2015年シーズンのマクラーレン・ホンダを検証する(1)

 2015年3月、オーストラリアのメルボルンで行なわれた開幕戦は、マクラーレン・ホンダにとって惨敗とも言える結果に終わった。予選は出走18台中、17位・18位、そして決勝は、ジェンソン・バトンがトップから2周遅れの完走11台中11位、ケビン・マグヌッセンはスタート前のリタイア――。

 新井康久F1総責任者の表情には、苦悶の色がにじんでいた。

「今シーズンで一番つらかったのが、オーストラリアでした。開幕前のテストからトラブルが続発し、完全に準備不足のままで開幕戦に臨まなければなりませんでした」

 2015年シーズンを終えた今、新井総責任者はそう振り返る。

 いかに複雑で難しいパワーユニットとはいえ、開幕前テストであれほどまでにトラブルが続くとは、予想していなかった。その見通しが楽観的過ぎたことを、新井も認めている。

 2014年11月末のアブダビにおける初テストでは、2日間でわずか5周しか走行できない......という苦渋を味わった。しかし、それはパワーユニットそのものの信頼性というより、コンピュータのような複雑なマシンを立ち上げるプロセスに手間取ったせいだった。

「初テストではまともに走れませんでしたが、制御系のコントローラーを立ち上げる順番などがうまくいかずにああなっていたので、そこさえできればきちんと動くかな、と考えていました。でも、開幕前のテストが始まってみると、2008年を最後にF1から離れていたブランクは予想以上に大きかった。トラブルが起きても、経験がないから問題を解決するのにも時間がかかるし、やはりそういう勘所(かんどころ)というのは、レースをやっていないと磨かれないものなんです。サーキットでのオペレーションや戦い方、データを確認して原因を究明していくときのスピードやジャッジの速さといったところは、やはり勘が鈍っていました」

 F1の進歩に戸惑いながら迎えた開幕戦では、予想外に暑いメルボルンの温度コンディションに合ったパワーユニットのセットアップが用意できず、大事をとって出力を下げた状態で走らなければならなかった。それが、冒頭に述べた散々な結果につながった。

「熱の問題に起因することなんですが、確認していないものをぶっつけ本番で使うわけにはいきません。だからそれを避けて、MGU-K(※)は100%フルに使っていませんし、エンジン側も出力的には相当下げた状態で使わざるを得ませんでした」(新井総責任者)

※MGU-K=Motor Generator Unit-Kineticの略。運動エネルギーを回生する装置。

 しかしこのとき、ホンダはもっと重大な問題に直面していた。ターボチャージャーとMGU-H(※)からのエネルギー回生量が、設計上の想定値を大幅に下回っていることが判明していたのだ。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 トラブル続きの開幕前テストの結果を踏まえて対策を施し、FIAのホモロゲーション(仕様認証)を受け、「これで今季を戦う」とした最終実戦仕様――。そのパワーユニットをメルボルンで初めて実走させた段階で、ホンダはそのことを知った。ただ、これが今シーズン大きな足枷(あしかせ)となり、最後までホンダを悩ませ続ける"ディプロイメント(エネルギー回生)不足"の大きな原因になろうとは、彼ら自身もまだ気付いてはいなかった。

 パワーユニットの基本性能は、やはりエンジン本体であるICE(内燃機関エンジン)の出力で決まる。燃料流量が100kg/hに制限されている以上、その同じ条件でパワーが高ければ、燃費も良いことになる。そうすれば、100kgという燃料使用制限が課せられる決勝でも優位に戦える。だからホンダはまず、ICEの性能追究に主眼を置き、MGU-Hの性能確認がおろそかになっていた面もあったと、あるエンジニアは語る。

 もう一方では、ライバルメーカーたちの進歩を甘く見ていたところもあった。

「去年のデータを分析する限りでは、他メーカーのパワーユニットも(1周を走るなかで)ディプロイメントが切れていたんですね。でも今年になると、各社ともそこを相当修正してきていた」(新井総責任者)

 シーズン序盤は自分たちのことだけで精一杯となり、周りを見る余裕もなかったが、フライアウェイ戦が終わるころになると、自分たちのMGU-Hが目標値を下回っているだけでなく、想定していたよりもずっとライバルメーカーがディプロイメント不足を解消してきていることがわかってきた。つまりホンダは、ダブルパンチでディプロイメント不足のハンディを背負ってしまっていたのだ。

 全開率の高いパワーサーキットが続いたベルギーGP以降のシーズン後半戦は、ICEをパワーアップさせたにもかかわらず、ディプロイメント不足による非力さがより一層、顕著に見えてしまった。

「ディプロイメントが切れると、DRS(※)を閉じたときのように減速する」
「ストレートを走っていて、恐いくらい周りとの速度差がある」
「GP2エンジンだ......」

※DRS=Drag Reduction Systemの略。ドラッグ削減システム/ダウンフォース抑制システム。

 ドライバーたちは口々に、ディプロイメントが切れたときのパワー不足を訴えた。ダブルでハンディを背負っているホンダのパワーユニットは、他メーカーに較べてディプロイメントが切れる時間――つまり、160馬力のERS(エネルギー回生)アシストなしの1.6リッターV6ターボエンジンだけでの走りを強いられる時間が長くなってしまう。

 問題を抱えたターボチャージャーとMGU-Hは、原則として開発が凍結されている現在のF1のルールでは、そう簡単に修正することはできない。毎レース新しいものを投入し、セッションごとにエンジンを載せ換えていたような、かつてとは時代が違っていた。

「ディプロイメント不足の問題を解決するためにはレイアウト変更が必要で、確認項目が多すぎますし、それには膨大な時間と労力がかかってしまう。問題点はわかっていても、対策できないことがたくさんありました」(新井総責任者)

 このディプロイメント不足に大きく足を引っ張られ、参戦1年目のホンダはファンの期待に応えるだけの結果を残すことができなかった。他メーカーが2014年のレギュレーション改定の3〜4年も前から研究開発を行ない、レギュレーション策定にも参画してきたのに対し、ホンダは2013年5月のF1参戦発表からわずか1年10ヶ月で完成させなければならなかった。

 ただ、レギュレーション改定から1年遅れで参戦したことについて、「1年も様子見したくせに」と揶揄する声もあるが、それはまったくの見当違い。スタートが遅かっただけに、ライバルよりも短い期間で仕上げねばならず、準備不足のままシーズンに突入してしまったのが不振の原因と言えるだろう。

 実走データも、実走テストもないなかで開発を強いられ、なおかつライバルたちが1年の実戦経験とデータをもとに、48%も改良を許された2015年型パワーユニットと戦わなければならなかった。

「通常の開発を考えれば、2014年の開幕なんてとても間に合わない。2015年だって相当厳しいくらいで、本当なら2016年からの参戦というのが妥当なところ。実際に社内では、『2016年からにすべきだ』という声もありましたから」

 新井総責任者が再三そう繰り返してきたように、たしかに「ホンダのF1復帰」は1年早かったのかもしれない。

 しかし、栃木県の研究所『R&D Sakura』では常に開発が進められてきた。今季型で戦い続けねばならないコース上では苦戦を強いられていても、そのデータをもとに、裏側では進歩が続いていた。

 2016年に向けて、各メーカーのパワーユニットには32トークン(※)、つまり全体の48%を変更することが許される。ホンダはディプロイメント不足の問題を解決すべく、TCとMGU-Hのレイアウト変更を含め、すでに来季用の真新しいパワーユニットの開発を進めている。

※パワーユニットの信頼性に問題があった場合、FIAに認められれば改良が許されるが、性能が向上するような改良・開発は認められていない。ただし、「トークン」と呼ばれるポイント制による特例開発だけが認められている。各メーカーは与えられた「トークン」の範囲内で開発箇所を選ぶことができる。

「ディプロイメントが足りないという問題を解決しなければ、レースにはならないと思っています。得意・不得意というサーキットがあるようでは、シーズンを通して良い結果は残せませんから。それをオフの間にしっかりと直して、新しいパッケージで来シーズンに臨みたいと思っています。来年の開幕前テストまで3ヶ月しかないので、すぐに(基本設計・製造を終えて)確認しなきゃならない段階に入っていきますし、あっという間です」

 2016年3月20日の開幕戦オーストラリアGPに先立って、2月22日からはバルセロナで開幕前のテストが行なわれる。1年早かったかもしれない......と、悔やんでいても始まらない。今は知性と努力で、他のどのメーカーよりも速い進歩を遂げ、その1年を取り戻すことだけに集中するしかないのだ。

(次章に続く)

米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki