへの反発は多いみたいですね。でも、むしろ、ぼくが一番好きなのは、この二作です。批判を見ていると、日本人はキャラクターの同一性へのこだわりが強いんだな、って感じましたよ。そこを毎回逆手に取ってくるのも、『メタルギア』のすごいところですね。
 それも、前の作品で活躍した「伝説の英雄」が、続編で最初からすごくないのはおかしいだろう(プレイヤーが操作に習熟していないので)っていうゲームの条件から逆算して、主人公の設定を毎回少しずつ変えているらしいですが。たとえば、4では、おじいちゃんにしちゃった。だから、体力とかが衰えているし、Vでは昏睡から覚めたばかりで身体が衰えている。

コピーがオリジナルになる感動


飯田 さっきも言いましたが、MGSは毎度プレイヤーが操るキャラクター(スネーク)は「オリジナルではなくコピーである」、二次的な存在であるということを描き続けてきたわけですよね。ザ・ボスに対するビッグボス。ビッグボスに対するソリッド・スネーク。ソリッド・スネークに対する雷電、みたいに。
 そこには映画を愛し映画監督に憧れながらもゲーム制作者になった小島秀夫であり、本物を作っているアメリカに対してコピーばかり作っている日本、みたいな二重性等々が込められていたんだと思う。だけどその二次的な存在が、どうやったら親殺しを果たして固有のアイデンティティを獲得しうるのか、ということを示してきた物語じゃないですか。
 そして今回は「お前ら、誰でもがんばればスネークになれるよ」と言ってシリーズを完結させた。エンディングで流れるビッグボスからのメッセージを小島監督からのメッセージとして受け取り、そして泣くしかないでしょう。あれは本当に、ゲームでしか体験できないたぐいの感動ですね。

藤田 いや、でもあれ言われたあとに、ソリッド・スネークに殺されるわけだから、なかなかどういう気持ちになっていいのかわからないですよ。いいように自分を使いやがってこの野郎、と思っていたかもしれない。鏡に映っている自分に拳を叩きつけるシーンを、どう解釈するのかなのですが。

メタルギアは国民文学である!


藤田 そういえば、『メタルギア』シリーズは、ゴジラに作中で言及したり、段ボールをかぶって潜入するなどで安部公房の『箱男』を参照していたり、意識的に日本のサブカルチャーや歴史を引き受けている作品なんですよね。
 スネークは被曝者である、という設定も重要です。毎回、核兵器を巡る問題を扱っていますしね。でも、巨大ロボットの戦いとか、サイボーグ忍者も入れてくる。戦後文学のテーマみたいなのと、サブカルチャーの主題や意匠を、かなり意識的に背負っている作品だと見做すことができると思う。
 そういう意味で、もうゲーム時代の「国民文学」と言っていいんじゃないかと思うんですよ。

飯田 個人的には、くっそシリアスなストーリーなのに、監督の大阪人ノリなのかわからないけどギャグを平然とぶちこんでくるのがすごいなと毎度思っていますw あの二面性は手塚治虫に通じるものがある。

藤田 ギャグはポイント高いですよw 結構、ヘンな仕掛けやくすぐりがあるのがたまらない魅力です。

飯田 話を戻しますが、MGSは文学だと思いますよ(こう言うと懐かしの「Fateは文学、AIRは芸術、CLANNADは人生」みたいでアレですがw)。テクノロジーや戦争を通じて「人間とは何か」を問うている。

藤田 人間、歴史、戦争、科学……壮大なるサーガですよね。日本が生み出した、誇るべきシリーズであると思います。今年作られた日本のコンテンツの中では、ぼくは最も優れた作品のひとつだと思います。
 海外でも、メタルギアは小島監督のゲームだ! って怒りの声があがっているようですが、ぼくも小島監督は傑出した作家だと思います。『ポータブル・オプス』という小島監督ではないメタルギアはすごくつまらなかったですから。やはり作家性ってあるんだなと思いました。
 小島監督の『メタルギア』サーガは、そのぐらい尋常じゃない達成だと思います。日本が誇るべき作品であり、ゲームというニューメディアにおいて、芸術や文学と並び称せる域にまでゲームを高めた人だと思います。素晴らしい。

飯田 そういえば、日本人が書いているノベライズもどれもおもしろいですね。最初に出たレイモンド・ベンソン版の小説はつまんないけど、日本人作家はみなさんまさに「この作品に込められたテーマをどう継承するか」を真摯に考えて書かれていて、読んでいてシリーズに対する発見がある。

藤田 3は長谷敏司さん、4は伊藤計劃さん、そして、1、2、PW、Vが謎の覆面作家、野島一人さんですね。
 Vに関しては、「お前の解釈は間違えている!」って言いたいところが何カ所かあったけどw

飯田 www じゃあ、非公式でいいから藤田版ノベライズを書いてください!