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○K6-2で復活したAMD

K5の失敗で瀕死の状態にあったAMDのCEO、Jerry Sandersが起死回生を狙ったNexGen買収によって誕生したK6アーキテクチャは、初代K6それに続くK6-2の成功によってAMDが再びIntelの唯一の競合であることを証明した。 Jerryは高らかに宣言した、"AMD is back !! - AMDは復活した"。

AMDは黒字化し、当時は世界最大規模と言われた最先端の工場・Fab.25をテキサス州オースティンに建設するなど破竹の勢いであった。社内ではすでに次世代アーキテクチャによるK7プロジェクトが動き出し、Intel互換路線を捨てて独自路線を行くという大胆な戦略を着々と進めていた。

一方、K6のロードマップには、K6、K6-2、そしてK6-3があった。K6-3は、K6-2でゲームアプリケーション用に登場したマルチメディア用の命令セット・3D-Nowを実装し、映画「ジュラシックパーク」をテーマにしたPCゲームを意識して、映画に登場したティラノザウルスの名前"Sharp Tooth"という社内コードネームで開発されていた。

IntelもPentium IIの後継であるPentium IIIを用意していたし、AMDもK6ベースの3クラスのCPUで対抗する予定であった。時はパソコンの全盛時代、前述のようにパソコンの価値はほとんどCPUの周波数で決められており、233Mhzより266MHz、266MHzより300MHzという具合に、季節ごとに訪れるパソコンのモデルチェンジに合わせるようにCPUのクロックスピードを上げていったのである。

しかし、K6のアーキテクチャは400MHzを超えたあたりで、次第に限界に近付いていた。K6-2のクロックスピードの変遷を追ってゆくと、特に450を超えるあたりから小刻みになっていったのにお気づきだろう。450、475、500、533、550MHzという具合である。

当初は、K6-2はこれほど周波数を上げる予定ではなかったが、パソコン市場の要求と、旺盛なK6-2への需要に応えるためにAMDはK6-2の周波数をどんどんと上げていった。ロードマップ通りに行っていれば、400MHzくらいからK6-3が後継としてそれにとって替わるはずであった。

K6-3は基本的にはK6-2のCPUコアを流用してデザインされたが、K6-2との大きな違いは次の通りCPUと同じシリコンダイに集積するキャッシュメモリのサイズである。

K6-2

・一次キャッシュ:32+32KB
・二次キャッシュ:なし
・製造プロセス:0.25um
・搭載トランジスタ総数:930万個

K6-3

・一次キャッシュ:32+32KB
・二次キャッシュ:256KB
・製造プロセス:0.25um
・搭載トランジスタ総数:2130万個

CPUの総合性能を加速するために同じダイに集積するキャッシュメモリを大きくすることは大変に有効な手段である。しかし、そのためのペナルティーも大きい。

K6-2との比較でも明らかな通り、二次キャッシュを集積することによって、搭載トランジスタ総数は2倍以上になってしまっている。キャッシュメモリは基本的には高速SRAMなので、製造プロセスが同じであれば専有面積は単純に2倍となるためである。

Intelが初代Pentium IIIでは、このキャッシュメモリを同じシリコンダイに搭載することが困難と判断したためにSocketでなくSlotという方法をとらざるを得なかったのは前述した。

○K6-IIIがあのまま発展していたら…

K6-3はPentium IIIに対抗するために、K6-IIIと命名されて400MHz、450MHzの二つのバージョンが1999年2月に市場投入された。登場した当初はパソコン雑誌がこぞってベンチマークテストをしたが、K6-IIIの実性能は驚くほどに優れていた。何しろ256KBのフルスピード二次キャッシュがCPUにシリコン上で直結され、コアクロックと同じ速度でアクセスするのだから速いはずである。あるベンチマークのソフトなどは256KBのキャッシュにそっくり収まってしまう場合もあったので、とんでもなく速い結果も出た。そのため、K6-2の500MHzでもK6-IIIの400MHzに実性能ではかなわないような奇妙な状況が現出した。

K6-IIIの登場に自作ユーザーは驚喜した。パソコンの競争がクロック周波数に支配されていた現象に食傷気味であった自作ユーザーは、CPUの総合性能は周波数だけではなく、他の要因にも大きく起因することを知っていて、AMDがその最適の解決を提示したからだ。秋葉原などで活動を展開した私としても大いに興奮を覚えた製品であったが、ある日、本社のマーケティングのVPからK6-IIIは450MHzでストップだという決定を知らされて非常にがっかりした。理由は次の通りであった。

・巨大な二次キャッシュを集積することによって歩留まりが非常に悪い。
・シリコンダイのサイズが二倍になってしまい、経済性が悪い。
・K6-2はそのまま周波数が550MHzまで上げられるので、大量に売れるパソコン用のCPUとしてはK6-2の高周波数製品で経済的優位性を維持したい。
・500MHz以降はIntelにはK7で対抗する。

会社としては当然の決定であろう。AMDはIntel互換路線を捨てて独自のインフラを築き上げる大掛かりな仕事に備えて経済的体力を温存していたともいえる。技術的に大量生産することが難しく、ビジネス的にはK6-2をクロックアップするほうがAMDにとっては正しい決定であるのは十分に理解できたが、K6-IIIがあのままPentium IIIの対抗馬として発展していたら面白い展開になったであろうなと今でも思っている。

(次回に続く)

著者プロフィール
吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Device)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。現在も半導体業界で勤務。
・連載「巨人Intelに挑め!」記事一覧へ

(吉川明日論)