吉田美和、石川さゆり…もう高音が出ないならキーを下げたらどうか
 これから年末にかけて、歌番組の多くなる季節です。生放送での生歌を聴くケースが増えますが、なにかと話題になってしまうのが歌手のミス。歌詞が飛んだり、入りを間違えたり。そもそも音が取れないなんてことも。

 そうしたアクシデントは仕方ないとしても、事前の準備で防げるミスは避けたいところです。そこで考えてみたいのが、キーの設定について。というのも、オリジナルキーにこだわるあまり、曲が崩壊しているパターンが少なくないからなのですね。

 たとえば、10月の『歌謡チャリティーコンサート』で、「木綿のハンカチーフ」を歌った太田裕美は、高音にたどり着く前に声が途絶えてしまうことたびたび。

 石川さゆりも、近年は全体にフラット気味。地声からファルセットに切り替える際の岩崎宏美を聴いていると、こちらの喉が詰まってしまう。

 もう少し下の世代で言えば、吉田美和のハイトーンには、黒板を爪でひっかいたときのような、耳に厳しい音が混じっている。
 いずれも半音でも下げたら、不要な緊張感も解消されそうなのですが、歌い手にとってその決断を下すことは、難しいのかもしれません。提供された曲ならば、作家と作品そのものへの敬意から思い悩むでしょう。レコードと同じ音を期待している客も少なくなさそうです。

 もう少し下衆な理由ならば、「劣化した」とか「ラクしてる」といったクレーマーの餌食になる可能性もある。

 それでも本当に優れた曲ならば、どのキーで歌われようと、骨格は揺らがないはず。

 それを証明してくれたのが、全音下げで歌った由紀さおりの「手紙」でした。Bマイナーの軽やかな疾走感から一転。低い重心で潤んだAマイナーが、新たな魅力を引き出している。

 ドン・ヘンリーの「The Heart Of The Matter」でも、同じ現象が起きています。こちらはオリジナルキーでも十分に歌える余力が、曲に深みを持たせている。終わった恋の歌が、現在進行形から思い出のひとつに姿を変えているのですね。42歳時のヒット曲を、68歳になった今でも同じ心境で歌えるはずはないのですから、音楽も変化する方が自然なのではないでしょうか(動画上は’90年、下はキーを下げた現在)

⇒【YouTube】Don Henley - The Heart of the Matter (Live at Farm Aid 1990) http://youtu.be/kEQgkor-jgU

⇒【YouTube】Don Henley “The Heart Of The Matter” on Austin City Limits http://youtu.be/GSLNYZ5rIEM

 もっとも、こうした音楽的な効果以前に、身体を痛めつけてまで搾り出された歌が、どう響いているのだろうか。客観的な視点から、コンディションと相談してキーを下げる柔軟性も大事なのかもしれません。

 若いエド・シーランは、その点とてもクレバーです。大ヒット曲「Thinking Out Loud」では、曲のイメージを壊さない半音の上げ下げで、自らを労わりながら、オーディエンスの満足感も損なわない調整をしている(動画下はキーを下げている)。

⇒【YouTube】Ed Sheeran - Thinking Out Loud - Later… with Jools Holland - BBC Two http://youtu.be/rp1DJL_SIys

⇒【YouTube】Ed Sheeran Performs ‘Thinking Out Loud’ http://youtu.be/dHvUCKrGPhI

 当然のことながら、人間誰しも体調が優れないときはあるし、皆平等に歳を取って、体力も落ちてくる。二十代では徹夜で飲んだ翌日も平気で動けたところが、三十代も半ばになれば無理が効かないと分かってくる。

 普通に暮らしている人間でさえそうなのですから、回復を待つ間もなく歌い続けなければならない歌手には相当な負荷がかかっているはず。

 だから、キーを下げるぐらい、何てことないのです。聴き手が求めるのは、音楽や楽曲が成立している状態であって、高い声ではないのですから。

<TEXT/音楽批評・石黒隆之>