12月13日(日)、「ドラえもん」の初代声優として知られる大山のぶ代の半生を描くドラマ『ドラえもん、母になる 〜大山のぶ代物語〜』(NHK BSプレミアム/夜10時〜)が放送される。大山役を鈴木砂羽が演じ、1979年4月から2005年3月まで、26年間にわたりドラえもんの声優を務めたなかで起きたエピソードを綴る。

おそらく20代以上の人にとっては、“ドラえもん=大山のぶ代”である。それと同じくらい“大山のぶ代=ドラえもん”でもある。すなわち、彼女自身もドラえもんのようにユーモラスで誰からも愛されて、性別を超越した人、と無意識のうちに架空のキャラに重ね合わせてしまっているのではないだろうか。

夫・砂川啓介が2015年10月に出版した著書『娘になった妻、のぶ代へ』(双葉社)では、女性としての大山が生々しく語られていた。2012年から認知症を発症した妻。介護の日々を綴っているのだが、そこで40年間にわたりセックスレスだったことが明かされたのである。最初の妊娠で死産、1972年に生まれた長女を先天性心臓疾患のため生後3か月で亡くしたことが原因で、大山は「妊娠恐怖症──つまりセックスを怖がるようになった」のだという。

「結婚すまい、子供は持つまい」と決心

当たり前だが、大山はドラえもんではなく、ひとりの女性だ。

1933年生まれ、東京都出身。にぎやかで出たがりな性格、中学、高校は演劇部だった。17歳のときに、母親ががんのため41歳の若さで亡くなる。そこから女優を志し、劇団俳優座の門を叩いた。

「自分も大人になり結婚して子供を持っても、母位の年になったらきっとこうして癌で死んでゆく、それでは死んでゆく私も可哀そうだけど残された子供はもっと可哀そうだ……。だから私は一生子供は持つまい、子供を持たないのだから結婚もすまい、と心に決めたのです。でもそれから考えました、女が一生一人で生きてゆくためには何か手に職をつけておかなくてはいけない、それにどうせその職業で一生食べてゆくのなら自分の好きなことを職業にしたい……」(「PHP」1988年10月号)

1956年、ドラマデビュー。1963年にミュージカルで砂川啓介と共演し、翌年結婚。10代のときに「子供は産むまい」と決心した大山だったが、結婚した以上は、「たとえ早く死に別れる運命でもいいから子供を作ろう」(「PHP」同上)と思ったという。

「結婚して、せっかく子供に恵まれてもすぐ亡くなったことがあったんです。だから、30代の終わりから40代の初め、あせりました。そのときに、『いいじゃない。子がない夫婦は子がないなりに生きればいいんだから。若いとき一生懸命働いて貯金しておこう』なんて言ってくれてね」(週刊朝日2004年3月26日号)

妊娠をめぐる焦り、悲しみが伝わってくる。認知症を患った今となって、夫に「セックスレスだった」と公表され、今どんな気持ちなのかわからないが、他人にわからない強い信頼関係があるのだろう。

運命が変わったのは40代だった

仕事と家事の両立に奮闘する一面もあった。60年代、現在82歳の大山が30代のころの話だが、現代の女性に重なるところもまったくないわけではない。

「30代は仕事と主婦業の両立に懸命でした。いまなら仕事が忙しければ家事を誰かにお願いできるのかもしれませんが、当時は『女は結婚したら家庭に入るもの』という価値観がまだまだ根強い時代。夫は、『仕事をもっている女性と結婚したつもりだから続けていいよ』といってくれましたが、私はそれに甘えて家事を疎かにはしたくなかったのです。

月の半分はテレビや映画の撮影で京都にいき、東京に戻ったらアニメのアテレコのかたわら家事をこなす、という生活でした」(「THE21」2010年6月号)

「ドラえもん」の仕事が始まったのは、40代半ばを過ぎてから。その年で人生がガラリと変わるような大仕事に出会えたというのも、勇気づけられる話である。女性の30代はとかくライフイベントに左右されがち。キャリアアップは二の次になり40代にあきらめや絶望を感じる人も少なくないだろう。

「40代に入って、私の運命を変える『ドラえもん』と出合うことになりました。それからは怒濤のように忙しい日々がやってきました。でもそんなドラえもんの声を26年ものあいだ続けることができたのも、なんでもやった30代に鍛えた要領のよさが役立ったのだと思います」(「THE21」2010年6月号)

あくせくするばかりの30代も、決して無駄にはならない。そんな気持ちにさせられる。悲しいことや辛いことを乗り越えて、あるいは乗り越えようとしながらドラえもんを演じていたのかと思うと感慨深い。

「脇目も振らずこの道一筋、というのも立派なことだと思いますが、興味の赴くままにたくさんのわらじを履いてみるというのも、一つの方法ではないでしょうか。多くのことを手がければ、嫌でも要領がよくなりますし、そのおかげでかえって本業の成果があがったりするものです。何より、やりたいことを我慢しないことが、より密度の濃い人生を送るためには必要だと思うのです」(「THE21」同上)

料理研究家、水の研究家としても活躍している大山。当たり前だが、ドラえもんは大山のぶ代だが、大山のぶ代はドラえもんではないのである。

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(亀井百合子)