『12人の蒐集家/ティーショップ (海外文学セレクション)』ゾラン・ジヴコヴィッチ 東京創元社

写真拡大

 連作『12人の蒐集家』に、中篇「ティーショップ」を併録した作品集。

 先に「ティーショップ」から。これは独立した一篇だが、小説世界のなかにいくつものエピソードが数珠つながりになって埋めこまれ、それが連作をなしているようにも読める。この作品で「枠物語」の舞台となるのがティーショップだ。旅行者のグレタは列車の乗り継ぎでポッカリとあいた時間を埋めるため、駅前のこの店に立ちよる。グレタは「語り手」ならぬ「聞き手」だ。

 グレタは午後はいつもカモミールティーを飲むことにしていたが、今日は特別なことをしてみようと思いたつ。日常とは違う旅先なんだし、この駅で途中下車したのだって偶然のなりゆきなのだし、せっかくのチャンスじゃない? 知らない土地でのちょっとした冒険。いちばん珍しいお茶にしよう。

 メニューの最後にあるのは「物語のお茶」。これに決めた。銘柄のわきに"あなたにはこれが必要です"と書きそえてあるし、グレタは「物語」を心から愛していたから。

 運ばれてきたお茶は、緑色をしていて熱い。少しだけそっと口に含むとマイルドだが、ほのかな苦みがある。アーモンドとハナミズキと、いつのまにか失ってしまったなにかが混ざったような風味。

 ウエイターは、グレタがお茶を気に入った様子なのに安心した様子で、やおら椅子に座って話しはじめる。そう、このお茶には「物語」が付いていたのだ。ウエイターが語るのは、ひとりの処刑人のエピソードだ。処刑人は献身的な仕事ぶりで評判だったが、いきなり仕事を辞め、健康なくせに山あいのサナトリウムに入院して、珍しい高山植物の収集をはじめる。彼に助力する看護師長。ふたりのあいだに芽生える恋情。しかし、ふいの災害によって彼の人生は......。

 まさにグレタが大好きな物語。ロマンチックで謎めいている。でも、主人公は処刑人じゃないほうがよかったんじゃないかしら。そう考えながら、お茶をもうひと口飲む。

 それをきっかけとして「物語」のつづきがはじまる。話し手はウエイターからレジ係の女性へと替わり、新しいエピソードでは看護師長が主人公だ。彼女はサナトリウムの惨事のあと、仕事を辞め、スタントウーマンになった。アクロバティックな敏捷性と勇気が認められ、映画の出演依頼が引きも切らない。ところが、あるスタントの現場で防護ケーブルが切れる事故が起きる。警察の捜査の結果、何者かが仕組んだことがわかり......。

 このエピソードも、まさにグレタのために作られたような内容。堪能したけれど、もっと先が聞きたい。そこで、お茶をもうひと口。

 次のエピソードは、驚いたことにお店のひとではなく、窓際に座っていたカップルが話し手だ。その若い男女は、グレタのテーブルへやってきて、順番に話をはじめる。こんどは元看護師長のスタントウーマンがスタントからサーカスへ転身し、そこで知りあった奇術師の兄弟が主人公だ。しかも、兄と弟でエピソードが分岐している。兄のほうの人生を担当するのは、話し手カップルのうち男のほうだ。弟の人生は、女性が担当する。

 そんなふうに、話し手と主人公を替えながら、次々とエピソードがつながっていく。しかし、いつまでどこまでつづくのか。結末を明かすわけにはいかないが、ぼくは「物語」にこんな鮮やかで素晴らしい行き先がありうるのかと陶然となった。「訳者あとがき」で山田順子さんがジヴコヴィッチの作風について〔読んでいくうちに、床だと思って歩いていたら、いつのまにか天井になって逆さまになって歩いていたという感覚を味わえることまちがいなし〕と述べているが、まったく同感だ。

 さて、「ティーショップ」はグレタがティーショップに入るところからはじまったが、『12人の蒐集家』の冒頭はケーキショップの情景だ。十二篇の連作には番号がふられており、その最初「1 日々」は語り手(わたし)がなにか甘いものが食べたくなって、それまで訪れたことのないケーキショップに立ちよる。店内の内装・什器・布類はすべて紫色が基調で、メニューの用紙も紫色だ。八ページにわたっていろいろなケーキの名前がずらりと記されているが、見慣れない名称が多い。〈鉛色の避雷針〉〈よろけヴァイオリン〉〈うわのそらのマルハナバチ〉〈惚れ睡蓮〉......。

 このへんがジヴコヴィッチのマジックだ。ここで列挙されるケーキの名称は、「ティーショップ」で次々と繰りだされた謎めいたエピソードの、超ミニチュア版といったところ。読者の視線をさりげなく誘導する。旅先のグレタが「いちばん珍しいお茶」を望んだように、ケーキショップに来たわたしも「ありふれていない、なにか特別なものを食べてみたい」と思う。パティシエが提案するのは、メニューに載せていない〈詰めこみモンキー〉だ。極秘のレシピによる独特な風味、よそでは味わえない当店だけの逸品。メニューに入れないのは代価のせいでございます。

 わたしはもう引き返すことができない。どんな代価かと尋ねると、パティシエはお金ではなく「日々」だと言う。代価として払った日々がお客の過去からすっぽりと消える。パティシエは、そうやってひとびとの「日々」をコレクションしていたのだ。

『12人の蒐集家』の各話は、こんなふうに尋常ならざる蒐集家が登場する。コレクションの対象は、生涯にわたって切った爪だったり、不慮の死を遂げる人が直前にした直筆サインだったり、定期的に撮った自分の顔写真だったり、美しい言葉を書きとめたノートだったり、科学に関する新聞記事の切り抜きだったり、大量のEメールのファイルだったり、さまざまだ。カタチのあるものばかりではなく、希少な夢、作家の最後の作品、死、希望といった抽象や想念もある。それぞれの蒐集が、あるものはシュールな、あるものは不吉な、あるものは残酷な、あるものは宙ぶらりんなエピソードで彩られている。

 一話から十一話までは独立しているが、あるモチーフによってゆるっと結びついており、気づいた読者はちょっとくすぐったい喜びが味わえる。そして、最後のエピソード「12 コレクション」は、各種のコレクションを蒐集した男のエピソードだ。集合論の考えかたで、「写真の集合」のなかに「たくさんの写真を並べてそれを撮った写真」を含めたらどうなるかってのがあるが、そんな感じ。

 さて、ジヴコヴィッチの位相空間では、どうなるでしょうか?

(牧眞司)