川島永嗣、空白の6カ月を語る「日本代表が心の支えになっていた」

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 師走とは思えない穏やかな快晴に恵まれた川崎フロンターレの麻生グラウンド。スコティッシュ・プレミアシップのダンディー・U入りが間近に迫った川島永嗣が、古巣の仲間とともにトレーニングに精を出していた。

 9日の練習後、クラブハウスで声を掛けると、32歳の守護神は「久しぶりですね」と爽やかな笑顔で応えてくれた。その表情は約半年間の流浪の日々から解放された清々しさ、そして未来への希望を強く感じさせていた。

 所属クラブが決まらない日々――。これまでの人生になかった苦悩の半年間を川島がしみじみと振り返ってくれた。

「7月半ばに日本を出て、9月上旬まではイタリアのノヴァーラにいました。その後、別のチームに決まりそうだったので、フランスやオランダに行ってベルギーに戻り、10月の半ばからは(プレミアリーグの)レスターの練習に2週間参加しました。ちょうどオカ(岡崎慎司)が11月の日本代表遠征(シンガポール、カンボジア)に出る前までいましたね。その後、スコットランドに行って、ようやくクラブが決まった感じです。家族を4カ月以上も日本に置いたまま、2カ月半ほどホテル暮らしをしていましたけど、正直、ホントに大変でした。その間、いろいろなクラブに行きましたけど、『練習参加しながら(取るかどうか)見る』と言われれば期待感も生まれるし、行けるんじゃないかって気持ちにもなる。でも、それが次の日にはうまくいかなくなったりする。一日一日状況が変わるんで、精神的にはかなり難しかったですね。スタンダール(リエージュ)から延長の話をもらったのを断って踏み出したんで、それなりの覚悟を持って夏に日本を出たつもりだったけど、ここまで長引くとは想像していなかった。(移籍マーケットが再び開く)1月まで待たなければいけないのかなと腹をくくった部分もありました。自分の気持ちが試される時間はかなり長かったと思います」

 11月初旬にはダンディー・U入りが明らかになり、クラブ側も獲得を認めたが、英国の労働許可証発行が遅れ、新天地移籍がとん挫するのではないかという見方もあった。2010年の南アフリカ・ワールドカップ直後からベルギーで暮らし、物事が思うように進まない異国生活に慣れていた川島といえども、不安は尽きなかったことだろう。

 それでも「ダンディーは小さなクラブで今までヨーロッパ以外から選手を取ったことがなくて、手続きに手間取ったんだと思います。自分としてはそれまでも長い時間を費やしてきたし、もう心配してもしょうがないと考えて待つしかなかった」と強じんな精神力でじっと耐え続け、12月上旬にやっとビザ発給のメドが立つに至った。

 その一方でうれしいニュースもあった。今月3日に長男が誕生したのだ。労働許可書発行手続きの関係で出産には立ち会えなかったが、川島はクラブ側と相談の上、愛息に会うべく一時帰国。まだ正式にビザが出たわけではないものの、今週いっぱいは現地と連絡を取りつつ、生まれたばかりの我が子との時間を楽しみながら、「戻ってくるたびに自分の家のように感じる」という川崎の練習場でトレーニングを続けることにしている。

「子供は男の子で、体重は3200グラム。とにかくかわいいですね。サッカーは本人が希望すればですけど、もしやりたいって言ったらGKじゃなくてFWにさせます(笑)。親としてはGKを見てるのが辛いですから、(大久保)嘉人みたいなストライカーがいいですよね」と早くも親バカの一端をのぞかせたが、それだけうれしい証拠。“新米パパ”は家族のためにも新天地での成功を誓っている。

 移籍が確実になっているダンディー・Uは目下、スコティッシュ・プレミアシップでダントツの最下位。2部降格の危機に瀕している。クラブとしても守備テコ入れのために日本代表経験豊富な男に白羽の矢を立てたのは間違いない。川島は救世主としての役割を担っているのだ。